第52話 夜更かし③

 奏にいきなり降って湧いた新曲の骨子を二人で肉付けしていく。とはいえ、僕は作曲なんてしたことがないので、奏の横に立ち、奏の問いに対して好きか嫌いかで答えるだけだ。


 一時間もすると、イントロからサビまで一通りの流れが出来た。何やら今日は調子がいいようだ。


「下に行って二人で合わせない? セッションだよセッション!」


 時計を見るともう深夜の一時を過ぎていた。なぜか体は一切眠気を感じていない。この数時間、色々とあったので、まだ脳みそが全力で情報を処理しているのだろう。


「いいよ。眠くなるまでだけどね」


「ずっと夜更かししてたから新学期が始まっても寝られないよね。三時くらいまでやろうよぉ」


 僕は前々日くらいから日付をまたぐ前に寝る生活を心がけて、きちんと新学期に合わせて調整していたのだ。ここでまたリズムが乱れると思うと少し悲しいものがある。




 再び、二人で一階の防音室に来た。部屋のど真ん中に僕がうずくまっている。さっきまでこの部屋で悩んでいた僕の亡霊だろう。


 奏は深夜テンションに片足を突っ込んでいるようで、扉を閉じるなり「あー!」と喉がつぶれそうなほど叫ぶ。


「奏吾くんもやってみなよ。楽しいよ」


 八重歯をむき出しにして、清々しい顔をした奏を見ていると本当に効果があるのだと思わされる。同じように全力で叫んでみた。この部屋に残っていた僕の亡霊が跡形もなく消え去った。元々気持ちの切り替えは出来ていたし、今後も悩まされる事は無いだろう。すぐにやっつけられそうだ。


 奏は僕の叫び声を聞くと満足そうに微笑んでピアノの準備に取り掛かる。僕もアンプを電源に繋いで、もう一度チューニングを確認する。


「それじゃ、さっきの曲で遊んでみよっか。コード進行はメッセージで送っといたから」


「えぇと……」


「大丈夫だよ。適当で。そもそもまだ出来ていない曲なのに正解も間違いもないんだからさ。最低限のルールだけ守ればいいんだよ」


 頭では分かっている事だけど、体がついてこない。僕が戸惑っていると、『最低限のルール』というものについて奏が優しく教えてくれた。同級生のはずなのに、小さな教え子と一流の教育者というくらいのスキル差を感じた。僕なんて義務教育程度の音楽の知識しかないのだから差があるのは当然なのだけど、ここまで違うのかと打ちひしがれる思いだ。


 一応、トワイライトの時も時間をかけてベースラインを自分なりに作っていたのに、それがどういう仕組みの上で成り立っていたのかを全く理解していなかった事を知った。


 急ごしらえの講座を終えてセッションに移る。奏がテンポを落とし気味にピアノを弾き始めたので、僕もそれに合わせて金属の弦を爪弾く。二人で広大な大自然の中をゆったりと歩いている。ピクニックに来た気分だ。目の前には一本の道がある。これは音楽の道だ。


 奏に手を引かれるように、一歩ずつ目の前に引かれている道を進んでいく。いつかは横に並ぶことを想像することすら恐縮してしまうくらいに、奏は何度も僕の方を振り返りながら常に半歩先を歩いて僕をリードしてくれている。リードしてくれている事に気づいたのも、僕がスタート地点からかなり離れた時だった。


 道中、辛いことは何もなかった。石ころがあれば奏が避けてくれる。岩があれば避け方を教えてくれる。川があれば橋をかけてくれる。それらもすべて、奏が一人でやり切ってしまうのではなく、僕にも実践させる事で体得させようとしているかのようだった。


 この道の最後には猛獣が居た。だけど、これまでの経験で猛獣なんていとも簡単に倒せるくらいの自信がついていた。奏と力を合わせて二人で猛獣を倒し終わった頃には深夜の四時が目前に迫っていた。


 結局、夜通しでやってしまった。今から寝ると、遅刻しない時間に起きる事が出来るのか自信がない。


「あー! 楽しかった! 奏吾くん、本当に呑み込みが早いね。トワイライトのライブを見た時から思ってたけど、やっぱセンスあるんだよなぁ」


 嫌味のない笑顔で褒めてくれる。この時間なのに微塵も疲れた様子を見せないので、実は奏はロボットか何かなのではないかと思い始めた。


「ありがと……嬉しいけど、疲れちゃったな」


「うわ! もうこんな時間じゃん! 寝よ寝よ」


 ロボットも深夜まで起きていると故障するリスクでもあるのだろうか。片づけも適当に済ませて、奏の部屋に戻る。




「あの……布団は……無い?」


「え? あれでしょ?」


 さも当然という風に普段使いしているであろうベッドを指さす。前に泊まった時も奏のトラップによってベッドで寝る嵌めになったのだが、いくら仲が良くなったとはいえ、これだけは勘弁してほしい。


 だけど、奏は自分の意思が強い。僕がいくら拒んだところで、最後にはベッドに誘導されてしまうのだろう。深夜テンションの奏なので、どんな方法を使ってくるのか想像もつかない。五体満足で眠りにつくためにも、最初から受け入れておいた方が安全だと思った。


「そうだったね。眠いしもう寝ようか」


「お! 今日は素直だねぇ。私も奥の手を使わなくて済むよ」


 奥の手が何なのかは聞かないことにした。電気を消して布団に入ると、何も言わずに奏が自分の足を僕の足に擦り付けてくる。これをするとすぐに寝られるといっていたのだが、今日も一瞬で睡眠に入ったらしい。奏の小さい寝息が聞こえ始めた。僕も疲れのあまり、すぐに天井を向いたまま意識を失っていった。




 夢を見た。今日はいろんなことがあったので、脳みそがパンクしないように、適切な情報量までそぎ落としてくれているのだろう。その過程で夢を見ると聞いたことがある。そこに自分の意思も欲望も介在しようがない。


 だが、この日は違った。僕の欲望がまるまる詰め込まれた夢を見たのだ。


「好きだよ……奏吾くん……」


 まるで、さっき寝付く前のシーンから分岐した平行世界のような設定だ。奏の部屋にあるベッドの上で奏と二人で向き合っている。体がどの方向を向いているのかは分からない。奏が僕の上にいるのか、はたまたその逆か、二人共横を向いているのか。


 奏が僕の目を見て好きだと言っている。返事をしたいけれど、なんと返事をしたらよいのか分からない。戸惑っているうちに、奏は顔を明後日の方向に向けて寝てしまった。どうやら二人共が体を横向きにして向き合っていたようだ。




「そろそろ起きてくださいね」


 誰かに体をゆすられて目を開けると、青木さんが立っていた。


 一瞬で時が飛んだような感覚だった。時計を見ると朝の七時半。自分の欲望がしっかりと反映された夢を見たのだが、その直後、外が明るくなっていた。あの夢を三時間かけてみていたらしい。横に奏はいない。もう起きて準備をしているのだろう。


「あ……お……おはよう、ございます」


 倦怠感が強く、口も喉もまだスリープ状態だ。


「おはようございます。奏さんはもう下ですよ。着替えたらご飯を食べてくださいね」


 僕がベッドから出て立ち上がるまで見届けたところで部屋から出て行った。二度寝対策も完璧だ。


 青木さんは僕がここにいる事について、何も言わないし嫌悪感も示さない。経験がないので分からないけれど、親公認の彼氏だったりするとこういう扱いなのだろうか。そもそも青木さんは奏の親でもないし、迷惑をかけない範囲であればお好きにどうぞ、というスタンスなのかもしれない。


 着替えてリビングに行くと、すっかり学校モードに切り替わった奏がテーブルについて、朝ごはんを食べていた。ドアの開く音で僕の方を向いてくる。


「おはよ! 私、先生に呼ばれてるから早めに行かないとなんだ。悪いけど先に行くね」


「そうなんだ。新学期早々大変だね」


「ま、優等生ですからねぇ」


 シャツのボタンはいつものように一番上まできっちり締められている。校則に全く抵触しないポニーテールも優等生らしい。唯一気になるところは、靴下の高さが左右で揃っていないくらいだろうか。


 テーブルには僕の分と思しき食事が用意されていた。至れり尽くせりという感じで申し訳なくなる。


 奏は僕と入れ違いで出て行ってしまった。優等生は大変だ。可もなく不可もなくが一番面倒事が少ない。


 青木さんが奏の食器を片づけ終わって、手持無沙汰になったのか、僕の前に座ってくる。何か聞いてくるのかと思ったが、何も言わずにただニコニコしながら座っているだけだ。その様子が逆に怖くなってきて、こっちから口を開いてしまった。


「あの……別に何もないですよ。文化祭でバンドをやるんでその練習をしてただけですから」


「私は何も聞いてませんよ。須藤さんの言う通りの事があったんだな、と思っていました。でも、避妊だけはきちんとしてくださいね。女の子は大変なんですよ」


 この年代の人の定番のギャグなのだろうか。父さんといい、奏の父親の直樹さんといい、何かにつけてはそれしか言わない。直樹さんは明らかにギャグではなく、本気のトーンだったが。


 僕が何も言わずに苦笑いしていると、また何も言わずにニコニコと僕の顔を見ているだけの時間が始まった。


 あまりの気まずさに、奏の後を追うようにご飯を食べ終えるなり学校に向かうのだった。

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