最終章・夢のかけはし

早朝の訪問者

 朝六時少し前、控えめなノックの音で目が覚めた。


 ドアを開けた私の顔を見て「ごめんね」とつぶやいた彼女はベッドの上、私の向かいに座って静かに縮こまっている。


 聞こえてくるのは、にぎやかな小鳥のさえずり。セミもそろそろ目を覚ましたのか、ちらほらと鳴き始めている。


 でも目の前の人は……何かを言いたそうな顔をしてはいるんだけど、口は引き結んだまま。目はふらふらと泳いでいる。


「うーん、どうしたのかしら? まあいいわ。話してくれたなら、ちゃんと聞くから」


 思えば珠希さんは、昨夜からずっと様子がおかしかった。ご飯の時も、お風呂の時も心ここにあらず、といった具合だったけど……ここに来てから五分の間、言葉を発することはなかった。それは永遠とも感じるくらい長い沈黙。


 しかし、心の準備ができたのか、とうとうその口を開いた。


「ええっ!? 香坂くんに告白されたですって!?」


「しーっ、淑乃ちゃん、声が大きいよ……」


 蚊の鳴くような声を、私の耳はしっかりと捉えた。反射的にガッツポーズを取りそうになってたけど、みっともないのでなんとかこらえ、落ち着くために髪を整えた。


 そうよ、そうそう。やっぱりこういうのは男性の方からじゃないと。やる時はやるのね、香坂くんも。ああ、とうとうこの日が……願ってもいない事態に、十六歳の花の乙女だということも忘れ、どうしても鼻息が荒くなって。


 あの水着姿の写真がやっと効いたのかしら? ちょっと効き目が遅いけど、まあなんでもいいわ。


 とにかく今日はカップル成立を大いに祝わなければ。彼に出会ったら、よくやったと褒め倒してあげよう……目の前で耳を真っ赤にしてうつむく珠希さんに目線を戻した。オホン、となぜかおじさんみたいな咳払いが出てしまう。


「よかったじゃない!! で!? もちろんオッケーしたわよね!?」


「えっと…………」


 頭の中には……二人の結婚式で、友人代表のスピーチをする私。泣かずに最後まで話すなんて無理だから、ハンカチは絶対大きめのを持っていかないとね。それに、二人ともとっても幸せそう……いや、珠希さんはなぜか悲しそうな顔をして首を横に振っているわね。あら? 妄想に現実が混ざっている……。


「も、もしかして……こ、断っちゃったの?」


「うん…………」


「………え」


 ちょっと今、間違いなく心臓が一瞬止まったわよ…………これは……何が、起こったのかしら? 思ってもみなかった答えに天地がひっくり返るかのような衝撃を受ける。言葉が、見つからない。


 確かに珠希さんは、彼を好きだと言っていたのに? 動揺からめまいを起こしそうになりながら、原因究明のために冷静に記憶のページをめくっていく。でも、特に何も思いつかない。付き合っていないのが不思議なくらい、二人はいつだっていい雰囲気だったはず。


 もしや、私のあずかり知らぬところで、香坂くんが一発退場の致命的なミスをした? ……ああ、してるわ。


「たくさん食べるって言われたこと、やっぱり気にしていたの?」


 力なく首を横に振る珠希さん。しょんぼりした姿がまるでずぶ濡れの子犬みたい。じゃない…………こめかみを押さえながら、もう少し記憶をさかのぼってみる。次は透子さんの隠れ家での会話がヒットした。


 子供の頃に決められた婚約者がいると話した透子さん。代々魔術師のお家では、よくあることなのだと珠希さんは言ったけれど、自分に関しては否定も肯定もしなかったわね。


「もしかして、その。やっぱり、珠希さんにも透子さんみたいに、すでに将来をお約束している方がいるとか?」


「ううん。昔は、いたんだけど……いろいろあって今はいない、かな」


「だったら……」


「香坂くんには、私じゃ、絶対にだめ……だから、応えられないって言って、逃げちゃった」


「……ねえ、どうしてだめだと思うのかしら?」


 そう。香坂くんのことを好きだと認めておきながら、いつも『自分ではだめ』『私のことを好きなわけがない』という珠希さん。でも、彼の気持ちを知って、婚約している人もいないというのなら、なんの問題もなさそうなのに。


「だって、私は淑乃ちゃんや透子ちゃんみたいに美人じゃないし、スタイルも、頭も良くないし。不器用で、何にもできなくて……なんでもできる香坂くんとは釣り合わないし、きっと、ガッカリされちゃう」


「別にそんなことないと思うし、香坂くんがそんなこと気にするとは思わないけれど」


 珠希さんは、見たことないくらい深く沈んだ顔をしていて、なんだか本当の理由は別にありそうな気がした。じっと見つめていると、彼女は振りはじめの雨みたいにぽつぽつと語り出した。


「私ね、男の人が怖いんだ。昔、ちょっとしたことがあって。助けてくれた香坂くんにすごく酷いこと言ったこともあるのに、それでも良いよって。怖がってもいいからって、近寄ってくることもなくて。でも、変わらず優しくしてくれて、それで」


「怖いと思いながらも、好きになっちゃったのね」


 珠希さんはこくりと頷いた。いつのまにか、その目からもぽろぽろと雨を降らしている。香坂くんは、珠希さんと二人きりになることを徹底的に避けていた時期があったけど、そういう事情だったのね。てっきり照れ隠しかと。


「本当はすごく嬉しくて、そばにいられたらって、思ったんだけど。でも、また酷いことを言っちゃうかもしれないのが怖くて。それに、私はみんなにたくさん隠し事をしていて、本当は、誰とも関わっちゃいけない人間かもしれなくて」


 いつも朗らかに笑っている珠希さんだけど、時々濃い憂いの顔を見せる。なにか触れてはいけないものを抱えているような気はしたけど、それは思ったよりも冷たくて大きいものなのかもしれない。でも私は、歩み寄ってくれたこの子のことをとても大切に思っている。


「……そうなのね。でも、好きでそばにいたいと思っていることは伝えたほうがいい気がするわ。だって過去は変えられないけど、未来は新しく作れるじゃない。私は手を伸ばしてくれて、仲良くしてくれるあなたが好きだからずっと味方するわ。きっと彼もそうだと思うの」


「淑乃ちゃん…………」


 そっと身を寄せられたので、そのまま受け止めた。この柔らかい体を抱きしめるとなんだかほっとするわね。確かにふっくらしているというのは魅力的なのかも……だから、悪気なくああ言ってしまったというのにも、不本意ながらも納得してしまった。


「さ、そろそろ朝ごはんの時間だから涙拭いて。香坂くんにはちゃんと本当のこと伝えてあげてね。さてと。じゃあ、昼休みは私はひとりご飯にしますかね」


「うん。ありがと……がんばるね」


 涙を拭った珠希さんはすっかり笑顔。よし、これで私の大いなる計画が白紙にならずにすみそうだわ。香坂くんを、なんと言ってからかい……じゃなかった褒め倒そうかしら。考えるだけでウキウキしてくるわね。


 そろそろみんなが食堂に向かい始めたのか、廊下が騒がしくなってきた。私たちもと立ち上がろうとした時、ドアを激しくノックする音。驚いて肩が揺れてしまった。


「淑乃ちゃん! 入っていい!?」


「ど、どうぞ?」


 勢いづいた千秋さんが転がり込んでくる。そんなに広くない部屋だから、引いたままだった私の椅子を巻き込みながら、痛そうな音を立てて転び……そのまま動かなくなってしまった。


「千秋ちゃん!?」


「どうしたの!? 大丈夫!?」


 ふたりしてベッドから降りて声をかけると、千秋さんは素早く起き上がる。体を打っているはずなのに、自分のことを気にする様子もなく、ひどく慌てた様子。目の前にいた珠希さんの両肩に手をかけ、大きな声を上げた。


「ああっ! たまちゃん、やっぱりここにいたんだ! ねえ、二人とも大変! 香坂くんが!」


 まさか、さっきの会話を聞かれていた? と思ったけれど……それにしては妙に顔が青い気がする。


「……どうしたのかしら?」


「寮からいなくなったんだって……先生とか役員の先輩が大騒ぎしてる」


「えっ………………」


 珠希さんの身がぎゅっと固くなったのがわかった。昨日の今日なら、もしかしたら自分のせいかと思ったのかも。落ち着かせようと背中をさすってみると、小刻みに震えているのがわかった。背をさする手は止めずに、珠希さんとベッドに座り直し、私は千秋さんの方に向き直った。


「ねえ、そこら辺を走ってるんじゃないの? 暇があったら敷地内を走ってるみたいなこと言ってたし、早起きしすぎて暇だったからとか」


 ……と言うより、珠希さんにフラれて落ち込んだから、吹っ切るためにとか。ヤケになると飛び出しちゃうタイプの人っているじゃない……きっと彼もそれなのでは。今日は平日で、もうこんな時間だしそろそろ戻ってくるんじゃ、と思ったけれど、千秋さんは首をぶんぶんと横に振った。


「なんか、先生とかスタッフさんが探査をかけても全然かからないし、防犯カメラ見てもどこにも映ってなくて、校外に出た様子もないんだって。だから、から専門の人が来るらしいってお姉ちゃんが」


「……え?」


 思わず口の中を飲み込んだ。失恋の痛手を癒すために朝日でも見にいったんだろう、くらいにしか思っていなかった。もしかして、事態は思ったより深刻?


 聞くところによると、春に防犯カメラを掻い潜って塀を乗り越え、校外に出た新入生がいたらしい。それは逆に外から入ってこられるという事でもあるから、五月にはカメラの台数が倍ほどに増やされたという。


 ……カメラに映らずに外に出るには、魔術を使ってごまかすしかなさそうだけど、そんなことが一年生の私たちにできるわけがない。それに、学校内には魔力感知センサーがそこかしこに設置されていて、校内での魔術の使用は全てモニターされている。夜中にそんな高出力の魔術の使用が感知されたら、すぐに当直の魔術師が飛んでくるんだそう。


 ところで、あんな高い塀を乗り越えてしまうなんて、どこのおてんば娘? と思ったけれど……ああ、とにかく、今やこの学校の敷地内から誰にも掴まれずに外に抜け出すのはかなり難しいということ。


 だったらどうして?


 すると、遠くの方からパトカーとも、救急車や消防車とも違う独特のサイレンの音が聞こえ、徐々に近づいてくる。千秋さんの言葉通り、魔術庁の人たちがやってきたらしい。


 そう。単に行方がわからなくなった、というならやってくるのは警察のはず。そっちにも人探しを専門とする魔術師さんはいらっしゃるわけで。こんな早朝に、直接そちらがやってくるなんて。


 そう、身近すぎてすっかり忘れていたけれど、彼は世界で唯一の存在。いなくなったと聞けば、国の人がこんな朝早くからすっ飛んでくるほど貴重な人。私には難しいことはよくわからないけれど、やっぱり特別……透子さんも、前にそのようなことを言っていたもの。


 ふと、脳裏に先週の木曜日に現れたらしい侵入者のことが浮かぶ。噂によると、追い詰めた先生たちの目の前から、瞬間移動で消えおおせたらしい。まさかとは思うけど、その手のやからが香坂くんを? でも、そこまでの魔術の使い手なら、人ひとりをセンサーすらごまかしてさらうなんて簡単なのかも…………。


「ねえ、要するに、行方不明ってことよね……まさか、誘拐?」


「ええっ!? 誘拐!?」


 つい、縁起でもない事が口から出てしまう。千秋さんが素っ頓狂な声をあげ、珠希さんは両手で口を覆い、さらにその身を固くした。三人して絶句していると、廊下にいつもの元気な声が響き渡る。


「ちょっと! みんなー! そろそろ朝食の時間だよー! ぼちぼち食堂に行くことー! おっと、君たち。やっぱり仲良しさんだね」


 上崎先輩が開いたままのドアから顔を出した。寮の役員の一人である先輩はすでに制服姿で、いつもの通り……いや、すでにあちこち走り回ったのか、少し汗ばんでいるようにも見える。


未来みく先輩、香坂くんは見つかったんですか?」


「ああ、ちあ千秋ちゃん。ちーお姉ちゃんに聞いたのかな? えっと、そのことに関してはちゃんとやってるから……ああ、君たち彼と仲良かったもんね。気持ちはわかるけど、落ち着いていつも通り過ごすこと」


 笑いながらそうは言うけど、友達が行方不明と聞いて落ち着けるわけがなくて……もしも何かあったらと思うと、心臓がドキドキして何も返せない。珠希さんも千秋さんも同じ様子だった。黙り込んだ私たちを見た先輩は、ひと目を気にするような様子を見せながら部屋に入ってくる。私たちの輪の中に向かい、そっとつぶやいた。


「ここだけの話だけど、今、東都うちには探査がすっごく上手な先生やスタッフさんっていないんだよね……だから、本庁から人が来てくれたらすぐに見つけてくれるんじゃないかな」


 上崎先輩の言葉に、その場ではほんの少しだけ安心した。でもよく考えたら、普通の探査にかからないということを否定したものではないと気づいて、心配が増しただけだった。

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