第14話 最終手段

「彼に連絡?」

「そんなところです」

私はとうとう棚橋先生と一緒に食事することになってしまった。

タクシーの中で南先生にメール打つ。

「私が聞いた話だと、青木さん随分前に彼と別れてそれから恋人いないって話だけどな」

「誰にも言ってないので」

「ふぅん」

日勤の帰りに病院の前で待ち伏せされていて強引にタクシーに乗せられた。

そういえば南先生とのきっかけもこんなかんじだった。

強引なやり口に弱い所、どうにかしないとと反省する。

名古屋にない居酒屋チェーンに入ってみたいと、病院の最寄駅から二つ先の駅にある店に入った。

店の名前を南先生にメールする。

よく知られている店でよかったと思った。

「強引に誘ってごめんね。彼と約束あったの?」

「さっき連絡あったので、返信したんです」

「もしかして、一緒に住んでる?」

「いえ。住んでないです」

「ふふ。じゃあ、大丈夫かな」

なんだろう、この思わせぶりな感じ。

なんだか、すごく色っぽい。

女の人から狙われるって、南先生の時もそうだったけれど心の中をよまれているというか見透かされている気がして変にドキドキして余裕がなくなってしまう。

言葉の一言一言に何か意味を持たせているような。

気を抜くと引きずり込まれそうな。

というか、棚橋先生は南先生よりもその辺のやり方が段違いに上手い。

落とされない人っていないんじゃないかと思うほどだ。

「先生、何飲みますか?」

この空気を変えたくて棚橋先生にメニューをわたす。

「青木さん、先に決めていいよ」

にっこり微笑まれる。

「あ、ありがとうございます」

表情を悟られたくなくてメニューを自分の顔が隠れるように見る。

南先生、どうしよう。

どうやって乗り切ればいいの私。

飲み物と料理を注文する。

棚橋先生の攻撃を迎え撃つというか、かわせるように心を強く保つ。

けれど、棚橋先生は意外にも仕事の話や東京の見どころなんかを聞いてきた。

肩透かしを食らった気持ちになる。

不本意ながらも楽しく会話をし、食事を楽しんでいる自分がいる。

やっぱり気のせいだったのかな。

「青木さんと話すの楽しい」

「そうですか?」

「いつもそう思ってたけど、二人きりで話すともっと楽しいって思ったよ。青木さんも楽しかったらいいな」

「楽しいですよ。先生、話上手だし」

また空気が変わった気がした。

「私、もっと青木さんと仲良くなりたいな」

「もう、十分仲良くなってませんか?」

「うーん。私はもう少し深い関係になりたいと思ってる。青木さん、私とちょっと遊んでみない?」

とうとうきた。

これって、どっか遊びに行くの「遊び」じゃないよな。

棚橋先生の目が妖艶な感じになっている。

「東京観光なら付き合いますよ。でも、先生って休み取れなくないですか?」

鈍感なふりをして笑顔でかわす。

「美穂ちゃんさ、本当の意味、分かってるんでしょ?」

完全に見抜かれていた。

名前で呼ばれた。

変な汗が流れる。

「怖がらせちゃったかな。軽く考えてもらっていいの。私がここにいる二年の間だけお互いちょっとだけ遊ぼうってこと。割り切った関係。私、美穂ちゃんと相性いいと思うんだ。色々と」

何も言葉が出てこない。

棚橋先生の圧に押される。

「女と遊んだことないでしょ?」

「女とっていうか、誰とも遊んだこと自体ないですけど」

「ふふ。そういう真面目な所好きだよ。私、美穂ちゃんと遊びたいな。沢山甘えさせてあげるんだけど」

「私、付き合ってる人いるので。そういうのは」

ホントに真面目なんだからと先生は微笑む。

「基本友達って体なの。でも、友達よりもちょっと仲良くなる関係。悪いようにはしないよ? 試しにこれからどう?」

とうとう誘われてしまった。

今までこんな風に誘われたことがないからか、それともさっき飲んだお酒がまわってきてるからか、耳まで赤くなってしまう。

棚橋先生は南先生とはまた別の美しさがある。

っていうか、ザックリ言うと可愛い系の美人。

「それに私、女だから絶対バレないよ?」

恋人がいることを断る理由に捉えてくれない。

なんて断ればいいんだろう。

断る理由を探している時間が、棚橋先生には私が返事を迷っているように捉えてしまっている気もする。

というか、どんな断り方をしても棚橋先生の良いように捉えられてうまくまるめこまれてしまいそうだ。

八方塞がりだ。

もう、こうなったら最後の手段。

私が南先生と付き合ってることを棚橋先生に言うしかない。

その事を言って引いてくれるといいけれど、もしかしたら逆効果で何を言われるか、言われるだけならまだしも、何をされるか分からない。

その時に受けるかもしれない未知の仕打ちに対して、私は戦えるものを何も持っていない。

それこそ本当に退路が絶たれる。

でも、しょうがない。

今はこの方法しか切り抜ける望みがあるものはない。

これに賭けるしかない。

言うしかない。

意を決して口を開く。

「棚橋先生。あの、私。南先生と……」

「絵理子。この子私のだから。この子はダメ」

「え?!」

顔を上げるとテーブルの横に南先生が立っていた。

少し息が上がっている。

急いで来たせいか髪が乱れている。

そして見たこと無いような鋭い目つきで棚橋先生を見ている。

ちょっとかっこいい。

「え。そうなの? あなた達、もう付き合ってたんだ」

棚橋先生は南先生の鋭い目つきに全く怯んでいない様子で言った。

「そう。だから口説かないで」

南先生が私の隣に座る。

「あー。すっごい残念。青木さんかわいいから遊びたかったな」

「もうこの子には手出ししないで」

よかった。

南先生が来てくれて助かった。

気が抜けて全身が脱力する。

棚橋先生を見るとさっきまでの妖艶な雰囲気は消えていた。

「綾が好きになった子が青木さんだってすぐ分かったけど。もうすでに付き合ってたとはね。探り入れたつもりだけど全然分からなかった」

病棟では気付かれていないか心配だった。

けれど、うまく誤魔化すことができていたようだ。

「最初は青木さんを落として綾に仕返ししてやろうって気持ちもあったけど、途中から結構好きになっちゃった」

「だから、美穂はダメだってば」

こんな時に他の人へ呼び捨てされると恥ずかしくなる。

「青木さんはダメかー。綾のだったら仕方ないね。あー、でも東京生活の癒しがほしいなあ」

棚橋先生、残念そうにしてる割に案外切り替えが早い。

「いつから付き合ってるの?」

「半年くらい前から」

「へぇ〜。三年も手出ししなかったなんて綾にしては奥手だね」

即座に年数を計算するあたり、この人も頭の回転が速い。

「絵理子。余計な事言わないでよ」

ここで気になっていた事を聞いてみる。

「あの。棚橋先生は、南先生のことまだ未練あったりするんですか?」

「やっぱ青木さんって可愛いなあ」

「絵理子!」

「ごめんごめん。その辺は安心して。未練なんて全然ないから。むしろ若い可愛い女の子と仲良くできないか日々考えてるから。だから今回だって完全に美穂ちゃん狙いよ?」

私のことを名前で呼んだ棚橋先生を南先生はキッと睨む。

それにしても、棚橋先生って南先生の言う通り生粋の女好きなんだなと少し呆れた。

「あ。あの子もいいよね。青木さんの同期の」

「え。増田?!」

「そうそう。増田さん。あの子にしようかな。しっかりしてていい子だよね。美人だし。ああいう甘え下手そうな子を懐かせるの堪んないよねぇ」

「あ、それ分かるかも。いいんじゃない?」

「ちょっと先生まで!」

さっきまで噛みつく勢いで棚橋先生を睨んでいた南先生の態度がガラリと変わる。

その変化に正直ついていけない。

「綾のことなくてもさ、こっちに来たばっかの時、遊ぶなら誰がいいかなって病棟のナース見てたんだけど、青木さんか増田さんかなって思ってたんだよね」

同僚を品定めしてたのかこの人は。

さらに呆れる。

同期として増田のことは守らなきゃと思った。

「あの。増田に手、出すなら遊びで付き合わないでください。増田は大切な同期なんで。間違ってもさっきみたいな口説き方しないで下さい。増田には通用しないと思いますけど」

棚橋先生が笑う。

「青木さん同期思いだね。でもそれ、アドバイスになっちゃってるよ。っていうか、さっき私がホントに遊びだけで誘ったと思う?」

棚橋先生はあの含みのある目で微笑みかける。

「遊びが遊びじゃなくなるようにさせるに決まってるでしょ」

南先生とは違った大人の女の色気。

どうしてもドキッとしてしまう。

そんな私のことを察したのか南先生がテーブルの下で私の手を握ってきた。

「あーあ。今まで振られたの一人だけだったのにもう一人増えちゃったな。青木さん、綾に飽きたら言ってね。私、青木さんに遊ばれるの大歓迎。綾より器用だよ。色んな場面でね」

「絵理子。いい加減にして」

「はいはい。じゃあね。お幸せに。そうだ、あなたたちのこと言わないから安心して」

棚橋先生はテーブルにお金を置いて店を出て行った。

「仕事大丈夫だったの?」

「しなきゃいけないことはやったけど。でも、これから病院もどって一時間くらい仕事しなきゃかな。美穂ちゃんのことが気が気じゃなくて鬼の様に仕事したのよ。ちょくちょくケータイ確認しててよかった」

今日、南先生が外勤とかじゃなくて助かった。

「先生、増田のこと気になってたの?」

「なんで?」

「増田、美人だし、仕事できるし、私と同い年だし。さっき、なんかちょっと言ってたじゃん。」

「増田さんいいナースよねぇ。美人だし」

先生がニヤニヤして見てくる。

「でも、美穂ちゃんの『青木です。』ってのには誰も敵わなかったのよねえ。一目惚れって言ったじゃん」

私の声に一目惚れって聞くたびに不思議な気持ちになる。

けれど、名指しで電話をかけるくらいだから本当なのだろう。

「ねぇ。先生。さっきの。『この子は私の。』って言ってくれたの」

ああ、アレね。と、先生は少し照れくさそうにしている。

「キュンってしちゃって、今日、一人で寝るのちょっと無理なんだけど」

先生は口元を隠して眉をひそめる。

「ダメだった?」

「そうじゃなくて、ちょっと、口元緩んじゃって、外でこんな顔晒せない」

やっぱり私は棚橋先生の妖艶さよりも南先生のこういう所の方がコロッと落ちてしまう。

「もう遅いけどウチで待っててくれる?」

「どうして先生のウチなの?」

「病院からウチの方が近いから」

「先生、ムラッときちゃった?」

「からかわないの。でもその通りだよ。仕事、三〇分で終わらせるから。待ってて」

翌日の仕事は寝不足がたたって乗り切るのが大変だった。

この間よりも激しかった。

だけど今までで一番というか、最高だった。

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