祭の足音

 トウイチの家の近くには二本の県道が交差する、交通量の多い交差点がある。地下鉄の駅もあるので交通の便がよく、スーパー、飲食店、医院などが揃っている。河川方面へ延びる県道を歩いて行けば、トウイチの通う大学がある。


 交差点をすぎればそこはマンションやアパートが並ぶ住宅街で、歩道はいまサクラの並木道になっている。履修科目選択の時期がすぎて、サクラは白に緑が混じるようになっている。しかしまだ肌寒く、数がまばらな学生の中にはコートやダウンジャケットを羽織っている者がいる。


 学生たちと同じ方向へ歩いていると、サクラの木と木の間に薄緑色ののぼり旗が立っているのを見つけた。それは五月初旬に開催される舟祭りののぼり旗だった。舟祭りは神話の時代にこの地に流行した疫病が由来の祭りで、いまの世情にぴったりな催しだった。


「今年は観に行けるかな?」


 昨年は人の密集を避けるため大社での祭祀のみでおわったが、今年観に行けるなら観に行ってみるのもいいかもしれない。柄にないことを考えながら、トウイチはのぼり旗とサクラが交互に並ぶ道の風景を写真に撮った。




 そのあとの午前一番にあったのは就活準備講座で、これはトウイチの朝の気分を消し飛ばすのに充分な内容だった。というのもここでやったのは履歴書に書く自己PRを書いてみるというものだったのだが、これがまったく書けなかったのだ。


「自分のがんばってきたこと」「自分がやりたいこと」「自分が大切にしたいこと」など、大学の進路指導室の指導官は講義室の黒板の前でいろいろとアドバイスを言っているが、トウイチにはどれも心当たりがないものだった。強いて言えば小学校と中学校では皆勤だったことと郷土史に興味があることぐらいで、試しにそれで書いてみても表層的なことしか書けなかった。


(もっといろいろ、部活とかボランティアとかやっとけばよかったか?)


 講義室の最後部で周りをはばからずネイルの話に興じる女子学生たちと対称に、トウイチは胸中にもやもやしたものが湧き出るのを感じた。


 周りに学生は多い。隣と席をひとつ空けているとはいえ、それなりに数がいる。しかし真面目に講座に取り組んでいる者は少なく、プリントに隠したスマホをいじったり友人とひそひそと話したりしている。肝心の指導官もそういった光景に、仕方がないというような視線を向けている。


 自分が思い詰めているだけなのかもしれないと思いつつ、しかしニュースで見るような就職浪人にはなりたくないという真逆の思いがトウイチの中でせめぎ合っていた。


 マスク越しなのによく聞こえる女子学生たちの高い声は、講義室の高い天井に響いていた。




 ぐだぐだとした一限目がおわり、二限目のゼミのため別館の教室に移動する。ゼミの教室は高校のそれの半分ほどの広さで、内装にはクリーム色の防音パネルが使われている。十人もいる教室の窓はもちろん、ふたつの扉も全開にしてある。


 胸中がもやもやしたままなトウイチや学生たちは、チャイムのまえに教室にやって来た教授から舟祭りの実行委員会からボランティアが募集されていると知らされた。


「ウイルスの影響で、毎年みたいにボランティアが集まらんのだよ」


 郷土史の研究をしている繋がりで声がかかったのだろう。前髪を無造作にかき上げた教授は戸惑ったような困り顔だ。伝えられた学生たちも同じような表情をしている。しかし嫌そうな顔がないのは、中学生の娘がいる教授の温和な人柄ゆえだろう。


 間隔を開けて配置された長机に座る学生たちはどうしたものかと目を見合わせたりしている。ゼミには自発的にボランティアに参加するような行動的な人間はいないらしい。


「……オレ、やれますよ?」


 手を挙げたのは、教室の隅に座って窓から青い生け垣を眺めていたトウイチだった。教授は「おーっ、やってくれるか」とほっとしたような表情になった。周りの学生は一瞬驚いたような表情をしたが、トウイチにつられてふたりほど手を挙げた。これで教授は地元の研究協力者への面目が立つことになった。


 トウイチは自分らしくない行動にむずかゆさを感じていた。自分はボランティアに参加するよりも、巣ごもりしてネットの海を泳ぐほうを選ぶ人間だと自覚しているからだ。それでも手を挙げたのはお互いを探り合うような空気にいたたまれなくなったからということのほかに、胸中のもやもやにせかされたからというのが大きな理由だった。


「ボランティアの詳細は、おってメールで送るから」


「あとで興味が出た人も参加していいからね」と話を締めくくった教授は、今日議論する議題のプリントを回しはじめた。大社の収蔵品に関する内容だった。


(ちょっと早まったかな?)


 プリントの内容を黙読しながら、トウイチは面倒なことをしたかもと少し後悔した。しかしそれ以上に楽しみも感じていたし、窓からときどき入ってくる涼しい空気が心を落ち着かせてくれた。

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