第21話 消えた手紙
大神殿にようやく辿り着いた時、私は無駄に体力を奪われ続けたために、脱け殻の様にクタクタだった。帰路の後半に至っては、記憶が無かった。あと一日旅が長ければ、意識を保てず昏睡状態になっていたかもしれない。
私はフラフラと自室に身体を引きずって行くと、倒れこむ様に寝台に突っ伏し、目を閉じるのと、ほぼ同時に眠りの世界へ沈んで行った。
毎回誰かと食事をとるのは、疲れるものだ。私は別に神殿の食堂でご飯を食べる時に人と話しているわけではないけれど、それでもたまには一人で落ち着いてご飯が食べたかった。
その日の夕食は、大神殿を出て一人街中で食べる事にした。
私はまだ寝ぼけて霞がかかった様な頭で、財布を握り締めて大神殿から小高い丘を下る道を歩いた。季節は晩夏に差し掛かっていたが、まだまだ日は長く、外は明るかった。飲食店が軒を連ねる広場に出ると、欠伸を噛み殺しながらそれぞれの店頭に設置されたメニューを見比べてどこに入ろうか考えていた。
「リサ!リサじゃないか…!」
聞き覚えのある、どこか懐かしい声がして、振り返るとなんとアイギル小神官が私目掛けて猛然と走って来るところだった。彼とはサル村から一緒に王都へ来て、中央神殿で別れて以来会っていなかった。
お久しぶりです、と私が口を開く前に彼は食い入る様に私を見ながら物凄い勢いで話し始めた。
「今まで一体どうしていたんだ!どこにいた?大神官様にはお会いしたのか?ずっと心配していたんだぞ。大神殿に私が行っても門前払いだし、お前に手紙を出してもなしのつぶてだ。どうなっているんだ。」
私は驚くしか無かった。アイギル小神官はあの後私に会おうとしてくれていたらしい。全然知らなかった。彼は私の着ている服に今気づいたかの様に瞠目すると、驚き混じりの声で言った。
「まさか神職に就いているのか?」
「私、実は今大神官付秘書をやらされているんです。」
アイギル小神官は言葉を失った。無理も無い。私だってこんな事になるとは想像もしていなかった。時間を巻き戻してやり直す事が出来るのならば、アイギル小神官と中央神殿にある丸石の前に座ったところから、是非ともやり直させて欲しい。だが人生とはそう都合良く出来ていない。いつだって後から振り返って後悔するしか無いのだ。そうならない様に、常に最善を尽くして選択を誤らない様に気を付けて来たつもりだったのだが、そもそもこの世界に来てしまった事がどうしようもなく、間違いだったのだろう。
私はアイギル小神官と離れてから、自分に何が起きたのかを手短に説明した。彼は私が話し終えると、信じられない、と一言吐き出すのが精一杯だった。
「あの、手紙って何の事でしょうか。」
「読んでいないのか?私から大神殿のリサ宛にもう10通は出しているのに。……届いていないのか。どうなっているんだ。」
「分かりません。後で聞いてみます。」
大神殿宛の郵便物は全て神殿の文書係に集められる。そこに聞く必要がありそうだ。
私は夕食をアイギル小神官と食べた。彼は私の身の上を心底心配してくれている様だった。私に出来る事はこれくらいしかない、と言いつつ食事を奢ってくれると、別れ際に私に聞いてきた。
「明日も会えるか?手紙がどうなっているのか私も気になる。それに何か甘い物を手土産に持って来よう。」
確か大神官は私に暫く休息をくれると言っていた。大丈夫だろう。私は頷いた。
私達は翌日、同じ時間に同じ場所で会う約束を交わし、名残惜しみつつも別れた。
大神殿に戻ると、まだ文書係の部屋の明かりがついている事に気づき、私はその足で駆けこんだ。若い男性職員が一人で残って席で何やら作業をしていた。若い男性というのは好都合だ。一番聞き出し易そうだ。私が彼の前に立つと、彼は一瞬目をあげ、顔を強張らせると俯いて再び作業を始めた。
手元の書面に落とした目が全く動いていない。それなのに彼は一定の間隔で書類の頁をめくっていた。明らかに仕事をする振りをしている。私の出方を窺っているのだろう。
「すみません、ちょっと良いですか?」
「あっ……は、はいっ」
男性職員はビクリと体を震わせて、裏返った声で返事をした。どう見ても私の存在にビビっていた。ここの人達は常日頃私に対してはこんな感じなので、予想通りと言えば予想通りだった。
私は仔鹿の様に怯える男性職員をこれ以上脅かさない様に、出来るだけ優しく可愛らしく尋ねた。
「私宛ての手紙がきていませんか?」
「いいえ、きていません。」
即答である。
調べもせずなぜ分かるのか。
怪しい。
男性職員の顔が心なしか白くなった。
「調べて貰えませんか?知り合いが、もう何通も出していると言ってまして。」
男性職員の顔が更に白くなり、茶色い目が完全に泳いでいる。彼は一度両手を握り締め、又力無く弛緩させ、無意味に辺りを見渡した。他に助けを求めたのだろう。だが部屋の中にいるのは私達二人だけだった。
「残業してお忙しいところ、すみません。でも確認して貰えませんか?」
彼はようやく諦めたのか、のろのろと立ち上がり、部屋の壁沿いに置かれた木箱に歩み寄った。そこで木箱をあけ、中にある手紙の山を崩しながら確認し始めた。一通りその作業を終えると、私に背を向けたままその場に立ち尽くして頭を掻いていた。暫くすると今度は大きな麻袋を開け、中をガサゴソと確認し始めた。それを終えると彼は私の方へ戻って来た。
「やはりリサ様宛ての郵便物はありません。」
「そうですか…。」
私はまだ名乗っていないのに、私の名前を彼が知っているという事は、やはり私は相当有名らしい。
私は男性職員の目をしっかりと捉えて、駄目もとで最後にもう一度聞いてみた。
「本当に一通もきてないんですよね?」
きていません、と答える彼の視線があやふやに動いて逸らされ、無駄に瞬きが増えた。私にしつこく聞かれて困惑しているだけか、若しくは嘘をついているのか。
明日レストラ高神官にでも相談してみよう。
自室の寝台の上でゴロゴロと転がっていると、色んな事が頭に浮かんだ。アイギル小神官の手紙はどこへ消えたのか。そもそも郵便所の集配ミスで大神殿には届いていない、という事もあり得るだろうけど、………でも十通も?手紙が大神殿には到着していたとしたら、文書係がヤギでも飼っていない限り、何者かに抜き取られたとしか思えない。でも誰が何のためにそんな事を。私への悪意を感じる。それともここには私の熱烈なストーカーでもいるのだろうか。それも気持ちが悪い。
気持ちが悪いといえば、大神官だ。
ワイヤーの復路から明らかに少しおかしくなっている。元々色んな意味で私とは住む世界が違うと思っていたが、更に遠い世界へ行かれてしまったようだ。………本当にフェリシテを連れて来なくてよかったのだろうか?あんなに良い雰囲気だったのに。
無駄に色気を振りまかれて、周りが迷惑だ。早く大神官がキャロンヌ以上に納得できる女性を見つけて来なければ。でも残る神殿は南や東ばかりだ。地理的に考えれば、大神官の好みの容姿の女性があまりいなそうなのだ。
「だいたい、金髪金髪うるさいんだよ!!」
私は溜まった怒りを声に出し、溜め息をつくと寝返りをうった。
中途半端な時刻に寝てしまったので、なかなか寝付けなかった。
バンバンバン!
と窓が激しく叩かれる音がした。驚いて半身を起こすと、再度同じ音がした。
まさかセルゲイがまた……?
あまりに強く窓ガラスが叩かれるので、割れるのではないかと不安になり、私は慌てて窓に駆け寄りカーテンを開いた。
彫りの深い目の下に暗いくまを作り、青白い顔をしたセルゲイがいた。
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