第52話 私の決断

 アレクシスがその形の良い眉を寄せて、幾分悔し気に言った。


「私の施した術がもう、取れかかっている。そなた、なんと末恐ろしい……。」


 私が狼狽えながら視線を円卓につく神官達に向けると、にわかに彼等の表情に戦慄が走り、彼等は一斉に頭を両手で庇った。さっきから何のつもりか。私がこの部屋を壊すとでも思っているんだろうか。この神官達とは、一度腹を割って話さねばなるまい。私の事を著しく誤解しているみたいだ。

 セルゲイが控え目な溜め息をついた。


「リサ。今度は俺が封印を施そう。そのままだとあちこち壊してまわる羽目になるぞ。」


 それは困る。ぜひ封印して貰わないといけない。私は歩く大量破壊兵器ではない。私が歩いた後にはぺんぺん草一本残らない、とか妙な噂は立てられたくない。

 セルゲイは右手を持ち上げて私の額の前に掲げた。私はセルゲイに神力を面と向かって施されるのは初めてだった。ちゃんと出来るのか、失敗しないでよ、と念の為確認を取ると、セルゲイは顔を曇らせた。俺を誰だと思っているんだ、と不遜な台詞を吐きながら。


「じっとしててくれ。」


 確か破壊的な力を封印するというやつは、結構痛かったはずだ。私は来るべき痛みに備えてぎゅっと目を閉じて待った。ややあって、そっとセルゲイの指先が私の額に触れると、それは直ぐに離された。

 まだだろうか。

 いまだ目を固くつぶる私に声が掛けられた。


「終わったよ。」


 私は驚いて目を開けた。終わった?これで?


「あれっ?静電気は?電流が無かったけど……もうおしまいなの?全然痛みが無かったけど。」


 するとセルゲイは目を白黒させて言った。


「アレクシスのは痛かったのか?」


「それはもう、首が仰け反るくらい。セルゲイさん、同じ術なんですかこれ?信じられない……!やる人によってこんなに違うなんて。」


 驚くセルゲイとは対照的にアレクシスは苦虫を噛んだ様な顔をしていた。


「リサ、そなた私の傷口に塩を塗りたいのか。」


「俺のそばにいれば、リサの不安定な神力が暴走していつ封印が破れても、安心なんだが……。やはりこちらにとどまる気はないか?」


「………私もう、荷づくりを済ませているんです。今夜は街の宿に泊まります。」


「そうか……。俺の子どもじみたこだわりは結局、全てを台無しにしたんだな。俺はどうしても手に入れたいものを、一番傷付けた。」


 セルゲイは目を伏せた。

 微かに震える吐息を小さく吐いた後、不安そうに揺れる声色で尋ねてきた。


「……でも、街に泊まって、明日はどうするつもりなんだ?」


 私は皆の顔を見た。神官達はもう頭を庇うのをやめ、私を神妙な面持ちで見ていた。アレクシスの表情は静かだった。セルゲイは私を食い入る様に見つめていた。

 これは決まっていたこと。私は決して方針を覆すわけではない。ただ、もう収穫祭まで待つつもりはなかった。聖人や聖女に扮した美男美女が王都の目抜き通りを行進する、年に一番盛り上がる祝祭。それはそれで心惹かれる物はあったけれど。

 俺は、聖人にはなれない。

 セルゲイはあの時そう言った。それはそうだろう。私も滑稽な思いつきをしたもんだ。セルゲイは収穫祭で大事な役割があり、彼は彼でその場にいなければならないのだ。大神官として。聖人になれるはずがない。

 ………私にはこちらの世界で私を世話し、手を尽くして養ってくれていた人達が、いるのだ。彼等が私を心配して今も待っていてくれている。

 正直にいえば、私は呆れるほど怒っていてもなお、今私に熱い眼差しを注いでいるセルゲイとも、別れ難かった。大神官の衣装を身に付け、長く艶やかな黒髪を垂らすセルゲイは、さっき初めて目の当たりにした時は、私が全然知らない彼を見る気がして彼を遠く感じたが、今は彼は彼だと分かる。着崩した騎士の制服を着て剣を振るっていようが、大神官の緋色と豪奢な飾りを身につけていようが、セルゲイはやはり私の知っているセルゲイだった。

 でも自分の中で、答えを本当は分かっていた。


「明日の朝、駅馬車に乗ってサル村に帰ります。」


「リサ………どうしても帰るのか?」


 私はコクリと頷いた。

 セルゲイとアレクシスは目に見えて落胆した。

 私は並んで立つ二人を改めてじっと見た。それにしても似ていない兄弟だ。外見も内面も随分違う様に思える。美形という一点でしか共通点を感じられない。でもこんな人達は、元居た世界にも、サル村にもいなかった。きっと離れてもいつまでもこの二人の事を思い出すだろう。大神殿で過ごした密度の濃い日々と一緒に。例え私がはじめから騙されていたのだとしても。


 全部、片付いたのだ。私の大神殿での生活は、日々は、おわったのだ。

 私は膝を折り、大神官付秘書としてではなく、ただのリサとして片膝を床についてお辞儀した。そのまま深く頭を垂れる。


「大神官様、高神官様。お世話になりました。これで失礼致します。」


 顔をあげるとアレクシスが物言いた気に私を見下ろしていた。セルゲイの顔は青ざめていた。彼は椅子の背もたれに右手を掛け、体重を支えている様に見えた。椅子の背を余程キツく握りしめているのか、指先がすっかり白くなっていた。

 私は立ち上がると、さっさと部屋を後にした。廊下を早足で歩いていると、後ろから、リサ、と私を引きとめようと意図する呼び声がした。幾度かに渡るアレクシスの切ないその呼び掛けを私は無視し、ずんずんと大神殿の一般エリアに向かった。私の決意は固かった。一度私の肩に後ろから手が賭けられたが、私はそれを振り返らずに片手で振り払った。私を追う足音がずっと聞こえていたが、要人専用エリアを抜けると、もう誰も追ってはこなかったので胸を撫で下ろした。


 大神殿を出て坂道を下ると中央神殿の前に出た。アイギル小神官は急に飛び出した私を心配したのか、私が押し付けていった鞄を肩から下げたまま、中央神殿の前庭で待っていてくれた。

 彼に駆け寄り、礼を言う。心配そうなアイギル小神官は、何があったのか私から聞きたそうにしていたが、私から話すまでは質問してくる気はなさそうだった。私も話したくなかったので、深々と頭を下げると、鞄を引き取ってお別れをした。








 王都の広場の周辺には大小様々な宿屋がひしめき、寝床探しには苦労しなかった。私は財布と相談しながら街中を歩き、小さいが小綺麗な宿を見つけた。ライムグリーンの外壁に白い窓枠の可愛らしい建物に惹かれた。入口横に置かれている木製の看板には素泊まりの値段が掲示されていた。

 なかなか手頃じゃないか。

 早速チェックインした私は、部屋に入るとクリーム色のカバーが掛った寝台に大の字になって横たわった。色んな事が一度にありすぎて、暫く動きたくなかった。白い長方形の天井をただボンヤリと眺めた。

 どのくらいそうしていただろうか。

 じっとしていても物事は変わらない。むしろ時間だけは進んでいく。ある程度ボンヤリしたら、自分で区切りをつけて活動を開始しなければならない。よいしょ、と呟きながら起き上がり、確認するために声に出した。


「村長達にお土産を買わなきゃ。」


 自分自身に弾みをつけると重い身体に鞭打って、部屋を出た。

 宿屋から広場は直ぐそばだったので、私はサル村への土産を物色すべく、広場をぶらついた。夕食の買い物をする為か、食材を売る屋台の周辺はたくさんの人出で、ごちゃごちゃとしていた。

 そういえばこちらに来てからというものの、全然自分で料理をしなかったな。レストランとか、人が作ってくれたものばかりを食べていた。………振り返ればなんだか随分おかしな生活をしていたものだ。


 折角天下の王都にいるのだから、土産はちょっと良いお店で買おう。何が良いだろう?やはり実用性のある物でなければ。サル村では手に入らない様な、素敵な服か小物が良い。私は適当な店舗に目星をつけると、入っていった。

 いらっしゃいませ、と張り付いた笑みを披露してくれる店員に愛想笑いを投げ返すと私は紳士服を物色し始めた。

 村長とクリス兄さんの事だから、絶対に直ぐに汚すに決まっている。スープとか色の濃い果物の果汁とか、しょっちゅう零すんだから。だから万一シミになっても目立たない様に、色は暗めが良いだろう。クリス兄さんは村長より身長が高いから、少し大きいサイズを買わなきゃ。

 ……これなんか似合いそう。

 私は幾何学模様のついたグレーのシャツを手に取り、自分の前に広げてじっくり吟味した。

 黒髪と青い目をした、不敵な笑みに似合うだろうか………そんな想像をしてしまった。

 違う。

 これは彼に買う物ではない。村長とクリス兄さんへのお土産なんだから。

 一生懸命村長がその商品を着る姿を思い浮かべようとするのに、どうにもうまくいかない。気がつくと私は心の中で黒髪の騎士の姿を追っていた。

 騙されていたのに、私も未練がましいな。

 明日王都を発つ事を考えると、痛みに近い物が胸中を襲った。

 ――服はやめよう。サイズがきちんとわからないし。

 村長達に王都のお土産を選ぶのを、あれだけ楽しみにしていたのに、今、お店をまわるのはちっとも楽しくない。あれほど帰りたがった村に帰れるんだ、もう安心して良いんだ、と自分自身に何度も強く言い聞かせた。

 ………クリス兄さんが、お土産を見て大喜びする顔を想像して。お土産なんて要らないのに、リサの無事が一番の土産なんだから、とか多分言ってくれながら……。

 けれど私の脳裏には、悲しい顔でこちらを見る緋色の神官服を着たセルゲイの姿が蘇った。

 胸が軋む様に痛んだ。

 明日、サル村に向けて出発したら恐らく二度とセルゲイに会う事はないだろう。時が流れるに従い、そのうちセルゲイも私の事なんて忘れてしまうに違いない。そう思うと辛かった。やがてセルゲイは、候補者の中から好みにあった女性を選ぶのだろう。美男美女で、周囲も手放しで納得するような。

 私でない誰かが笑顔で彼と並び立ち、これからの日々を作るのだと思うのは、とても苦痛だった。王都を出て行くと自分で決めたのに、情けない。

 もう終わったんだ、過ぎた事なんだと心の中で何度も繰り返した。私とセルゲイは、所詮身分違いも甚だしかったのだ、と。


 陳列棚には光沢美しいいかにも高級そうなベルトが並べられていた。私は村長達がいつも、手垢のついた布製のベルトをしていた事を思いだし、結局革のベルトを購入する事にした。


 何店舗か梯子をし、奥さんへの化粧品や村の人達に配れそうなお菓子を買うと、結構な荷物になった。

 重たくて仕方がない。早く宿に帰ろう。

 両手に紙袋を持ち、疲労から軽く前のめりになりながら広場を歩いた。

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