『Ray of sunshine』 - Stunning sky in Florida -

第1話『始まりはヒューストン空港』

離陸して12時間と少し、空の旅は今回も快適だった。

いつも海外へ渡航するときは計画的に機内で睡眠をとることにしていたが、今回ばかりは眠れなかった。

覚悟をもって飛び立つ自分には、もう前進しかないのだと気負っていたはずが、いつしか希望という形に姿を変えて自分の中で消化されていく。

美しく染まった空。

そこから飛行機と共に舞い降りたこの地で、離陸の時に見た日本の黄昏を重ね合わせながら、今それを眺めている。

「あ、もしもし、司（ツカサ）？　あのさ、今ヒューストン空港なんだけど。私が乗る便ね、出発が遅れるらしいの。二時間近く待たされそう……うん、そうなの。よくあることだけど。うん、まあ……いいわ。ずっとバタバタしてたから、ちょっとゆっくりしたい気分だったし。そっちに行ったらまた忙しくなるわけだしね。うん、それでね、着くのが遅くなるから今夜はホテルに直行することにするわ。ディナーはまた今度ね。ごめん。うん、ありがとう。じゃあ」

スマートフォンをバッグにしまって、小さなキャリーバッグを転がしながら、とりあえず一度チェックインカウンターに向かって歩き出した。

「全く、広い空港ね」

このご時世からか歩行者は少なく、余計にだだっ広く感じた。

全面ガラス張りのロビーからは何機もの飛行機が、傾きかけた夕日に染め上げられ美しく並んでいるのが見えて、思わず目を奪われる。

コツコツとヒールを鳴らしながらゆったり歩いていると、正面からサングラスをかけた長身の男性が歩いて来るのが見えた。

人目を引くビジュアル。

サングラスはブルーグラスの入ったウェリントン型。

洒落たバッグを肩にひっかけ、片手をポケットに突っ込みながら歩くその出（い）で立ちは、先日参列したファッションショーのメンズモデル達が終演後に会場を後にする時の姿と重なった。

仕事柄、大抵のアイテムのブランド名は言い当てることができる。

「ふーん。ラフに見えても中々の重装備ね。上級者か……もしくは、スポンサーのついたモデルだったりして？」

そんなことを考えながらも平静を装い、通りすぎる。

その時、その視野の端でその顔がふとこちらを向いたような気がした。

「Hey, you !」

すれ違いざまにそう声をかけられ、驚いて振り向く。

その顔は遠く離れて見ていた時の印象よりも遥かに上のほうにあった。

「Your bag is open. be careful」

（あんたのバッグ、開いたままだぞ。気を付けな）

その言葉に慌てて自分の腕にかけていたバッグを見下ろす。

「Wow!　That's right. Thank you」

（ホントだわ。ありがとうございます）

「You are welcome」

サングラスの奥の目に表情はなく、彼はニコリともせずそっけなく言って立ち去った。

「なんだ……ビックリした。っていうか……構えすぎ？　私ったら！」

そう苦笑いしながら到着したカウンターで問い合わせてみると、アナウンス通り搭乗手続きまで1時間40分の遅れだと言われた。

「OK」

そうは言ったものの、現地に着くのがけっこう遅くなることに少しうんざりする。

友人にも会えなくなってしまったし、今日は空港から真っ直ぐホテルに帰るしかない。

この土地での初めての夜を一人で過ごすことになる。

踵（きびす）を返し、もと来た道を戻る。

通ってきた道にコーヒーラウンジがあったことを思い出し、それを目標に足をすすめた。

キャリーケースを引きながらようやく見つけたコーヒーラウンジにホッとして、いざ入ろうと前を向いた瞬間、至近距離に人影が出てきて思わず身体（からだ）を縮める。

「Oops！」

停止しても間に合わず、耳にスマートフォンを当てながらそう言ったその人と派手にぶつかり、大きくバランスを崩した。

「きゃぁ！」

彼がとっさに長い腕を伸ばし、転倒は免れた。

なんとか立ったままバランスは保てたがそこは彼の腕の中で、その胸に顔をうずめるような格好になってしまい、身がすくむ。

覗き込んでくるそのサングラス越しにはうっすらとダークブラウンの瞳が見えた。

「Are you alright ?」

彼の胸から伝わってきたそのバリトンボイスに慌ててその腕からすり抜け、身体を離す。

「Oh……I'm OK 」

「……I see」

気のない言葉をはいてそのまま床に目をやった彼は、その瞬間、空（くう）を見上げるように息を吸い込むと、一気に肩を落として声にならない呟きと共に大きくため息をついた。

「Oh - My - God !」

コーヒーラウンジの前には2人のバッグが投げ出され、それぞれから中身が派手に飛び出していた。

彼女はサッとしゃがんで、カバンの中身を慌てて拾い始める。

「Maybe it's because, Your bag was open again !」

（だから……またバッグが開いてただろ！）

頭上から、皮肉めいたな言葉が降ってきた。

「again ?」（また？）

そのワードに首をかしげながら、のっそりと彼を見上げる。

「あ……」

離れてみて気が付いた。

その人物はさっきすれ違ったあの男性だった。

彼にカバンの口が開いていると注意されてその場で閉めたはずだったが、そういえばそこからカウンターでチケットを見せた時にバッグを開けて、その後にちゃんと閉めたかどうか……記憶にない。

「Oh……What am I doing ?」

（私、なにやってるんだろう）

思わずそう呟くと、彼が白々しく笑った。

「Are you kidding ?」（冗談だろ？）

バカにしたようなその口調に少しムッとして彼を見上げるも、彼はもうこっちには関心がないようで、腕組みをしたままうんざりと言わんばかりの表情で散乱した床を見ていた。

目の前に落ちているカジュアルテイストなハイブランドバッグを拾って渡そうと手を伸ばすと、長い脚を折り曲げた彼が寸前にそれを拾い上げ、落ちていた幾つかの物をサッと仕舞い込む。

「Take care !」（お気を付けて どうぞ！）

片方の口角を上げ、鼻で笑うような皮肉めいた言葉を発した彼は、スッと踵を返してすれ違ったときと同じようにバッグを肩にひょいと引っかけ、大きなストライドで歩いて行った。

「なによあれ……」

ゆっくりと顔を上げながら、その背中を忌々（いまいま）しげに見る。

「ぶつかってきたのは、アイツの方だと思うんだけど？！」

憤然（ふんぜん）と呟いて立ち上がり、店先（みせさき）に突っ立って置いてきぼりをくらっているキャリーバッグに駆け寄る。

「もう……あんなにでっかい図体（ずうたい）で当たられたら、怪我しかねないわよ！　私がたまたま吹っ飛ばされなかったから、良かったものの……」

そこまで口にしてから、視野全面があのオトコの胸だった光景を思い出す。

見上げた時のばつの悪さといったら……

頬（ほお）の先がカッと熱くなった。

「はぁ……みっともない……」

首を振りながら肩を落として歩き始める寸前に、また立ち止まって彼が歩いていった方向を見つめる。

「それにしても……どうしてまた、このタイミングで……」

暫（しば）しそこに佇（たたず）んだまま、小さく息をつく。

そのアクシデントによって、遠い記憶を強引に引きずり出されたような気持ちになった。

それはさっきから鼻腔（びくう）の奥に引っ掛かっている。

見知らぬオトコの腕の中で感じた、その匂い……

あの香水は、ジョルジオ・アルマーニの『ドラマティカリー・コード』

その知的でエレガントな香りがとても好き……だった。

爽やかなシトラスにほんの少し女性的なベルガモットを差したようなアロマティック。

懐かしい思いが押し寄せてくる。

忘れもしない、あの頃……

あの頃の……あの出来事に突き動かされ、導かれて今、このアメリカの地に降り立ったと言えるのだから……

『Ray of sunshine』

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第１話 『始まりはヒューストン空港』 - 終 -