第19記:遊戯

 今日は晴天に恵まれた。梅雨の晴れ間である。この好機を逃す手はない。ベランダの物干し台に脱水衣類(及び、ジーンズ)を吊るした。空いているスペースに枕と布団を干した。ついでに靴(軽く洗ったもの)も乾かした。

 その後、駅前の商店街に行き、買い物を済ませた。家に戻り、愛機を起動させて、ぴよぶっくを呼び出す。編集作業に没頭する。

 作業に疲れたら、コーヒーを飲んだり、ラジオを聴いたり、チェスを指したりして、気分を転換する。休日平日に関係なく、最近はチェスを指す(と、云っても、マシン相手だが…)時間が増えている。まさか、こんなに凄いゲームだとは思っていなかった。


 ポータブルチェス(ハナヤマ社製、お値打ち品です)の外箱の表面に「世界が愛した遊戯」と、記されている。確かに「世界に愛されても」不思議ではない。抜群に面白いからだ。将棋も面白いけど、チェスも面白い。そして、どうやら、後者の方が、俺の嗜好や性格に合っているらしい。

 腕を上げたら、機械ではなく、人間と指してみたい。どこに行けば指せるのか、調べているところである。


 今日はダサク2頁とダブン2頁を投稿した。自分でも驚く(厭きれる)ぐらい生産性が低い。低いけど、無理矢理高めようとは思わない。俺の場合、自分自身が楽しくないと「一字も書けない…」のである。

 小説はどう書けばわからなくて、毎回頭を抱えているが、随筆の方はそれほど苦労はしない。少なくとも、頭を抱えることはない。主人公は「俺」だから、悩まずに書ける。ヒーローならぬ俺にヒーローの心理は理解できないが、自分のそれはさすがにわかる。考えたこと、浮かんできたことを、そのまま文字にすれば良い。ある程度動き出したら、後は筆に任せる。原稿用紙は自然に埋まる。〔6月28日〕


♞チェスの面白さに気づき始めたらしい。自分がこのゲームにまったく不向きであることに気づくには、しばらく時間がかかる。腕を上げたら…などと書いているが、結局、上達することはなかった。チェスや将棋を指す能力、いわゆる棋才に欠けているのである。

欠けている者が何をやっても無駄だ。但し、親しんだり、楽しんだりするのは自由である。その権利まで取り上げられる覚えはない。本格的にやるのならば別だが、我々へっぽこは、コンピューターチェスで充分だろう。悪手や愚手を指しても、機械は怒らない。そこがいい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る