第27話 『意外な訪問者』
有紗が扇子を片手に出社する後ろ姿を勝手口の小窓から密かに見ていた玲音は、コーヒーを淹れなおして定位置のパソコンの前に腰を下ろす。
しばらく手を止めたまま、窓の向こう側に揺れる木々をぼんやりと眺めていた。
ヒューストン空港での出逢いは、玲音にとって人生が変わるほどの心の変化をもたらせた。
なんとしてもこのチャンスを逃してはならないと、先走る気持ちが押さえきれず日本から再度舞い戻った時は、一体どんな捜索が有用かと頭を巡らせていた。
それが、どうしたことか……
「ここに戻ったとたん、遭遇するとはねぇ」
もし時間がかかったとしても、いつかは彼女を探しだしただろう。
どんな手を使っても。
「やっぱり運命なのか?」
まぁ、植木で殴られるという、手痛い代償は払ったが……
今や、その張本人とは皮肉を言い合う仲となっている。
この家から、彼女の後ろ姿を微笑ましく見送る自分を不思議にさえ思う。
「さて、ここからどうする」
パソコンを持ち上げて、ソファーに移動した玲音は、またゆっくりその画面を開く。
そこには彼女に返却したノートを活字化した全文があった。
それらを項目に分けて、それぞれに自分なりの注訳をつけてある。
彼女が叔母に接触することも記録し、どんな会談を行ったか、何気ない会話からそれとなく聞き出してはそこに書き込み、自分なりの解釈と方針も記すようにしていた。
今朝の有紗の不機嫌の原因であろう『ベルナード』とのパワージョギングについても、書き足しておこう。
あとは元々彼女が抱いていた活用案と、実際の結果報告を書き込むだけだ。
「今夜聞かせてもらうとしよう。ま、愚痴をぶちまけられそうな予感しかないけどな」
そうやって進捗状況を把握しながら、玲音はこの状況を、今日本にいる“相棒”とも共有しようとしていた。
ヤツがここに来れば、より多くの可能性が広がるだろう。
玲音はしばらくその姿勢のまま、静かに時を過ごした。
何度も見返しては、湧いてきた自分の考えを書き足していく作業に明け暮れる。
突然インターフォンが鳴った。
自分の息のかかったケータリング配達員との慎重なやり取りも済んで、もう誰も来る予定はないはずだった。
玲音は平静を保ちながら、そっと立ち上がる。
イレギュラーな時間の心当たりのない訪問者に、玲音は警戒しながらモニターを覗いた。
「おっ?!」
そこに写った意外な客に眉をあげる。
そして玲音の中に、瞬時に新たなプランが湧いた。
インターフォンカメラの前に手持ちの紙袋をかざして笑顔を見せるその人物を眺めながら、玲音はなにも言わず解錠した。
更に玄関のインターホンが鳴って直接ドアを開けると、その人物は転がり込まんばかりの勢いでドアをくぐり、まくし立てように話し出した。
「有紗、買ってきたよ! これあなたが……え?」
そこまで言って、その人物は息を飲むんだまま、ピタッとその場に立ち止まると、そーっと玲音の顔を見上げた。
「うわぁ! 誰!」
おおかた予想通りの反応に苦笑いしながら、玲音は早々にドアを閉める。
「
「え? そ、そうだけど……なんで日本人が? っていうか誰よ! 有紗は? 有紗はどうしたの!」
玲音は
「ホントに言ってなかったのかよ……口が固いな。アイツから聞いてないんだな。俺はフィリシア・ランドルフの甥、玲音だ。俺の事、知らない?」
司はおろおろしながら頭を抱える。
「ちょっと待って、頭がごちゃごちゃよ。ミセスの大切なプリンスを日本に探しに行かなきゃならないって話までは聞いてるけど……それがあなた……? で? しかもどうしてここに居るの?」
「ああ、それはさ……」
「あー、待って!」
司は手のひらを挙げて玲音の話を制した。
「ゆっくり話を聞くわ。有紗は居ないのね?」
「ああ、さっき出てった」
「全く! あの子ったら……とにかく、お邪魔します!」
彼女はそう言うと、玲音を横目に、ずんずん真っ直ぐにリビングに向かい、テーブルにその紙袋を置くと、勝手知ったるといわんばかりに、キッチンでお茶を用意し始めた。
「……お、おい」
「ソファーに座ってて。あなた、スイーツは好き?」
「え? ああ、まぁ……」
「なら良かった。せっかく買ってきた『
玲音はソファーに腰かけ、座ったままキッチンに向かって声をかける。
「……ここ、来たことあるんだな?」
手際よく作業しながら、司は自嘲的に微笑んだ。
「この状況見たらわかるでしょ? いくら
「……そうだな。で……俺がここに居ることは……」
「待ってって! もう出来るから、腰を据えて話しましょう!」
「わ、わかった。俺が運ぶよ」
玲音はキッチンにトレイを受け取りに行った。
二人は広いソファーに向かい合ってゆったりと座りながら、前置きもなく話し始めた。
「じゃあ、ここで俺がアイツと一緒に住んでるって事は……ホントに知らなかったんだな? お……おい、どうした?」
司は黙ったまま、正面から玲音の顔をまじまじと見る。
「へぇ……オーナーの甥っ子がここまでのいいオトコだったとは……あの写真見ても想像はつかなかったわ」
玲音は居心地悪そうに苦笑いした。
「はは……そりゃどうも。アイツは初対面の時、あの写真と見比べて、やさぐれてるだのどうだのと失礼な言葉を並べ立てたけどな」
「あはは、有紗らしい。でも! この件については有紗らしくない! 全く!」
「は? なんだそれ?」
「私に隠し事するなんて! そんな事、今までに一度もなかったのに!」
「あ……それは」
弁明の必要性を感じた。
「なに?」
「俺が口止めした。でも叔母や周辺に言うなって言っただけで、俺はてっきり親友には話してるんだと思ってたんだが……」
司は小さく頷くと、お茶をすすった。
「そういうことか。なら納得」
「ずいぶんあっさりだな?」
「一人に話したら
「そうか? 駆け引きも考えず、人の顔見る度に“ミセスランドルフに会え”の一点張りだぞ。毎日しつこいくらい」
「だからよ。逆に言えば、あなたがGOサインを出さない限り、あの子は絶対に言わないわ。考えてみてよ、毎日オフィスに出向けば、あなたのこと探してる叔母さんと実の母親と顔を付き合わせてるのよ。昔から有紗はウソをつくのが苦手だった。そんな子がウソをつき通す事が、どれ程負担になってるか……だって親友の私にも言わないのよ!」
「ああ……そうか」
「あの子のそういうところが好きだけど、時々本気で心配になるの」
「ああ、何となくわかるよ」
その玲音の言葉に、司は嬉しそうな表情を浮かべた。
カップを置きながら司が尋ねた。
「それで? 有紗は今日はどこに?」
「ああ、叔母と同席でパワーランチだとさ」
「そうなんだ。ねぇあの子の帰宅時間は? 聞いてない?」
「時間までは聞いてないが……そのまま叔母と一緒に出社するって言ってたから、定時には帰るんじゃないか? そのあとの予定まではわからないが……なんで?」
「あの子、スマートフォン忘れてるのよ、ここに」
「は? どういうことだ?」
「だから私はここに来たの。有紗がここにいると思ってね」
「え? それってまさか……GPS仕込んでんのか?」
「ええ」
「いや、それはいくら親友でも……プライバシーってもんがあんだろ」
「そうね。ここが日本なら、いくら親友だからってそんな礼を欠いたような事をしたりしないわ。でもここはアメリカよ。一見スノッブでハイソサエティな街に見えて、拳銃の所持率も発砲率もピカイチのこの土地に、呑気な日本人の女の子がたった一人で乗り込んで来て……もう危険なことしか想像出来ないわ。だからね、ちゃんと見守ることにしたの」
司の眼差しは、至って真剣だった。
「あなたも! あの子を守ってね」
「あ、ああ」
玲音が
「心配しないで。我が子のように四六時中監視してる訳じゃないわよ。要所要所使うことはあってもね。例えば今日みたいに、イレギュラーに美味しいパイが手に入った時なんかは、そのチャンスを逃したくなくて、ちょっと覗いちゃったりしたけどね」
まるで母親のようなその顔は、親友に対する情の深さを感じさせた。
「でもさ、司のそれは隠し事に
司がキッと玲音を睨む。
「耳の痛いこと言わないでよ。そりゃ少し罪悪感はあったけど、でもまぁ、このあなたの一件でおあいこよね? なんかスッキリした」
その様子を見て玲音は笑いながら、フォークを使わずにそのパイにかぶりついた。
「うゎ! なんだこれ、ウマっ!」
「でしょ? 中々手に入らないのに……有紗、可哀想ね。あなたは心して食べてよね」
「了解。とんだ役得だったな。前々から『
「それはよかった! でも……」
「ん?」
「ちゃんと連絡してから来ればよかったわね。ごめんなさい」
「ああ、別にいいよ」
「だってあなた、潜伏中の身でしょ? 一人になれる
「はは、全然問題ない。実は俺、前々から司のこと気になってたんだ」
「ホントに!?」
「ああ、最初は有紗のオトコだと思ってたからな」
「なによそれ! まあ、私だってプリンスのことはずっと気になってたんだけどね。色々な意味で」
「そっか、なら決まり! 今から情報会議を開く事としよう。ただし! プリンスはナシだ、レオンでもない、俺は玲音、いいな?」
「了解!」
司はスッと立ち上がってキッチンに向かうと、切り立った窓から傾き掛けた空を仰いだ。
「さっき来るときにね、すごく大きな虹が出てたの。その前に通り雨があってね。あなた、知らないでしょ?」
「ああ……」
「早く、自由に出られる局面が来るといいわね。あなたにとっても、あの子にとっても」
そう言うと司はまた勝手知ったる手つきで二杯目のお茶を用意した。
第27話『意外な訪問者』- 終 -
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