第16話 期間限定

年が明けてしばらくして、今年に入って初めて先生と二人きりで会うことができた。

外で食事をし、一緒に帰ってきた。

「今日ね、非常に残念なお知らせがあるんだよね」

先生は私の部屋に入ると床にへたり込み、急に深刻な表情になった。

なんだろう。

「お知らせ」だから別れるとかじゃないよな。

先生、意外とアホなところあるから、女性ホルモンの周期の関係で「今日エッチできなくて残念」てこともあり得る。

「残念なお知らせって何?」

「この間の学会で発表したやつが残念ながら評価されてしまって。アメリカの学会で発表することになりました」

「え! 海外で発表なんてすごいことじゃない?!」

先生はうなだれて深いため息をつく。

「せっかく美穂ちゃんとこれからもっと会えると思ったのに。夏休み一緒に取れると思ったのに。はぁあああああ。海外行くなら美穂ちゃんと海外旅行したかった」

「先生って英語できるんだね」

褒めたつもりだったのに先生の顔が引きつる。

「英語? むっっちゃくっっちゃ苦手。ホントにできない。私の発音が悪すぎて質問とかこなかったらどうしよう。病院の恥。いや、日本医学会の恥になってしまう。ううう」

クッションを抱きしめ縮こまっている。

私より背はずっと大きいのに細いせいか、先生は縮こまると思った以上に小さくなった。

それが少し笑えた。

「そんなことないでしょ。英語の論文とかよく読んでるし」

「読むのと話すのは別なんだって。だからさ、ちょっと勉強しなきゃで。あんまり会えなくなっちゃう」

顔に押し付けたクッションの間から私を見る仕草がかわいい。

「いいよ。そのかわり、会いたい時いつでも連絡ちょうだいよ」

「美穂ちゃん。女神。今日、寝かしません!」

先生はクッションを手放し、代わりに私を抱きしめる。

「あ、ちょっと待って」

「何?」

「私も連絡していい?」

「もちろん! 呼ばれればエッチだけでもしに行くよ」

「馬鹿」

先生をあしらう。

「でね、そんな私をお医者さんごっこで癒してほしいって思ってたの」

呆れた。

「それで白衣持ってきたわけ?」

「そう」

食事をしている時、リネンでおろしたての白衣を持ち帰ったと嬉しそうに言っていた。

先生の考えがよめたのでその時は深く聞かず話を流した。

「ヤダ。やんない」

「なんで?!」

「プライベートに仕事を持ち込みたくないので」

「意地悪」

「学会の準備のストレスでどうしようもなくなったら考えてもいいよ」

「じゃあ、その時は美穂ちゃん白衣持って帰ってきてね! スクラブじゃなくて白衣ね!」

「考えときます。」

「ストレスマックスになるように頑張る!」

先生、目的がなんだかズレ始めてる。

アメリカでの学会発表の準備のため、先生とはまた会える日が少なくなった。

でも、名古屋の時とは違って、話したい時や会いたい時に連絡をしたし、先生からも連絡が来た。

一年前のあの時に比べると私達のつながりは強いものになっている実感があった。

先生と二人きりになれるのは月に一、二回程度だったが、会う日はお互いを貪るように愛し合うことで満たしていた。


月日は流れ、私は五年目となり今年二十七歳になる。

南先生との関係は会える日は少ないけれど順調に続いている。

けれど、周囲が少しずつ変化していった。

結婚する友人が増えてきたことや、妊娠出産の知らせを身近で聞くようになった。

同じメンバーで働いていくのかなと思っていた病棟の状況も多少変化が出てきた。

「青木さん。聞きました?」

あの鈴木さんは三年目。

「何を?」

「主任の田村さん、妊娠したって。」

「そうなんだ。良かったね。ずっと不妊治療してたもんね。じゃあ、安定期なんだ。」

「そうなんですかね。四ヶ月とか言ってたと思います。なんか十月頃産休って。」

「そうなんだねえ。」

田村さんは今三十六歳。

南先生と同じくらいだ。

五年前に結婚したがなかなか子供に恵まれず、不妊治療の末やっと授かった。

田村さんが産休に入ると病棟に主任がいなくなる。

主任どころか数少ない三十代の看護師が減ってしまう。

どこかの病棟から主任クラスが異動してくるのだろうけれど、病棟の雰囲気が少し変わりそうだなと思った。

気になるのはそういうことだけじゃない。

妊娠か。

南先生が付き合う時に言ってた。

自分と付き合うということは妊娠出産を諦めること。

私の中の大きな部分を南先生がすでに占めている。

でも、妊娠となると少し違う気もする。

子供を産んで育てたいと強い希望が昔からあるわけではない。

妊娠したいから南先生と別れるとまでは全く思わない。

けれど、なぜか最近そんなことが頭をかすめ、心が騒ついた。


田村さんは最初のうちは仕事をいつも通りこなしていた。

しかし、段々と体調を崩しがちになった。

次第に夜勤も外れ、欠勤や早退することがよく見られるようになった。

「今日の日勤って田村さん入ってるんだ。でも分かんないよね仕事できるか」

「頭数から外しといた方が安全だよね」

「来るつもりで期待してるとキツいよねえ」

ナースステーション内でそんな声がチラホラ聞こえた。

妊娠して体調が変動しやすくなって、自分達の仕事に影響が出た途端にこの仕打ち。

田村さんが今までどれだけ彼女たちのフォローに回っていたのか知らないのだろうか。

腹立たしく思いながら、夜勤業務が終了し、休憩室の扉を開ける。

「あ、田村さん。おはようございます」

休憩室の簡易ベッドに田村さんがよこになっていた。

「明け?」

田村さんの顔色が悪い。

「そうです。今終わって。田村さん、体調大丈夫ですか?」

「どうなんだろう。大丈夫って言いたいけど。なんか最近、分かんなくなってきた」

「お腹、張るんですか?」

「うん。」

「医者には相談してるんですか?」

「もう仕事辞めなさいって。お腹張るってその時点で無理してるんだって。はぁ。やっと何年もかけて不妊治療して妊娠したと思ったらさ、その後もこんなに思い通りに行かないなんて思わなかったよ」

田村さんはお腹をさすりながら悲しそうにしている。

「こんな風に仕事でみんなに迷惑かけながら終わるつもりじゃなかったのに」

「迷惑だなんて。二人分の命抱えてるんだから体の負担大きいの当たり前ですよ。あとは、病棟のスタッフで妊娠出産経験あるの師長しかいないから。私もですけど、みんなどういうことか分かんないし。うまく田村さんのことフォローできてるか心配です」

田村さんは少し微笑んで青木さんには助けてもらってるよと感謝された。

「青木さんって今二十六歳くらい?」

「はい。今度二十七歳になります。」

「いい人いるの?」

「一応、います」

「青木さん、できるなら早く結婚して妊娠した方がいいよ。女って妊娠できる期間、限られてるから。仕事一生懸命してたらあっという間で気づいたらこんなだったよ」

田村さんは大きなため息をつき俯いた。


それからすぐに田村さんは主治医の指示で二ヶ月ほど前倒しで産休に入った。

入院までは行かなくとも、自宅安静が必要とのことだった。

9月に入ったとはいえ、この暑さの中の通勤も辛かったんだろうなと思った。

私の中で田村さんの言葉が引っかかる。

「妊娠できる期間は限られてる」

期間限定の話を聞かされるとなぜか妊娠を意識してしまい焦る自分がいる。

南先生と一緒にいる限りそういうことは難しい。

南先生を失うにことは考えられない。

それに、子供を産みたいから生きているわけではない。

大人になって子供を産み育てるのが女性の役割と幼少期から刷り込まれてきたからであって自分の意思ではないと理由づける。

けど。

心の奥で「本当にそれでいいの? あっという間に時間は過ぎるよ。人生一回きりで後戻りできないよ」と投げかけてくる自分がいるのも事実だった。

先生は私に告白した時以来、結婚や妊娠出産の話をすることはなかった。

私が子供のことを考えたりするって知ったら、先生はどう思ってなんて言うんだろう。

それとも、私がそういったことを悩むことに対して不安を感じていたりするのだろうか。

いつか話し合う時が来るのだろうか。

先生がどう思っているのかすごく気になる。

でもまだ時期じゃない気がして切り出せなかった。

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