大神官様は婚活中

岡達英茉

第1話 お迎えはある日、突然に

 見渡す限り、畑が続いている。地平線の上には、どこまでも青く広い空。

 そんな辺境の村に、酷く不釣り合いなほど豪奢な馬車が走ってきた。

 村人達が何事か、と砂糖に群がる蟻の様に近づいて来て、馬車を眺める。

 馬車から降り立ったのは、二人の人物だった。

 初めて見るその男達の身なりの良さに、村人達が歓声を上げる。


 それが、異世界からトリップしてこちらへ来てしまった私を迎えに来た神官達だった。

 遅まきながら。

 ……っていうか、本当に遅かった。

 私がこの世界に来てから早六年が過ぎ、私自身が異世界人だという事実すら忘れかけていた。

 むしろいっそ、迎えが来ない方が私の平穏な人生計画が丸めて投げ捨てられる事にはならなかったのだが。




 あの日、私、西岡梨紗は18歳だった。

 自宅の勉強机に向かって、夜遅くまで翌日のテスト勉強をしていた。

 途中で眠くなり、目を軽く閉じた時のこと。


「ふへえっっ!?」


 突如瞼の裏にまで突き抜けた陽光に、何事かと目を開けると、勉強机は無くなっていた。

 正確に言えば、地球が無くなっていた。

 私は小鳥がさえずる木立と畑を仕切る、腰ほどの高さの石垣の上に座っていた。………シャーペンを握りしめたまま。



 そこからの数年は本当に大変だった。途中で我が身を儚んで、発狂したり死を選んだりせずに済んだのは、ひとえにここの村の人々の温かみ溢れる人柄のお陰だった。


 私がトリップして来たのは、物凄くど田舎にある村だった。

 この国はアリュース王国といい、大きな大陸の北側にあり、大陸一大きな国らしい。しかし私がシャーペン片手にやって来たのは、王都からは手紙一つまともに配達されない様な、とんでもない田舎の村――サル村だった。



 突然放り込まれた、牧歌的な光景と意味不明な言語を操る白人達のオンパレードに、右も左も分からず泣くばかりの私を、家に引き取り、世話をしてくれたのは村長一家だった。私は面倒見の良い村人達に支えられ、どうにかアリュース王国の言語を覚え、生活習慣に馴染み、やがてサル村の村長の娘リサとして村の日常に不自然無く食い込み、気が付けば日本での生活は遠い幻の様にさえ感じられるほどになっていた。




 その日も私は村長に任されている雑貨店の店番をしていた。


「リサ、ちょっと村役場まで来てくれ!」


 珍しく血相を変えて店に走り込んで来たのは、村長の長男のクリスだった。

 どうしたの、兄さん、という私の言葉を無視して、クリスは私の手を引き、借り物競争のゴールを目指す選手の様に、村役場まで私を引きずって行った。


 村役場――といっても村長の自宅居間なのだが――の前には見た事も無いくらい立派な馬車がとめられていた。居間にクリスと入ると、見知らぬ男が二人、簡素なテーブルで村長の接待を受けていた。


「彼女だな?」


 恰幅の良い白髪のお爺さんが私達に気付き、村長に目配せをした。村長が笑顔で頷き、私をテーブルに呼ぶ。


「悪いねえ、リサ。店番中に。この方々がお前に会わせろの一点張りでねえ。お前の知り合いかい?」


 私は白髪のお爺さんと、茶髪で痩身の男の2人組を一瞥して首を横に振る。


「ううん。……他の村に知り合いいないし…。」


 私が答えると、白髪のお爺さんが咳払いをしてから立ち上がり、口を開いた。


「私はこの度、王都からリサという娘に会いに来た。」


 私達三人は目をしばたいた。王都なんて行った人も来た人も見た事が無い。


「村に違う世界から人間が迷い込んで来た、との書簡を王都に送ったのは、貴方ですね。村長。」


 暫しの沈黙の後、村長はポンと拳を手の平で叩くと、思い出したかの様に言った。


「送ったわい。王都なんぞ遠過ぎて無事届くとも思わなかったが、一応リサの事を知らせとかにゃと思ってな。六年も前にな。」


 それを聞いて痩身の男が目を剥いた。細面の顔から目玉が転がり落ちそうになっていた。


「ろ、六年前!?そんな馬鹿な。王都に書簡が届いたのは半年前ですよ。君いつこの村にやって来たんだい?」


 私が平然と六年前ですけど、と言うと、彼は更に目を剥いた。ちょっとその目、本当に落ちそうで怖いんですけど。

 唖然と立ち尽くしている二人をよそに、村長とクリスと私は腹を抱えて笑った。


「すげーな、サル村!同じ国なのに王都に手紙一つが届くまでに、六年もかかるのかよ!?」

「予想以上に田舎ですね、兄さん!王都の大神官が代替わりした話が五年後にようやく村に伝わった時よりも驚きですよ!」

「わ、ワシが出した手紙は六年もどこで油をうっとったんじゃ…!」


 ははははは、と腰を曲げて笑う私達に、白髪のお爺さんは突如怒声を浴びせた。


「何を笑っているのだ!!これは笑い事では済まされないぞ!異世界からの迷い人は、発見次第王都の中央神殿に通報しなければならない規則を知らなかったのか!?」


 村長はまだ笑いながら答えた。


「いや、じゃから通報したわい。直ぐに。でもいかんせん、ここはサル村じゃからの。」


 二人に茶を出す村長夫人も、肩を揺らして笑を堪えていた。一旦どうにか笑いを収めると、私は二人に尋ねた。


「ところでお二人はどなたですか?」

「私は中央神殿に勤める小神官のアイギルという。この若い方は、私の秘書のエルンデという。この度は中央神殿から派遣されて来たのだ。」


 私達は一瞬で押し黙った。

 小神官といえば、神職の超エリートの事ではないか。

 この国は一神教で、人々は信心深かった。どんな小さな村にも神殿はあり、王都にある中央神殿と最上位の大神殿は誰もが一度は行きたい、と願う場所だ。

 神職最高位は大神官であり、これは国王と同じく世襲で、一人しかいない至高の存在だった。その次に高位なのが一握りしかいない高神官、次いで高神官見習い、中神官、中神官見習い、小神官、小神官見習い、と高位の神官達がいて、その下に一位から七位まで七つの階級に分かれる神官、神官見習い、そして底辺に数多の神官修習生がいた。

 ちなみにサル村の周辺の村の神殿は、神殿長ですら神官見習いでしかなかった。

 つまり小神官なんてサル村の人間であればまず見たことはなかった。


「本当に…王都の小神官様で?」


 村長が震える声で確認した。


「いかにも。今回、久々に異界人の話を聞ける事を楽しみにしていたが、まさか六年も空白期間があったとは…。」


 頭を抱えてから気を取り直したかの様に深い溜息をつき、小神官は鞄からノートを取り出した。


「リサとやら。お前のいた世界は何という所だ?」

「えっと…。ニホンです。地球の。」

「固有名詞はエングリッシュで言ってくれ。」


 咄嗟に何を言われているのか分かりかねた。もしやイングリッシュの事か!?なんと小神官ともなると英語が出来るのか。六年前にサル村の人に必死で話し掛けても通じなかったのに。


「ジャパン国から来ました。アースにある。」


 すると小神官は途端に不機嫌そうな顔になった。


「アース。やはり第五界からか。異界人の二人に一人は第五界からだな。庇護費を請求したいくらいだ。」

「第五界って何ですか?あの、もしや私以外にも別世界から来た人がいるんですか?」


 私は興奮してまくし立てた。とうに諦めたこの種の情報が、今更目の前にチラつくとは想像もしていなかった。どうやら神殿は異世界人の情報を収集しているらしい。何やらノートにカリカリ熱心に書き込んでいた。


「広い宇宙には似た世界が幾つもあるらしい。何故かその異世界からごくたまに、人がやって来るのだ。神殿側が把握しているだけで第五界まである。来るのは十年に一人くらいの確率だが、始末に悪い事に、強い神力を持つ者が多い。だからこそ、神殿は異界人の登録を怠らないのだ。」


 なんと、私以外に異世界からこの世界へ飛ばされた人がいたのだ!十年に一人とは多くないが、それでも地球から来た人が他にいるのかも知れないのだ。

 神力とはこちらの神官達が使えるという、マジックパワーみたいなやつだ。残念ながら私はスプーン一つ曲げられた事が無い。ちなみに手品は嫌いだ。騙されている事が明白だからだ。


 秘書のエルンデが鞄からA4サイズの板みたいな物を取り出した。クリーム色のツヤツヤした石で出来ているようだ。表面がキラキラと輝き、不思議な色を構成していた。


「リサさん。これは神力審査石板という。君に神力があるかこれで調べたい。思念波をこの板に送って貰えるかな。」


 思念波なんてさらりと言われても…。そんなものどうやって送るんだ。そもそも思念波ってなんだろう。

 しかし、二人はいたって真剣に私を見ている。仕方ない。眉を寄せて、独断と偏見で私なりの思念波ビームを板に送ってみる。

 当然ながら、何事も起きなかった。私は二人がもういい、と止めてくれるのを待ったが、エルンデは親切にも助言をくれた。


「この石板の粒子一つ一つに、意識を集中して。その力を発揮するよう念じて。君ならやればできる。」


 どこかの塾のキャッチコピーみたいだ。私はもう一度難しい顔を作り、言われた通りに念じてみた。

 やはり何も起こらず、居間にシーンとした時間だけが虚しく流れる。何だか凄く不毛な事をやっている気がする……。もうやめよう、と顔を上げようとした寸前。

 カシャン

 と高い音をたてて、石板が粉々に割れた。エルンデの長い指の隙間からパラパラと石の粉が流れ落ち、彼の手を空にした。


「なんだあ?今の。」


 クリス兄さんが間の抜けた声を発した。対する小神官の声は震えていた。


「石板の許容範囲を超えたのだ。本来光り輝く筈なのだが……。私もこんな事は初めて見た!」


 私は慌てて謝罪した。


「す、すみません!何だかやり方が全く分からなくて。私のせいですかね!?弁償します!」


 秘書の説明が悪かったんじゃなかろうか、と密かに責任をなすり付けつつも、一応謙虚な態度を見せておいた。第五界人は図々しいと思われては堪らない。

 だが二人は上の空だった。


「これは大変な事だ。神力審査石板を壊すというのは、彼女に少なくとも高神官並の神力があるという事だ。」


 私は村長と目を合わせた。神力なんて無い筈なのに、そんな馬鹿な。その石板、最初からヒビでも入ってたんじゃないか……?


 だが小神官は興奮冷めやらぬ様子で言った。


「リサ。直ぐに中央神殿へ来てもらおう。」




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