第5話 『The reason for being here』

ついに決戦の火蓋を切る時がやってきた。

彼女は鏡の前で、気合いを入れて身支度を始めた。

この日のために、少ない時間の中で多くの準備をしてきた。


遠く離れた日本から、どうしてフロリダくんだりまで、やって来ることになったのか……それには理由がある。


月刊『ファビュラス』

5年前からはWebマガジンとしても並行して発刊されている、日本を代表する女性ファッション誌。

日本国内のシェアは、業界の五本の指にも入る有力誌、そして大手企業『東雲しののめグループ』を母体に持つ、イベント会社『ファビュラスJAPAN』から分岐した『相澤あいざわ出版』の看板書籍でもあった。

彼女はその月刊『ファビュラス』の若き業界最年少編集長だった。


創刊以来、飛ぶ鳥を落とす勢いで常に走り続けていた『ファビュラス』

しかし、紙媒体の低迷の時代には他社同様に打撃を受けた。

出版業界全体が不況となる昨今さっこん、その火の粉は大手であっても退けることは出来ない。

そこに突然『ファビラス』の買収話が浮上した。

相手は出版部門をこれから立ち上げようとしている外資系の企業ということだけ聞かされた。

その話にたて突いた跳ねっ返りの若き編集長に、会社は条件を出した。

新たな道筋として、海外にファビュラスのセレクトショップを出店し、自らバイヤーとなって提携してくれる有名ブランドに交渉、加えて新たなブランドを発掘し、日本に初出店させること。

そしてそれをシリーズ化して『ファビュラス』の誌面のメインコーナーとして掲載するために自らが拠点をつくり、コンセプトを構築し、プロデュースすること。

absolute絶対的 status地位をあげるためのブランだった。                                                                                                                     


その場所や企画内容は、彼女に一任された。

そして彼女がその拠点として選んだのが、この地だった。


イタリアやフランスでもなくアメリカ、それもビバリーヒルズでもロデオ・ドライブでもないこのフロリダを選んだのは、ずいぶん前に実施した改革プロジェクトで、この地の可能性についてのプレゼンをしたことがあったからだった。

その当時から、この古き良き老舗の立ち並ぶブランドアベニューが、まるで今の『ファビュラス』を象徴しているかのようだと感じていた。

威厳や気品があったとしても、かろうじて息だけをしているようなたたずまいでただそこに居座っているだけでは、いずれ朽ち果てていく。

そんなもろさを、懸念していた。


ファッション業界は、常に新風を取り入れ、鮮彩さや斬新さで人の目を惹き続けなければならない。

今、あぶらののった地域を取り上げたところで、そのかさはほんの少ししか増さない。

目に見える大きな変化を期待できて、元々の計り知れない底力がある場所は、ここを置いて他にはないと思っていた。


「お前のその目にかけるんだ。その間、買収を引き延ばす。だからまだ息の有るうちに、急いで結果を出してこい」


本社の担当部長にそう言われて、猶予もないまま渡米した。

もう後戻りできない状況にさいなまれた日もあったが、あらゆるプランを作り込むなかで、渡米の日程が決まってからというもの、彼女の中には希望的発想が満ちていた。

満を持してやってきたこのアメリカ、フロリダでの新たなストーリーがここから始まる。


約束の時間が近づいていた。

鏡の前でブラシを頬にすべらせて、ほんのりチークを入れる。

仕上げのルージュカラーはやわらかさを出すため、フェミニンなピンクアプリコットをチョイスした。

垢抜けたメイク、ウェーブを加えセットしたつややかなヘアスタイルも再度、左右入念にチェックする。


ここの風土とリサーチをもとに、キメすぎないファッションチョイスを心がけ、まるでオーディションのごとく高ぶる気持ちのままハイブランドの服に袖を通す。

ある意味、武装とも言えるトータルコーディネートが仕上がった。


部屋を出て颯爽と脚を進める彼女の姿は、このおとぎの国へ来ている観光客には見られない、異彩を放ったオーラをまとっていた。


ロビーからホテルの広いエントランスを抜け、開いたドアから外に出ると、 強い日差しが突き刺さり、眩いほどの光が一気に視界に入ってきた。

一瞬、辺り一面が真っ白に見えて目を細める。

手をかざしてそれを遮ると、ロータリーの真ん前に大きな白いリムジンが停まっているのが見えた。

傍らには愛想の良さそうなドライバーが立っていて、すぐにこちらに気付いた彼は、半信半疑な表情の彼女に爽やかな笑顔を投げ掛けた。


「Good morning ! It's a beautiful sunny day today ! 」


「Right ! Good morning ! 」


彼は微笑みながら、後ろのドアを開けて目配せをする。


「Thank you for sending me」



フロリダの気候らしく、朝でも空気が湿度を帯びていて、ホテルを少し出ただけで汗ばむような暑さだったが、広いリムジンの車内は快適な空間だった。


ハイウェイを降りると、窓から真っ青の海が見える。

ほんの少し窓を開けてみると、フワッと潮の香りがした。

その名のごとくパームツリーの道が続く。

太陽を浴びて生き生きとしたその姿は、まるで彼女を優しくこの地にいざなうかのように見え、その美しい景色に心をつかまれた彼女の中には、さらに大きな希望が湧き上がっていた。



第5話 『The reason for being here』 - 終 -


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