第56話 吸血鬼の館にて
『吸血鬼の館』
入り口にそう書かれた看板が掲げられている、特別棟にたどり着いた。おそらく魔術で作られふわふわとあたりを漂う赤い光と、誘導灯にぼんやりと照らされているだけ。ここから中の様子を窺い知る事はできないが、耳をすませば時々悲鳴が聞こえてくる。
「ここって靴はこのままでいいのかな」
「いいみたいだな」
俺が入り口ドアの横を指差すと、本城さんがうなずく。そこには白い紙に丸っこい文字で『土足OK』と書かれた貼り紙が。おどろおどろしい雰囲気に全然マッチしていないのが、むしろ不気味に見えて恐怖を誘った。
解放されたままのドアから、おそるおそる中に足を踏み入れる。授業や補講でほぼ毎日訪れている特別棟だが、窓を塞がれた廊下にぼやぼやと赤い光が浮かんでいるせいで、別世界のように見える。
うっ、怖い。
本当は逃げ出したかったが、本城さんに無様な姿を見せられない。意を決して前に進もうとした時、後ろに引っ張られるような感覚、背筋がヒヤッとする。
何かに引っかかったのか、それとも……ゆっくり振り返って見ると、本城さんが俺が羽織っているシャツの裾をつかんでいた。
「あっ、ごめんね。服、伸びちゃうよね。怖くて、つい」
本城さんはうつむいて、つぶやくように言った。彼女も怖がりなのか。普通ならこれは『じゃあ手を繋ごう』と言って、好きな人の手を自然に取れる絶好のチャンスなんだろう。
「いいよ、そのままでも。行こうか」
「……ありがとう」
服をつかむ手にギュッと力がこもった気がした。もし頼ってもらえているのだとしたら、単純に嬉しかった。
さて、目の前の張り紙によると順路は左らしいが、その横にある階段からゆっくりと足音が降りてくる。まずは何だ!? 半歩下がり、息を飲む。本当は恐ろしいがそんな事は言っていられない。目を凝らすと人影が二つ並んで降りてくる。俺が彼女の盾にならねばと、身構えた。
「「いやああああ!!」」
「きゃああああ!!」
「うわああああ!!」
向こうが真っ先に叫んだ。続いて本城さんが叫び、情けなくも俺もつられて絶叫したが……落ち着いてよく見ると、二人組の片方は浴衣姿。しかも、同じクラスの子だった。
「び、びっくりした! 香坂くんか! 背が高いから、またあの吸血鬼が出たのかと思った!」
背が高い吸血鬼ってたぶん紺野先生のことだよな。『また出た』って何だろう。出たり消えたりするんだろうか。散々世話になっておきながらこんなことを思って申し訳ないが、嫌すぎる。
二人とは別れ、気を取りなおし順路に沿って廊下を進んだ。廊下には十字架やらニンニクがぶら下がっているが、吸血鬼の館にこんな物があったらおかしいのでは? 設定がよくわからないなと首を傾げる。本城さんは相変わらず俺のシャツの裾を掴んだまま。互いに息を殺したまま進む。
立てかけられていた棺が当然開いて、中から先輩が扮する吸血鬼が姿を表し、二人して叫ぶ。教室のドアから色々と飛び出して来るたびに悲鳴を上げながら、何とか一階の中ほどまでたどり着いた。
まだ廊下は続いているが、目の前には右向きの矢印が描かれた看板が浮いている。
「階段、上がるのかな?」
「そうみたいだな」
ゆっくりと階段に足をかけた瞬間、背後からキーキーと何かの鳴き声。思わず身を縮める。暗闇からコウモリが何匹も現れ、俺たちを追い抜くように飛んでいくと踊り場で煙のように消えた。
「び、びっくりした! 設置型だね。暗くて仕掛けは見えないけど」
「高学年にもなれば、こんなこともできるようになるんだな……」
「だね」
俺たちはまだここに入学して三ヶ月と少し。魔術に関しては基礎の基礎しか学んでいない。しかし、ここで驚かせる側に回る四年生にもなると、魔術師の補助として外で仕事をすることもある。もうほとんど一人前なのだ。
◆
「香坂くん、あれ、スタンプじゃない?」
二階も一階と同じような雰囲気だった。少し歩いたところで本城さんが指さす先を見ると、教室の中にスタンプ台が設置されているのが見えた。
「ああ、やった、あれを押したら終わりだな」
「う、うん」
前後左右を警戒しながら、ゆっくりと立ち入る。また今までのように何かが仕掛けられているかもしれないと思ったが、特に何も起こらない。
というより……セットも何もない。窓も塞がれてすらおらず、普段はいっぱいに並べてある机が後方に集められているだけ。時間がなくて、ここまで作り込む時間がなかったのだろうか?
「クックック、罠にかかったねえ」
耳元で確かに紺野先生の声。見回しても姿が見えないし、気配すら一切しないのにだ。
魔術か!と思った瞬間、首筋に冷たいものがまとわりつき、チクッと刺すような痛みが走る。思わず首を触るが特に傷はついていない。その間、ずっと耳元で先生の笑い声が響きっぱなし。
「きゃっ、何かきた!」
本城さんが叫ぶ。コウモリの大群が教室に飛び込んできて、ベタベタと窓に張り付いていく。
「うわあああああ!!」
ドアが大きな音を立てて勝手に閉まり、あっという間にあたりは暗闇に包まれた。本城さんが息を引き、シャツを引く力が今までで一番強くなる。俺も震えが止まらなかった。
これは単なる肝試し。なのに命の危険のようなものを感じて、心臓が早鐘を打ち止まらない。早く目の前にあるスタンプを押さなければ!
真っ暗闇の中、そこにあったはずのスタンプ台に向かって手を伸ばすと、目の前がバッと赤くライトアップされる。
「ふふふ、これで君も僕のしもべだねえ……」
怪しく笑う吸血鬼が鼻先に立っていた。
「ぎゃああああ!!」
…………たとえ一緒に暮らしていても、突然目の前に現れたら驚くに決まっている。
飛び上がった俺は、背後にいた本城さんに思いっきりぶつかり、もつれあうように転倒する。背中に強い衝撃を受けうめくと、ふたたび赤い光が消え暗闇になり、紺野先生の高笑いがそこらじゅうに響き渡った。
幸い頭は打たずに済んだが、いろんなことが一度に起こりすぎて、中は大変なことになっている。身体が重く床に縫い付けられたかのように動けない。金縛りかと思ったが……そうではない!
「ううん……」
俺の上に本城さんが覆い被さっていることに気がつき、全身に電撃が走った。視覚以外の五感が限界まで研ぎ澄まされてしまい、真っ暗闇なのに、頭は真っ白になっていく。
上から下まで全てが柔らかくて、少し汗ばんでいるのにいい匂いがして、温かくて。呼吸の音どころか鼓動まで直に聞こえてくる。触れてしまっている。いや、密着してしまっている。思いっきり。
……先日見た裸で抱き合う夢と、さっき森戸さんに見せられた水着姿。その他もろもろ。頭の中の引き出しからポンポン飛び出してきて、グルグルと回りだす。ああ、生きててよかった……違う!! 余計なことを考えるな!!
俺の邪念と同時に窓に張り付いたコウモリが消え、月明かりが差し込んでくる。今日の月はほぼ満月、そして目の前にはまん丸の目が。
「あ、いや、ごめ、ごめんね!? 環くん!!」
「こっちこそごめん!!!!!!!!!!!」
本城さんは飛び上がるように俺の上から退いて立ち上がった。俺も慌てて起き上がる。しかし彼女が立っていられたのは一瞬。そのまま床にへたり込んで両手で口を覆い、ガクガクと震えている。俺も全身の血が暴れまわって、心臓が破れてしまいそうだ。
まずいことになってしまった。さっき、ラッキーなどと思ってしまった自分を脳内で殴り飛ばす。あれだけ密着してしまったのだ、身体が反応してしまったことに気づかれたに違いない。あまりのことに血が冷えていき、目の前が真っ暗になる。
「ごめ、ごめんね。もう大丈夫だから……あの、私のことはもう気にしないで……」
こちらに背中を向けてうずくまった彼女の言葉にとどめを刺された。どうしよう。せっかく少しは気を許してもらえていたのに、裏切るようなことになってしまった。今度こそ、きっと、本当に嫌われてしまった。
「クックックッ…………さあ、我がしもべよ、そのお嬢さんの首筋に噛みつくがいい」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか。揃ってへたり込んだ俺たちを覆い隠すように背後でマントを広げ、高笑いする綺麗な吸血鬼………じんわりと頭に血が上ってきた。
「いや先生、おかしいでしょう。ちょっと」
正気を取り戻した俺は立ち上がった。ノリノリの吸血鬼の胸ぐらを押して、赤い光が浮かぶだけの廊下に連れ出し、そのまま壁に押し付ける。いつものようにひらひらと逃げられると困るので、その体を挟むように両手を壁につき退路を絶つと、先生は小さな悲鳴をあげた。
「ちょ、ちょっと……だ、大胆だね環くん」
身長差があるので俺が先生を睨みあげるような形になる。暗いので顔色まではわからないが、先生はなぜか恥じらうように口元を覆っていた。
「……なんでそうなるんだよ! あっ、違います!! 先生! なんつーことをするんですか!?」
「演出だよ演出。本当に首筋に噛みつけってわけじゃないよ。当たり前じゃないか。さすがにああなってしまったのは誤算だったけどねえ」
「わかってますよそんなことは!! そうじゃなきゃまずいでしょう!! ていうか、俺と本城さんをわざと組ませましたね!?」
さっきからずっと抱いていた疑問をぶつけた。だって、あまりにも不自然すぎる。肝試しの参加者は数十人いるのに、なんで運良く本城さんと当たるんだ。何らかの不正行為が行われたとしか思えない。俺の追及を受け紺野先生はキョトンとしているが、絶対騙されないぞ。
「えっ!? どうして僕にそんなことができると思うんだい?」
「しらばっくれないでください!! 俺のカードを持ってきたのは先生です!」
「いや、僕は役員の学生が持ってきたカードの束の中から、適当に一枚引いただけだよ。だから、手の入れようがないというか。残りのカードはランダムに配布されてるはずだし」
「……本当ですか?」
「……ちょっと、本気で疑ってるのかい?」
「はい…………」
先生は大袈裟にため息をつく。
「……はぁ。僕は天地神明に誓って何もしていないよ。強いて言うなら、君たちは運命の赤い糸で繋がってるから、なんじゃないかな」
「は!?」
この人は突然何を? 運命の赤い糸だと? 知識にないわけではないが、実際には初めて聞く言葉。
「同じ名前の二人がなんて、本当にロマンチックだねえ。身近でこんな素敵な話を聞けるなんて、実にいい夜だ」
窓の方に顔を向けた先生は、うっとりと何かに想いを馳せるような表情。クソ。何が運命の赤い糸だ、ロマンチックだ。そんな空想みたいな話あるわけないだろう。だいいち俺は彼女に……イライラして奥歯を噛み締め、先生から目をそらす。
しかし、本城さんになんと言って謝ればいいのか。いや、謝ったところで、もう取り返しがつくとも思えないが…………。
「ああ、そうだ環くん。彼女、この間ね」
先生が何かを言いかけたその時、目の前が突然真っ白になった。
「「キャアアアア!!」」
突然、光を向けられた。のちに複数人の悲鳴が上がる。ん? 何かあったのか? 首を傾げて光源を見つめる。どうやら、俺たちを見て上げられた悲鳴らしい。
「こ、ここここここ香坂くん!? こんなところで何やってるの!?」
逆光の向こうから聞こえてくるのは、馴染みのある声。三井さんだ。その横で彼女のパートナーが指先で何かを光らせている。上級生のように見えるから、きっと魔術の灯りだ。
何をしているかって? …………ん? 待てよ?
俺は今、紺野先生を壁に押しつけた状態………そしてそのまま顔を近付け会話を…………あ、もしやこれは、多大なる誤解を招くポーズなのでは。
「あ、あの、先生と、一年生の彼は、
三井さんのパートナーがそう口走ったことで、俺は弾かれるように後ろへ飛んで、バランスを崩し尻餅をついた。すでに恐れていた事態になっている。全身の毛穴が開いたかと思う勢いで冷たい汗が吹き出す。だって、なぜなら、そこに並んでいる人物の中には。
「そっか……香坂くんって……そうだったんだね。なんか、邪魔してごめんね」
本城さんの困惑したような呟きが、確かに聞こえた。その声をとらえた方の耳から頭の中が徐々に白く染め上げられていく。
…………完全に、終わった。とうとう心が砕け散った気がして、俺はその場に倒れ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます