第2話

 はしの宮の王女。

 華王国で私はそう呼ばれていた。

 後ろ盾のない王女として、ひっそりと目立たぬよう、侘しい宮に暮らしていたからだろう。

 私の宮は王宮の最北部にあった。



 私――李 詩月シーユェは華王国の王女の一人として生まれた。

 なかなか華々しい人生の幕開けだった。

 なにせ大国、春帝国の皇族を祖母にもち、母は華王国きっての名門貴族出身だった。勿論母は国王の正妃で、私はまさに血筋が良いサラブレッド王女だった。

 だが正妃が生んだ唯一の王女という立場が、逆に私の前途を多難にした。

 同母兄と異母弟の王位争いに巻き込まれたのだ。


 結果的に正妃であった私の母は早くに亡くなり、その実家もあえなく没落し、国王である父亡き後は、仲の悪い異母弟が王位を継いだ。

 王子であった同母兄は反逆罪で幽閉され、私は子どもの頃から相当微妙な立場の王女だった。


 王宮の住人たちは、空気を読むのが上手い。

 半壊どころか、足元がほぼ崩れた王女である私の周りからは、怒涛の勢いで人々が逃げた。

 妙な火の粉を被りたくない他の王女達は、私との交流を全力で避けた。

 血は水よりも濃い、などと言ったのは一体誰だろう。



 そうして忘れられたままならば、良かったのだが――私が十三歳の時、事件は起きた。

 華王国は決して大きくはないが、急速な軍事化によって近年膨張し、北にある黒龍国とやたら小競り合いが増えていた。

 せめて南の国とは仲良くしようと目論み、まとまった話が華王国の王女と南の清雅国の国王との縁談だった。

 ところが華王国の王女たちは、皆この縁談を拒んだ。

 なぜなら清雅国の国王は、あまりに高齢だったから。

 どうやら我が国は当初、王女と清雅国王太子の第一王子を結婚させようとしていた。それならばそこそこ年齢が釣り合うからだ。

 ところが清雅国王は頑なに「王女は私に寄越せ」と主張し譲らなかったらしい。

 要するに清雅国王は多分、変態だった。


「歯はもう一本もないらしいわ」

「腰がすっかり曲がって、お一人では立ち上がれないとか」

「ひ孫どころか玄孫もいるのよ」


 変態なだけでなく、国王には魅力的な情報が全くなかった。

 寧ろ悪い情報ばかりが、瞬く間に飛び交った。

 当然ながら、私の姉妹である他の王女達は、激しい拒絶の意思を表明した。


「清雅国に行かねばならないくらいなら、頭を丸めますわ!」

「私の母は卑しい生まれの側室ですもの。私には大役過ぎますぅ」

「六年前に亡くなった母方の甥の従兄弟の子どもの友人の喪が、まだ明けてませんの」


 果ては持病として謎の腹痛を訴え、自室に籠る王女までいる始末だった。

 その為、最終的に候補として残ったのが私だった。

 私の母は前正妃とはいえ、私は表向きは華王国の国王の正妃から生まれたただ一人の王女だ。

 国王に呼び出された時点で、話は既に勝手にまとまっていた。



 私には悪夢でしかなかったが、華王国の年若い国王にとって、これは願ってもない縁談だった。

 なぜなら私を厄介払いできるのだから。


 国王である弟は、まだ幼さの残る、全然可愛くない笑顔で私に言った。


「姉上。まさか断ったりなさらないでしょう? 貴女なら行ってくれるでしょう?」


 この後に弟が言う台詞は、容易に想像がついていた。


「詩月姉上が反抗的だと、冷冷宮にいる慎兄上が困りますよ」


 血の気が引いた。

 これはこの弟――勇王子の昔からの常套句だ。

 弟は顔が悪いが、性格も悪かった。

 私の同母兄は、王都の北にある離宮の冷冷宮に幽閉されている。その兄の安全を脅しに使うのだ。

 黙り込んだ私に満足したのか、弟は言った。


「清雅国に嫁いでくれるでしょう?」


 はい、と言う他なかった。






「なぜ断らなかったんですか!」


 小さな自分の宮に戻り、顛末を説明すると下男の俊熙ジュンシーが声を荒げる。


「仕方がないでしょう。あれこれ聞かないで、大人しく引越しの準備を手伝って頂戴」


 私の住む宮は王宮の端にあり、北側を高い塀に囲まれていた。普段は訪問客もいないので、年の近い俊熙は私の話し相手を務めるのが日課だった。

 塀の前には神聖な四瑞獣ずいじゅうが住むという、険しい神仙山脈を表現した石庭があり、私はその岩の一つに腰かけ、よく俊熙とお喋りをした。

 俊熙は貴族の出身ではないが、だからこそ私とは飾らない会話をしてくれた。

 子どもの頃から王宮で下男として働く俊熙ではあったが、私の立場が「ちょっと微妙な王女」となっても、態度を変えない数少ない人の一人だった。


 俊熙は物置から取ってきた木製の台車に寄りかかった。

 切れ長の漆黒の瞳は、眉根を寄せて私を睨んでいる。微笑めば天女のように綺麗な顔をしているのに、そうして険しい顔をすると、一転してとても迫力があり、ちょっと怯んでしまう。


「こんなのはおかしいです。詩月様はまだ十三歳ではありませんか。それが、棺桶に片足を突っ込んでるシジイに嫁ぐなど……」

「俊熙! よその国の国王陛下をそんな風に言ったら、叱られるわよ」

「では、詩月様は行きたいんですか?」

「行きたい……わけじゃないけれど。行く意味は十分あるわ。大切なお役目だし」


 それに私は決して美姫ではない。

 この先、大恋愛をしてステキな結婚ができるとは、そもそも思っていない。

 王女など国家の駒でしかない。大なり小なりその結婚など、こんなものだ。


「俊熙。私はね、仮にも王女として生まれた以上、国の道具としてある程度覚悟は出来ていたから」

「……もし先代の国王陛下がご存命だったら、絶対にこんな結果はお認めにならなかったはずです」


 それはそうかもしれない。

 兄の慎王子も、幽閉の憂き目になどあっていなかっただろう。


「大丈夫よ。どうせ私は俊熙みたいにとっても綺麗な顔をしているわけではないから、清雅国王にもすぐに忘れられて、あちらでも端の王妃になるだろうし。嫁いでも今と何も変わらないかも」


 すると俊熙は切れ長の瞳で私をギロリと見つめた。


「嫁ぐっていうのがどういうことか、詩月様は分かってらっしゃいます?」

「分かってるわよ。同じ所に住んで、死ぬまで傍にいるっていうことよ」


 俊熙は盛大に眉をひそめた。

 折角の美貌が台無しだ。


「本気で仰ってます?」

「何も間違ってないでしょう?」

「……それ、全然お分かりじゃないでしょう」

「どうして? どこが?」

「――詩月様は、まだ子どもでらっしゃる」

「何よ、俊熙と二歳しか違わないわよ!」


 私の文句に無言で首を左右に振ると、俊熙は呆れたように顔を背け、乱暴に台車を引き始めた。





 生まれ育った華王国の王宮を出発する時。

 季節は夏真っ盛りで、雲ひとつない青空がどこまでも広がっていた。

 私を送り出す馬車は、車体に目出度い色である赤色の布や花々がふんだんに飾りつけられていた。

 裳裾から覗く沓は、爪先に真珠があしらわれ、彩り豊かな刺繍がされている。

 複雑に編み込まれた髪の毛を纏める髪飾りは、玳瑁タイマイの甲羅から作られた珍重なもの。

 私は面子を重んじる国王から惜しみなく衣服や宝石を与えられていた。

 こうして皆に見送られて、生まれ育った華王国の宮を出る。

 隊列を護衛するのは、近衛軍右将軍の匡義カンイーで、華王国の高名な軍人だ。

 他の王女達はあからさまに安堵の表情を浮かべていた。

 自分にお鉢が回ってこなくて、ホッとしているのだろう。





 私を乗せた馬車が国境を越えると、清雅国の民衆は、隣国からやってきた若い王妃を大歓迎してくれた。

 私の隊列を一目見よう、と街道には人垣ができた。

 彼らは両国の旗を手に、満面の笑みで迎えてくれていた。


「来て良かったでしょ? こんな風に喜んで貰えることなんて、華王国じゃないもの」


 馬車の中から、馬に乗って並走する俊熙にいう。

 だが彼は酷く不機嫌そうな顔で、無愛想に言った。


「さあ、どうでしょうね」

「どうでしょうって、どういうことよ。失礼ね」





 あと少しで清雅国の王宮に着くころ。

 とんでもないことが起きた。

 その報せは、早馬に乗って駆けてきた使者によってもたらされた。

 清雅国国王が身罷ったのだ。

 その知らせを受けた時、私たち一行はしばらく誰も口を開かなかった。というより、開けなかった。

 隊を率いる責任者、匡義は立ちながら失神しかけ、その巨体を周囲の兵士達に支えられながらどうにか転倒を免れた。

 それくらい、誰もが驚愕したのだ。

 国王は数日前から風邪を拗らせ、あっという間に悪化して天に召されたのだという。

 棺桶に片足突っ込むどころか、棺桶に完全に入ってしまったのだ。


 かくして縁談は破談となった。

 国王を突然失い、清雅国は嫁取りどころじゃなくなったのだ。




 精一杯豪華に着飾り、堂々とやって来てから数日。

 一転して私たちは華王国にすごすごと、とんぼ帰りを始めた。


「これって結構、恥ずかしい状況よね」


 隣に座る侍女の鈴玉に尋ねる。

 馬車の窓の外には、街道沿にたくさんの民衆たちが集まり、私たち一行を見に来ていた。

 つい三日前、彼らは隣国から来た王女の豪勢な馬車列を一目見るため、嬉々として手を振り、歓迎してくれた。

 顔を出さない私も、窓の垂れ幕の隙間から外をちらちらと眺めては、自分が歓迎されていることを嬉しく思った。

 だが今日の彼らは、用無しとなった骨折り損のくたびれもうけを地でいく憐れな王女一行を、興味本位で観察しにきている。


「私、この国ではいま、返品王女って呼ばれているらしいわね」

「まさか! 根も葉もない噂でしょう。そんな無礼な! 」


 まさしくその時だった。

 あ、返品王女様が乗ってる馬車だ! と外にいる子どもが、無邪気に叫んだ。

 計ったようなその声に、思わず吹き出してしまう。


「笑い事ではありません!」


 鈴玉リンユーは顔を赤くして憤慨したが、私は笑うしかなかった。

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