女子寮にて

「あら、もうお風呂の時間なのね」


 時計を見ると、自然とひとりごとが出てきた。親元を離れて慣れない生活をしているからなのか、時間が経つのを早く感じる。


 私、森戸 淑乃もりと よしのは国立東都魔術高等専門学校に入学したばかりの一年生。昨日の騒動の原因になってしまった私は、今日の学校が終わったあと、一ノ瀬先生に連れられて学校近くの診療所へ。


魔術の心得もあるという女性のお医者さんが主治医になってくれた。一通り診察を受け、気持ちを落ち着けるお薬をいただいて帰ってきた。ちょっと変な味だけど、仕方がない。


 そのあとは自分の部屋でひとり、明日から始まる授業の準備をしながら、教科書をめくって。それに飽きたら持ち込んだ本を読んで。そうしたら、いつのまにかこんな時間になってしまった、というわけ。


 寮での入浴時間、二つある浴室のうちどちらを使うかは、名簿順に決められた班ごとに決められる。今週、私の班は夕食前の一番早い時間帯が割り当てられていた。


 もう部屋を出ないと。あわてて入浴の用意を持って、ドアノブに手をかける。そのままドアを半分ほど開けるとゴツン、と鈍い音がしたので一度閉めた。


 何かドアの前に置いてあったのかしら。もう一度そっと……。


「あっ!? え、えへへ」


 ドアの前に、本城さんが立っていた。私と同じようなものを持って。ああ! もしかして、彼女にぶつけてしまったの!? 血の気が引いた私に向かって、本城さんはにこりと笑う。


「森戸さん、一緒にお風呂行かない?」


「え、ええ、いいわよ。それよりもごめんなさい! もしかして、頭……」


「大丈夫……石頭だから……」


 本城さんは頭を押さえるとカクリとうなだれた。やっぱりぶつけてしまっていたのね!?


「本当に大丈夫? 医務室に行った方が」


「大丈夫だよー」


 本城さんはパタパタと手を横に振ってみせた。本当になんともなければ良いのだけれど。ドアに鍵をかけ、二人で緑の絨毯敷きの廊下を歩く。


 本城さんはなんでも、廊下に張り出してある割り当て表を見て、わざわざ誘いに来てくれたんだとか。


「森戸さんは一人部屋だったんだ。寂しくない?」


 そう、私はなぜか一人部屋を当てられている。通常なら三年生までは二人部屋なのに。理由はよくわからなくて、事情があるとだけ伝えられていた。


 国から特別奨学金をつけてもらっている関係かしら? それとも、一人余っちゃった? なんて考えていたけど、昨日のことがあって考えを改めた。


 どちらかというと、突然赤の他人と近い距離で生活をすることで、昨日みたいな事態になることを警戒されていたのかもしれない。


「気楽でいいかもしれないわね。本城さんは二人部屋でしょ? 同室の子とは仲良くできてる?」


「うん、いい子だよ。でも同じ寮に四年生のお姉さんがいて。なにかとお姉さんの部屋に行っちゃうから、けっこう部屋にひとりなんだよね。ご飯もひとりだし」


 そう言う彼女は心なしか寂しそうに見える。それにしても、姉妹で寮を別にしたりしないのね。それに、学校の寮にいるのにそれってどうなのかしら……思うことは色々。


「寂しくない?」


「ちょっとだけ。仲のいいお姉さんがいるのはうらやましいなって気持ち」


 珠希さんは屈託なく笑う。階段を下りて、左に曲がった廊下の突き当たり、右手にある第二浴室。ドアを開けて中に入る。


 脱衣場にはロッカーが両方の壁際にずらっと並んでいて、中には白い脱衣かごが一つずつセットされている。まだ誰も来ていなかったから一番端のロッカーを選び、カゴの中に荷物を入れた。


 さっそく服に手をかけようとしている本城さんに、私は勇気を出して聞いてみた。


「そうだ。これから一緒にお風呂に行かない? もしよかったら、ご飯もいっしょに……」


 本城さんはキョトンとしたのちパッと笑って、何度も頷いてくれる。私を見つめるキラキラした丸い瞳は、なんだかとっても人が良さそうに見える。……いや、実際にかなり良さそうな気がするけれど。


「やった! よろしくね、淑乃ちゃん!」


 私の目も、今はきっと彼女みたいに丸くなっていそう。本城さんは少し慌てたような顔。


「ごめん突然、嫌だったかな?」


「いいえ、ちょっとびっくりしただけ。うれしい。こちらこそよろしくね、珠希さん」


 お互いに笑い合う。仲良くしてくれる子がいてくれるのは嬉しいことよね。


「あ、一年生ちゃん? いらっしゃいませ! 入浴時間は短いよー! 急いで急いで!」


 奥から突然顔を出した先輩に、二人して驚いて肩を揺らしながら……急いで浴室に飛び込んだ。指定された残り時間はあと二十分。せっかくの広い湯船なのに、ゆっくり入れないのが残念。だけど、それもまた楽しい、かしら。



 ◆



 夕食までの少しの時間を一緒に過ごしたくて、珠希さんを誘ってみた。笑ってついてきてくれた彼女を、自分の部屋に招き入れる。


「個室ってこんな感じなんだ。思ってたよりコンパクトだね」


「そうなの? またそちらにもお邪魔してみたいわ」


「うん、また来て」


 ベッドと机、本棚と服なんかをしまっておく物入れ……それだけで既にいっぱいなこの部屋は、二人でいるにはなかなか窮屈。でも秘密基地にいるみたいでワクワクする。


 交代で髪を乾かしてベッドに二人並んで座り、寮で用意してくれているお茶を飲みながら話をする。お風呂上がりに友達と話すなんて、まるで修学旅行にでも来たみたいね。


「珠希さんも同じシャンプー使ってるなんてね。私もこれが好きで昔からずっとこれなの」


「うん、私も。気が合うね……」


 そう言った珠希さんが乾かしたばかりの自分の髪をつまんでカクリとうなだれた。どうしたのかしら? と思ったけれど、理由はよくわからない。


「淑乃ちゃんは髪が長くて綺麗だよねえ。私は髪質よくないし、こんな短いから。いまひとつかも」


 私のような真っ黒じゃない少し軽めの色をしていて、顎の下のあたりで短く切りそろえられた髪は、コロコロとよく笑う彼女にとても似合っていると思う。


 それに洗うのも乾かすのも楽そう。今は、お風呂の時間が限られてしまうのに、私の長い髪は色々と手入れに時間がかかりすぎる。


「私も髪を短くしようかしら」


 ぽつりと漏らすと、珠希さんが目を見開き、すごい勢いで首を横に振った。


「だめだめ! もったいないよ、すごく綺麗な髪なのに! いや、淑乃ちゃんならどんな髪形でも可愛いかも……なんてったって美人だし」


「……あ、ありがとう」


 今までからかわれはしても、褒めてもらえたことはなかったから嬉しかった。珠希さんは頭を抱えながらくるりとうずくまっていた。なんか昼間に見た誰かに似てる。彼女と同じ名前の


「昼間の香坂くん、おかしかったわよね」


 頭に思い浮かべた名前を口にすると、珠希さんはゆるりとその身を起こした。乱れてしまった髪を整えながら、こちらを向く。


「うん。すっごい遠いところから出てきたみたいだけど、どんなところなのか気になるよね」


 彼女も私と同じことが気になってたみたい。彼は地方から出てきたとは言っていたけれど、温泉はみんな混浴だと思っていたって、一体どんな環境で育ったのかと気になって仕方がない。ここに入れたってことは頭が悪いわけでもないでしょうに。不思議な人。


 私は今までに色々ありすぎて、男子のことは吐き気がするほど嫌いだけど。勝手な思い込みで酷いことをしてしまった私に対して、まず心配してくれたような人だもの。歳の割には思慮深そうにも思えるし、決して悪い人ではないはず。


 ちょっと、ちょっとだけだけど、彼に興味が湧いている。なんだか放っておけない、そんな気持ちすら持ってしまって。


「明日、彼を昼ごはんに誘ってみようかしら」


 珠希さんがわたしの方に身を乗り出してきた。その栗色の瞳に私の顔が映るのが見える。


「え、それ私もいっしょに行っていい?」


「ぜひ。私一人よりは、彼も気楽でしょうしね」


「そうかなあ? 私なんかいてもいなくてもいっしょだよ。せっかくだから透子ちゃんも誘っていい?」


「四宮さん? いいんじゃない? 一番仲が良さそうだし」


 昨日の今日だし、さすがに二人きりは気まずいとは思ってたから珠希さんも来てくれるのは助かる。ううん、最初から彼女も誘う気でいたけど。なんとなくだけど、彼は彼女のことを気にしてるような気がしてならないと思って。


 ……二人がくっついたらどうなるのかしら。ふとそんな妄想が頭をよぎる。名前が同じカップル、そういう少女漫画を読んだことがあるような。現実にいたら面白そうよね、よし。


「このあと食堂で会えたら聞いてみよ?」


「そうね。あ、そろそろ時間だし行きましょうか」


 ドアを開ければ、他の子も食堂に向かい始めていた。私たちもその流れに乗って、並んで廊下を歩いた。


「お腹すいたなあ。今日の晩ごはんはなんだろうね」


「……野菜が入ってないなら何でもいいわ」


「ええー!? 淑乃ちゃんお野菜ダメなの!?」


 ……珠希さんの笑顔を見ていると、さっきの妄想がまた浮かんでくる。趣味が悪いかもと思ったけれど、なんだか明日が楽しみでたまらなかった。

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