第13話 花の香りと落ち着く場所
「入稿、完了……」
私はデータを送り終えて、そのままズルズル……と布団に倒れこんだ。
なんとか間にあったけど、本当にギリギリだった。
表紙の紙やデザインに凝り、そのせいで締め切りが早くなってしまい辛かった。
どうしてこんな無理を毎回してしまうのか、もう分からない。
でもきっとこの同人誌という『本』をデザインできる楽しさも好きなのだ。
仕事で好きにデザインできないので、やはり趣味が炸裂してしまう。
楽しい……。
時計を確認すると深夜三時。
朝七時には起きて会社に行かなくてはならないので、もう笑ってしまうほどハードだ。
とにかく入稿したので本は出る、無理なら準備号だったけど、その心配は無くなった……安心しながら思考は途切れた。
「おい橘起きろ!!」
「ひゃいい!!!」
鳴り響くチャイムとドアを叩く音で私は飛び起きた。
スマホを摑むと七時半。いやあああ!! きっとドアの外にいるのは五島さんだ。
緊急用にオートロックの番号を教えておいたのが功を奏したようだ。
私はドアの前で「ありがとうございます、起きました!」と叫んで支度を始めた。
家が隣になったが、それは秘密にしてるので会社に一緒に行ったことはない。
近所に同僚はいないので、一緒に出社しても問題は無さそうだけど、それはしてなかった。
でも昨日が締め切りだと五島さんは知ってたから、起こしに来てくれたんだ、助かった!
いつもはアイロンでストレートにしている髪の毛をひとつ縛りにして、会社用の服を引っ張り出す。
雑にメイクをして鞄を摑んで外に出ると五島さんが待っててくれた。
「LINEに反応がないから来た。やっぱり寝てたか」
「本当に助かりました!」
「本は間にあったのか?」
「はい、入稿しました、行きましょう、準特急ギリギリです」
「歩道橋のぼらないと間にあわないかもな」
「がんばります!!」
前に住んでいた実家は都内にあり、通勤電車は混んでいても乗るのは数分だった。
でもここに引っ越してから知ったけど、郊外から都内に向かう電車はすごい!!
もう人を人で押し込む人電車!! 正直ここだけは実家のほうが良かった。
だから実家から通ってる時はパンプスで通ってたけど、引っ越してからは運動靴で通っている。
だから歩道橋ダッシュくらいならがんばれる、はず!!
いつもは待つ長い信号をパスして歩道橋を駆け上がる。
寝不足に息が切れて頭がクラクラしてくるけど、そのまま駅までダッシュ!
ギリギリ電車に間にあって飛び込むように乗り込んだ。
あああ……良かった……。
この準特急が最終ラインで、これを逃すと遅刻決定なのだ。
私は今まで会社に遅刻したことがなくて、本当にひやひやしてしまった。
電車が動きだして、安心して息を吐き出す。
「……はあ、五島さん、すいません助かりました」
「……おう。大丈夫か。息苦しくないか」
「いえいえ、はあ、めちゃくちゃ落ち着きま……すいません!!」
気が付いたらいつも通りの満員電車で五島さんにしがみ付いていた。
身体を離そうと思ったけれど、人が多すぎて身動きが取れない。
すると五島さんが私の腰を優しく引き寄せて胸元に入れて抱き寄せてくれた。
……安心する。私は遠慮がちに、それでも五島さんの胸元に入った。
実はこの前、通勤電車でチカンにあったのだ。
しつこく触ってきて怖かったけど、ただ身を固くして耐えることしかできなかった。
だって真後ろにそんなことする人がいるという事実が怖い。
どういう思考でそんなことするのか理解ができない。
でも五島さんは女の人に頼られすぎてイヤになった人だし、そんなこと言ったら助けを求めてるようで嫌われそうで黙っていた。
隣に住んでいてお店を手伝う、食事を一緒に食べる……この距離感がすごく好きで……五島さんに嫌われたくないんだもん。重たいと思われたくない。
同僚で、隣のオタク……この距離感を気に入っている。
でも胸元にいると、ものすごく落ち着く。温かい温泉に浸かっているみたいに気持ちがいい。
耳元にドクン……ドクン……と聞こえる心臓の音が、私を全部包んでくれている。
肩幅が広くて、ここに頭を預けていると落ち着く。
五島さんは私の頭の上で小さな声でいう。
「……持つ所もないし、しがみついてろ」
「ありがとうございます……」
五島さんの家の匂いがする……花の良い香りのお線香がいつもたかれていて、その匂い。
それに五島さんは身長が高くて身体がしっかりしてるから、腰を支えてもらえるとものすごく落ち着いて……眠く……眠く……。
「(おい、橘。着いたぞ起きろ)」
「ひゃい!!」
耳元で聞こえた五島さんの声に私は顔を上げた。
するとすぐ目の前に五島さんの顔があって、思わずしがみついた。
「っ……、橘。もう着くぞ」
「すいませんっ……、私……めちゃくちゃ寝てましたね……」
恥ずかしくて、満員電車なのを良いことに顔を隠して口元を確認する。
よだれくらい垂れてそうで恐ろしい。駅に電車が到着して、みんなが降りる。私たちも降りる駅なので流れでそのまま降りた。
なんだか恥ずかしくて顔を上げられずにいると、五島さんが私の腕を引っ張った。
「……行くぞ」
「はい!!」
五島さんが少し照れているように見えて、私の口元は緩んだ。
だってきっと、私も顔が赤い。どうしよう、会社に着くまでに落ち着かないと。
でも三十分完全に熟睡していたようで(それはそれでどうかと思うけど)お昼時間も仮眠にあてた結果、定時までミスなく仕事ができた。
ギリギリセーフだったけど、もうさすがにちゃんとしよう、そう思った。
でもきっとまたしてしまうんだ、本を作るのは本当に楽しい。
「ねえねえ、絵里香ちゃん。即売会っていうのは、何を着て行ってもいいのかい?」
仕事を終えて帰宅。
帰りは各駅停車に乗り、一時間弱眠ったのでかなり体力は回復した状態でお店に来られた。
でも今日はさすがに早く寝よう……本当にそう思う。
お店に着くとおばあちゃんが店番をしながら私にイベント当日のことを聞いてきた。
服装……。
「本は現場に行けば置いてありますし、歩けないほどたくさんの人がくるような即売会ではないので、わりと大丈夫だと思いますよ」
今回私とおばあちゃんが行くのは、夏の巨大イベントではなく、イベントスペースで行われる映画ファンの即売会だ。
でも出展するサークルは五十くらいあり、別の階にはアニメ、別の階にはゲーム……と揃っていて、建物全体で即売会が行われる中規模のものだ。
都内とは言いづらい……かなり長く電車に乗らないと着かない場所にある建物だが、広くて私は好きだ。
おばあちゃんはもじもじしながら口を開く。
「着物でもええのかな」
「!! そんなの、めちゃくちゃ良いと思いますよ!!」
「なら久しぶりに着ようかなあ。美容院も久しぶりに予約したんよ」
「いいですね、分かります。私もイベントの前には美容院行きます」
「なんか楽しくなってきちゃってねえ。はしたなくないかな」
「何を言ってるんですか、最高ですよ!!」
もうサイトのほうには「りんごポンチさんと合同本を出します!」と告知していて、ずっと付き合いがある人たちがみんな「楽しみです、はじめて即売会というものに、買いに行きますね」とコメントをくれていた。
りんごポンチさんは初の即売会参加になるので、もうそんなの超気合い入ること間違いなしだと思う。
私だって即売会の前は、なんだか新しい服を買ってしまう。
私はおばあちゃんの手を握って目を輝かせた。
「きっとみなさん、いらっしゃいますよ。好きな服を着て楽しみましょう!」
「せなや。でも朝も早いんやろ?」
「ここからだと七時には出ないとダメですね」
「それなら大丈夫や、私毎日五時前に起きてるから」
「ああ……すごいですね……」
「ただのばばあや。でも楽しみだなあ~~」
「わかりますーー!」
私とおばあちゃんはキャイキャイしながら本番までの準備を始めた。
おばあちゃんは重たい疾患はないみたいだけど、このお店で重たい物を持ち上げた時にぎっくり腰になってしまったようで、たまにリハビリに通っている。
ご高齢の方が抱えている基本的な病気……高血圧や骨粗鬆症もあるようで、やはり少しのケガが命取りになるし、五島さんが私を手伝いに呼んだ気持ちもよく分かる。
店の力仕事は、私と五島さんふたりでしていて、おばあちゃんは小学生の子たちと話をして、商品の整頓をしている。
即売会も本を運んだりとかは、私がしよう!
そうだ!
「おばあちゃん、会場限定のペーパー作りませんか?」
「なんやそれ、どういうの?」
作った冊子は古い映画がメインだったけど、おばあちゃんも私もワイファイジャーとか戦隊ものも好きだと知った。
だからペーパーは戦隊もののレビューを書いてもらって、私も小さな絵を描こうかな!
ああ、めちゃくちゃ楽しい!
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