第5話 お試し入門
いつものあの夢。私は銅貨を握りしめ、走っていた。お買い物をいいつかったのだ。もちろん、お金を持つのも始めてだし、買い物などもしたことない。頭の中で、言われた物を何回も復唱する。
白粉の粉、紅、避妊薬、美味しいお菓子。
姉様の買い物をするのも私の役目。貰ったお金を落とさないようにしっかり握り、三軒の店を回る。言われた通り、女の人が振り返っている絵が描いてある赤い看板の店で化粧品を、青い看板に龍の絵が描いてある店で薬を買い、最後に黄色い看板に団子が描いてある店に入った。
「いらっしゃい」
「あの! 美味しいお菓子をくださいな」
店番の女性は首を傾げる。
「うちの菓子はみんな美味しいわよ。どれがいいんだい? 」
「……あの、美味しいお菓子としか言われてなくて」
だいたい、お菓子からして食べたことはないのだ。見ただけじゃどんな味かも想像できない。
「甘い物……」
「みんな甘いよ」
「それじゃ、このお金で買えるものを」
私は釣り銭を女性に渡した。
「こんだけありゃ、大抵の菓子は買えるよ」
心底困った。
「すぐ食べるのかい? それとも日持ちする物がいいのかい? 」
すぐ……食べるのだろうか? それすらもわからない。
「わかんないなら、日持ちする方がいいだろうね。これなんか珍しいよ。都から仕入れたんだ。どうだい、綺麗だろう。金平糖っていうんだ。味も美味しいんだから」
色んな色の小さな粒。
茶色の袋に半分入れてくれた。
「はい、少しオマケしといたからね。またご贔屓に」
私は買い物袋を抱えてお店に戻った。まだお昼前だからか店は静かだ。客が帰り、仮眠している姉さん方を起こさないように静かに姉さんの部屋に向かう。姉さんはボンヤリと窓から外を見ていた。着崩れた着物はそのままにしどけなく座る姉様の瞳は、窓の外には向いていたが、何を写しているのかはわからなかった。
「ただいま帰りました」
「お帰りよ。買い物はできたかい? 」
「はいこれ」
買い物袋を手渡すと、中身を確認して姉さんはユルリと微笑んだ。その細くてしなやかな手で私の頭を撫でた。振り上げられた手で殴られなかったのは、姉様が始めてだった。
「よく出来たね。はい、これはあんたにご褒美だよ。お食べ」
金平糖の入った袋を手渡され、私は生まれて始めてお菓子を食べた。
金平糖は信じられないくらい甘かった。
★★★
「しんどい……」
柔軟体操、走り込み、型の反復練習。まだ初心者クラスだからそこまで大変じゃない筈だけど、学校の体育くらいしかまともに運動したことない花ちゃんは、最後の礼の後に床にへたりこむように座りこんでしまった。
「大丈夫? 」
「だいじょぶくないです。こんなにしんどいとは思わなかったですわ」
「琴音ちゃんはまだ全然いけそうだね。クラスアップした方がいいかもよ」
久しぶりだからと、初心者クラスに入門した花岡君が、私と花ちゃんにタオルを渡してくれた。私は自前の道着を、花ちゃんは体操服姿でお試し入門していた。
「ううん、基本をみっちりやりたいから、花ちゃんと一緒にこのクラスでいいの」
「私も、琴ちゃんにおいつくように頑張ります! それに、ダイエットに良さそうですし」
花ちゃんは決して太っている訳ではない。ただ、年齢の割りに大きなバストが体型以上にふっくら見せているだけだ。どちらかというとスレンダーな体型の私からしたらかなり羨ましい話なんだけど、お互いに無い物ねだりなのかもしれない。
「どうだった? 」
師範代として教えていた尚武君が、首からタオルをかけてやってきた。中学生には思えない身長と体格も相まって、とても同年輩とは思えない。指導っぷりも堂に入っていたし、落ち着き方がすでに……悪口じゃないよ。大人っぽいってこと。
「疲れましたぁ。確実に明日は筋肉痛です」
「家でもストレッチしたらいい。少しはマシになる。あんたは大丈夫……そうだな」
尚武君の視線が私に向く。
「大丈夫。久しぶりに身体動かして気持ち良かった」
「そっか。シャワー室が更衣室についてるから」
「じゃあ、着替えたら尚武の部屋に集合な。尚武、母屋の方の風呂貸してよ。シャワー室混むからヤなんだよ」
「あぁ、勝手に使え」
尚武君と花岡君は母屋に上がってしまい、私と花ちゃんは更衣室に向かった。今日は土曜日。土曜日は変則的で年齢別ではなく幼児・小学生で一クラス、中学生以上で一クラスになっていた。だから私達は大人に混じった初心者クラスにいた。幼児・小学生クラスは女子もそこそこいるらしいけれど、中学生以上クラスは女子は少なかった。ダイエット目的の大学生のお姉さんが一人と、主婦が三人、あとは私達だけ。シャワー室は三つついてたから、少し待てばすぐに入れた。
「琴ちゃん、シャンプー使います? 私持ってきましたから」
「ありがと。借りる」
目隠しになっている仕切りの上からシャンプーを受け渡しする。
「和君、経験者だけあってカッコ良かったです。あ、琴ちゃんも素敵でした。私なんかへっぴり腰で……」
「すぐに慣れるよ、大丈夫」
私は合気道の経験もあるから、型の模範演技を見たらそれなりに真似はできるけど、花ちゃんは始めての動きにかなり戸惑っていた。そのせいか、尚武君は結構花ちゃんにかかりっきりで……。やっぱり、花ちゃんみたいに可愛らしくて女の子らしい体型の女の子がいいのかな。
私はツルンペタンとした自分の体型を見下ろして、シャワーの水音に隠れてため息を落とした。
尚武君が花ちゃんの腕とか触って型の指導をしているのを見る度、何故かモヤモヤした物がおなかに溜まるような気がした。花岡君が目尻を下げて花ちゃんのおっぱいをチラ見していたのは全然気にならなかったのに。
「琴ちゃん、先に上がりますね。髪の毛乾かしてます」
「あ、うん。私もすぐにあがる」
慌てて全身にシャワーを浴びて泡を洗い流す。
シャワーから出ると、花ちゃんがドライヤー待ちをしていた。コンセントが二つしかなく、備え付けのドライヤーで塞がっていたからだ。
「尚武君に借りようかしら」
「そうだね。まだかかりそうだしね」
私達は荷物を持って更衣室を後にして母屋へ上がる階段を上がった。
「お邪魔しまーす」
一応声をかけたが、尚武君のご両親はいなかった。中・上級者クラスが始まって道場にいるのだろう。
「あ、風呂上がり」
シャワーしてきたんだろう花岡君が、頭からタオルをかぶって尚武君の部屋から顔出した。
「尚武君は? 」
「今シャワーしてる」
「尚武君にドライヤー借りようかと思ったんですけど」
「あぁ、持ってきてあげるよ」
花岡君は風呂場と思われるドアをガラリと開けた。
「あ、ちょっと……」
脱衣所では、パン一の尚武君がタオルで頭を拭いていた。パンツ履いていて良かった……じゃなくて、いきなり人が入っている風呂場のドアを開けたらダメだよね。
花ちゃんは真っ赤になって顔を両手で覆っているが、指の間から目が覗いてますから。
「尚武、ドライヤー貸して」
「あぁ、ほら」
そのまま振り返ってドライヤーを投げる尚武君は、全く焦った様子もない。パンツ履いているしね、スッポンポンじゃないしね、僧帽筋とか広背筋とか大臀筋(ボクサーパンツだからよくわかる)とか凄い逞しかったです。
「尚武君、お洋服を着てください! 」
花ちゃんの悲鳴のような声に、尚武君は慌てるでもなくジャージのズボンを履く。上は無地のTシャツを着て、頭をボリボリかく。
「ドライヤー、ここでも部屋でもいいけど」
「ここで。ドライヤーは持ってきたから、コンセント借りれれば大丈夫ですわ」
花ちゃんは尚武君と入れ替わるように脱衣所に入っていく。そんなに狭くはないだろう入り口だけど、尚武君とすれ違うと花ちゃんの肩が尚武君の腕に軽く触れてしまう。
「あんたもドライヤー使うか? 」
「私はタオルドライで大丈夫。すぐ乾くし」
私の髪の毛は短い。小さい時から肩より長くしたことはないんだよね。お洒落を気にしない訳じゃないけど、何かあった時に髪の毛をつかまれないようにする為。そんな不穏な状況にはなったことはないんだけどさ。
「あ、琴音ちゃん凄く良い匂い」
花岡君がさりげなく私の後ろから匂いを嗅いでくる。いや、普通に気持ち悪いから!
慌てて花岡君から離れると、尚武君の逞しい胸筋にぶつかった。
「ご、ごめん」
「いや、っつうか花岡が変態発言だから」
「変態言うな。本当に良い香りだったんだよ。おまえんとこシャンプー替えたの? 」
「いや」
「あ、花ちゃんにシャンプー借りたから」
「へえ、女の子って感じ。ね、髪の毛乾かさないと傷むって言うじゃん。僕、ブロー得意なんだよね。やったげようか? 」
「結構です」
考えただけでも鳥肌がたってしまう。
「僕と琴音ちゃんの仲じゃん? 遠慮なんかいいのに」
「おまえ、それセクハラな」
私はブンブンと首を縦に振る。とりあえず尚武君の部屋へ行くと、ローテーブルの上には大量のおにぎりと、二リットルの烏龍茶やコーラが置いてあった。
今日はお試し入門の後、みんなで勉強会をしようという話しになっていた。最初は映画に行こうとか遊園地へ行こう(主に花岡君からのお誘い)って言われていたけど、ことごとく(私が)断っていたら、テスト勉強ならいいんじゃないかという花ちゃんの妥協案に、私も渋々うなづいた。
それならお昼も跨ぐしということで、女子がオカズ、尚武君がおにぎり、花岡君が飲み物を用意することになったのだ。
「大きなおにぎりだね」
「こいつ、手がバカデカイから」
「尚武君が作ってくれたの? 」
「まぁ」
大きくて丸いおにぎりは、なんとなく無骨な尚武君のようでホッコリする。
「一つでおなかいっぱいになりそうだね」
私も持ってきていたお弁当箱をテーブルに出す。保冷剤をいっぱい入れてきたからかなり冷え冷えだ。レンチンした方がいいかな?
「花ちゃんと相談して、私は卵焼きと煮物担当。花ちゃんはサラダと唐揚げ担当」
「これ、琴音ちゃんが作ったの?」
「うん、夕飯の残りだけどね」
小学校高学年になってから、家事はほとんど私担当だ。料理は得意ではないけど、普通に食べれるくらいには作れる。やらされてるというより、母親よりは私の方が家事の適性があるからやっているだけだ。母親に任せていたら、家は汚部屋になるだろうし、食事は……栄養補給がメインな物体になるだろう。
「そっか、お母さん働いてるから琴音ちゃんが料理しないとなんだね。大変だね」
「別に、簡単なのだし」
「うちは母親が作るとほとんどレトルトか冷凍食品だぞ。母親が料理苦手なだけだけどな。うん、旨い。おまえ料理旨いじゃん。スゲエな」
尚武君が煮物を摘まみ食いして、ペロリと指を舐めた。お行儀は悪いんだろうけど、素直に誉められて嬉しかった。
「うちもママは料理下手なの。隠し味がとんでもない爆弾になるくらい」
そう、味付け通り、よほど焦がしたりしなければ、大抵は食べれる物ができる筈。うちの母親は、あれもこれもと隠し味的な物を入れすぎて、壊滅的な味を作り上げる天才だ。小さい時はこんなものだと思っていたけど、家庭科の時間にみんなで作った味噌汁と野菜炒めを食べて衝撃を受けたのは、今でも鮮明に思い出せる。
「爆弾って……」
尚武君が顔をクシャリと崩した。目が細くなくなって僅かに口角が上がる。強面の顔が年齢相応に見えた。……可愛いかも。
つい、ボーッと尚武君の顔を見てしまい、それを面白くなさそうに見ていた花岡君には気がつかなかった。
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