第15話 小さな肩とぬくもり
「おはようございます。よろしくお願いします」
「ああ。帰りは大丈夫なのか?」
「帰りは各駅停車にしてるんです。それだとそこまで混んでないんですよ」
橘はカバンに肩にかけて苦笑した。
俺たちは駅に向かってゆっくり歩きだした。
橘に頼まれて、朝一緒に出社するようになったのだ。
その話をされたのは、即売会後、ばあちゃんを布団に入れて食事を始めたときだった。
橘は食事をしながらもじもじと口を開いた。
「あの……頼られるのが苦手だと知ってるんですけど……実はわりとチカンに合うので、朝タイミングが合って、もしご迷惑でなければ、一緒に行きたいです」
「早く言えよ!!」
それを聞いて思わず叫んだ。
頼られるのが嫌いなんじゃなくて依存されるのがイヤなんだ!!
……ってそんなこと言っても差はないかもしれん。
俺は押し黙って、その頼みを引き受けた。
本当に橘は俺に大切なことを何も言わない。
橘は到着した駅のホームで俺の横にちょこんと立って口を開いた。
「きっと何しても大丈夫そうに見えるんですね。実際怖くて動けなくなりますから」
「手を摑んで捻り上げろ。マジックで手に落書きしてやれ」
「そんなことできたら苦労しませんよ! ただただ怖いです、無理です」
触ってきてるほうが悪いのだから、俺だったら肘鉄して蹴り上げるけど、やはり力が弱い女性の気持ちを全く理解できてないのだろう。
俺が一緒ならチカンに遭わない時点で、たぶん何も分かってないんだ。
電車がホームに入ってきた。ドアが開いても誰も下りない。すでに満員だが、そこにホームにいる全員が突っ込んでいくんだから満員電車はマジで恐ろしい。
橘を抱えて電車に乗り込む。一瞬俺の足が浮くくらいだから、橘なんてひとたまりもない。
とりあえず胸元に抱き寄せるように空間を確保する。
橘はモゾゾと胸もとから顔を上げてほほ笑んだ。
「はあ。今日もすごいですね。でも五島さんの壁は落ち着きます」
「……そりゃよかった」
顔があまりに近くにあるので気を使ってそっぽを向きながら声を出した。
最初にこうして電車に乗った時、橘がすやすや眠ってしまったのは、心底驚いた。
初めて一緒に行ったあの日。
最初胸元でもじもじしてるなと思ったが、数分後に床にカバンが落ちた。
顔を覗き込んだら完全な無で棒で抜け殻。
え? まさかコイツ、電車の中で立って寝てるのか?!
マジで驚いた。しかたないので、カバンを拾い、右手で腰、左手を脇の下に入れて完全に抱えた。
すると橘は「んふ」って小さな声で呟いて、俺にしがみついてきた。
寝てるって分かってるけど、もうなんだかどうしよもなくて……とりあえず抱き寄せた。
今も抱き寄せながら思うけど、こんな細くて小さくて、満員電車はキツイよな。
言えよ……と思うが、遠ざけるようなことを言ったのは俺だ。
今日は起きてる橘は胸元でもぞもぞ動きながら目を輝かせて俺を見た。
「五島さん、あの、初担当よろしくお願いします。がんばります」
「バスイベントな。大変だけどフォローするから」
「私、ただのお祭り好きかも知れません。お仕事で一番好きな仕事はバスイベントなので、うれしいです」
がんばります! とドヤる橘が可愛くて思わず満員電車の中で笑ってしまった。
毎年夏にバス会社が共同で行う巨大なイベントがあり、俺は毎年担当をしている。そのデザイン担当に、今年は橘を選んだ。
正直、みんな嫌がるんだ、打ち合わせが多くて大変だから。
それでもイベントってだけで楽しめるなら、橘は本当にお祭り好きなんだな。
俺は……正直本当に面倒でイヤなんだが。
会社についてメールを見て……ため息をついた。
さっそくこれだ。
「羽鳥。バスイベントの発注データ。去年のままで出しただろ」
「いえ、確認したので、間違ってないと思います!!」
「違う、お前これ、文面使いまわして添付ファイル付け替えるつもりが、去年のそのままで行ってるぞ」
「あーーーー!!」
「今すぐ訂正して送れ!」
「はい!!」
毎年ほぼ同じことをしているので、メールの文面とかは使いまわしで良いのだが、バスは新しいモデルが頻繁に出る。
それに合わせて準備する現場に置くバスを変える必要がある。
そしてこのイベントに合わせて大量の旅行企画も持ち込まれる。
バスが見本で置かれて乗れたりするので「このバスでこんな所に行きませんか」というアピールをするのだ。
旅行企画会社だけじゃない、その先にある旅館やホテル、そして小さな博物館さえ営業をかけてくる。
チェックしなきゃいけない書類で机が埋まる……もう疲れた、今日は残業確定だ。
ため息をつきながら送られてきた企画書をチェックしていると、部長の佐々野さんが叫んだ。
「ちょっと! 今回は新田産業さんのバスをプレゼントするって話だったのに、どうして林さんの寝台バスになってるの?! 担当は、加藤?!」
「はい! でもそれ佐々野さんが寝台バスでって……」
「それはクリアファイルのほうでしょ? ほらメール見てよ、ミニカーは新田さんのほうって書いてあるでしょ」
「えっ……」
騒ぎを聞きながら意識が遠のく。
イベントには毎回ミニカーをプレゼントしていて、それは特注品だ。
それを目的に行列ができるほど大人気で、イベントの大きな枠だが……。
もう関わりたくなくて、給湯室に逃げようとしたら、目の前に佐々野さんが仁王立ちしていた。
「五島。加藤と担当変わって」
「はあああ……このタイミングで……ですか……」
「間に合わせて!!」
「はい……」
平謝りの加藤と、羽鳥も一緒に発注できる先を探して作業を続けた。
結果残業どころか、終電との戦いになり、俺はへろへろになりながら家に帰った。
今日は残業になるので帰りは遅くなることを伝えていた。
ドアを開けると、中から橘が出てきた。
「おかえりなさい、ご飯、簡単なんですけど作りました。食べますか?」
「え……お前が作ったのか」
「なんですか、その眉間に皺をいれて『食えるのか?』って顔は! 味噌汁しか作ってませんよ、おかずは駅前でメンチカツ買ってきました」
「なるほど、それはいいな。腹減った」
「朝いつも一緒にいってもらっているお礼に何かできないかな……と思ってました」
「……助かる」
橘は店が終わってばあちゃんが寝てからも、俺が帰ってくるまで店にいることが増えた。
単純にうちの回線はばあちゃんが引いた光ファイバーで、高速なこと。
そして台所の机が大きくて作業しやすいらしく、先日の締め切り以降、板状の何かを持ち込んで絵を描いている。
曰く「部屋はVHSと同人誌の在庫がすごくて、布団も半分しか敷けません」。……片付けろ!!
でもこうして飯を作ってもらえるのは正直うれしい。
見ると炊きたてご飯、豆腐と長ネギとモヤシのキノコが入った味噌汁、そして買ってきたサラダとメンチカツと浅漬けが出てきた。完璧すぎる。
スーパーはもう終わっていたし、最近は疲れて作り貯めもできない。レンチンパスタで済ませるつもりだったのでありがたい。
橘は作業を続けながら口を開く。
「今日は定時で帰れたので作れましたけど、明日は……羽鳥さんのお仕事が……」
「はあ~、すまない。そうだな、明日は橘が残業か。飯作っとく」
「いやいや、五島さん。聞きましたよ、加藤さんのミス押し付けられたって。ていうか、佐々野さんが向田さんの所に愚痴りながら甘えにきてました」
「なるほど。筒抜けだな」
「だから!」
そう言って橘は席を立ち、冷蔵庫からふたつ入ったシュークリームを出してきた。
「仕事が落ち着くまでは、ご飯のことなんて気にしなくていいです。むしろ、私が早く帰れたら、こうして何か作ります。朝の電車のお礼です!」
そう言って目の前に座り、美味しそうにシュークリームを食べはじめた。
橘が作った味噌汁はちゃんと美味しくて……俺はそれを飲んで少し落ち着いた。
「……旨い。そうだな、残業で帰って飯があると、うれしい」
「ちゃんと五島さんに教えてもらった通り、煮崩れない食材で作りました!」
「最初は豆腐だけでいい。でも色々入ってて旨い。ありがとう」
「!! 五島さんにちゃんと褒められたの初めてかもしれません。えへへ」
「本は誉めただろ」
「うーん、ありがとうって言われたのが初めてかもしれません」
「……そうだな。いや、味噌汁旨かった。普通に作れるんだな」
「バカにしすぎですーー!!」
そう言って橘はふたつ目のシュークリームもひとりで食べてしまった。
なんだくれるんじゃないのか。そのむくれた表情を、俺は可愛いな……とこっそりと思った。
「……旨い紅茶があるが、飲むか」
「!! はい。飲みたいです」
そう言ってパアアと目を輝かせた橘を見て、ずっとこうして家にいればいいのに……と思ってしまって首をふった。
俺、女に付きまとわれるのが何よりイヤだったのに、何考えてるんだ。
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