邂逅



「これ、良ければどうぞ」


「あっ!? ありがとう、ございます……」


 不意に自身の背後から小さな腕が伸び、誰かが怪我をした女性へとなにかを差し出したことに界人が気が付く。

 よくよく見てみればその手には絆創膏が乗せられており、血を流している女性は感謝の言葉を口にしてから、ありがたくその厚意を受け取ったようだった。


「ひどいことをする人もいるものですね。コミフェス会場の中を人込みを掻き分けて走るだなんて、どんな大事故が起きてもおかしくありませんよ」


「え、ええ、そうですね……まったく、マナーのなってない連中もいたものだ」


 自身の背後から姿を現した、この暑い中で帽子とマスクを装着している女性の言葉に反応しつつ、全く表情が伺い知れない彼女のことを観察する界人。

 おそらく、帽子は日差しの、マスクは臭いへの対策であろう。あの長い列を並び続けたというのに、汗一つかいていないことから見るに、相当に対策を練ってきた人物だと思われる。


 ……それと、どうしてだかわからないが、彼女とはどこかで会った気がするなと、そんな妙な感覚を覚えた界人であったが、そんなことを口にしてしまえばナンパかなにかと勘違いされる恐れがあったため、自分の気のせいであろうと結論付けると、誤魔化すようにしながら2人組の男たちについて話し始めた。


「どうやらあいつら、転売目的でコミフェスにやって来た連中みたいなんです。ああして急いでいるのも、グッズや同人誌を1つでも多く仕入れるためなんでしょう」


「……転売ヤー、ですか。なるほど……」


 女性と軽く世間話程度の会話をした界人であったが、実は心の中で焦りを募らせていた。


 あの男たちよりも早くにくるめいスペシャルセットを手に入れる予定であったが、向こうの反則スタートダッシュによって大きく差を付けられ、既に男たちの背中が見えなくなるくらいのリードを奪われてしまっている。

 まさか自分も彼らと同じように走るわけにはいかないし、ここから競歩で急いだとして、全力疾走する彼らに追いつけるかどうかと聞かれれば、厳しいと答えざるを得ないだろう。


 それでも、彼らが他のグッズに目移りして、くるめいスペシャルセットを後回しにする可能性はある。

 ファンとしての意地を見せつけるために最後の最後まで諦めないぞ、と……決意を固めた界人が企業ブースの方へと歩き始めようとした瞬間、彼と話していた謎の女性が口を開き、こんな呟きを発した。


「彼らの向かった方向から考えるに、行き先は企業スペースでしょうね。その上で、転売にうってつけな商品といえば……【CRE8】がこのコミフェスで限定販売しているくるめいスペシャルセット……なるほど、そういうことですか」


「えっ?」


 彼女の言葉を耳にした界人は、彼女が【CRE8】やくるめいスペシャルセットについて知っているVtuberファンであることに気が付くと共に、視線を彼女の方へと向けた。

 何かに納得したように頷いていた女性は静かに歩き出すと、途中で脚を止めて界人の方へと振り向き、彼へと言う。


「あなた、Vtuberの……いえ、のファン、ですよね? となると当然、くるめいスペシャルセットを手に入れようと考えているわけだ」


「そ、その口ぶり、まさか、あなたも……!?」


「ええ、私もあなたと同じ目的を持っています。そして、あなたと同じようにあの男たちに負けたくないと思っています。くるめい過激派として、転売ヤーごときの後塵を拝すなんてことは我慢なりませんからね」


 そこで言葉を区切った女性が、企業スペースの方向へと視線を向ける。

 そして、そこから顔を動かさないまま、彼女は界人にこう続けて言った。


「ついて来てください。ほんのちょっとだけですが、あいつらに泡を吹かせる方法を知ってますので」

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