屁たれたちの挽歌
栗須帳(くりす・とばり)
第1話 プロローグ
――深夜
煙草をくわえ、白い息を吐きながら男はモニターを見ていた。
モニターには、数万枚に及ぶ一人の男の写真データが、BGMと共に一枚ずつ映し出されていた。
――彼の名は岩崎雄介、32歳。
数百年に渡って続いてきた、大阪市内の外れにひっそりとたたずんでいる神社の一人息子である。
雄介の部屋には壁、天井と所構わず、モニターに映っている男の写真がびっしりと貼られていた。
その異様な空間の中、写真をみつめながら雄介は細い目を更に細め、満足気な笑みを浮かべていた。
雄介がおもむろに、携帯のスピーカーをONにして番号を入力した。
しばらく呼び出し音が続き、やがて男の声が聞こえてきた。
「もしもし」
雄介は何も言わない。
ただじっと耳をすまし、その声を聞いている。
「もしもし」
無言のまま電話を切ると、雄介は何とも言えない満足気な表情を浮かべ、再び白い息を吐いた。
写真を眺めながらベッドに横たわっていた雄介は、ふと喉の渇きを覚え、ゆっくりと立ち上がった。
本堂に続く長い廊下を歩いていく。
ひんやりとした板の上を、素足でゆっくりと歩いていく。
窓から外を見ると、少し風が出てきている様子だった。
枝が騒ぎ、葉の揺れる音が心なしか大きく感じられる。
そしていつも聞こえる虫の声が聞こえないのが、少し気にかかった。
その時だった。
(……)
本堂の方から、灯りが漏れているのに気がついた。
こんな時間に何を……雄介は好奇心にかられ、足をしのばせながら本堂の中を覗いた。
雄介の目に、白装束を身に纏い、
父の前には
父の向こうには、決して開けられる事のなかった観音開きの小さな祭壇が開けられていた。
子供の頃、一度その祭壇を開けようとして、父にひどく叱られた経験があった事を雄介は思い出した。
父は一体何をしているのだろう……雄介の目が祭壇に釘付けになった。
祭壇の中に祭られている御神体――
それは
生まれて初めてその御神体を目にした雄介の鼓動は高鳴り、喉が急激に渇いていった。
日ごろ温厚な父が
その父の祈りが最高潮に達した瞬間だった。
幻覚……?
雄介がそう思うほど一瞬の出来事だった。
その炎が、何かを叫んでいる人の顔の様に見えた。
雄介は一瞬、体を貫かれたかの様な気持ちになった。
その感覚に雄介は恐怖し、目が見開かれた。
雄二は力尽きたかの様にうずくまり、肩で息をしていた。
その異様な光景を前に、雄介の全身はじっとりとした汗に支配されていた。
雄介は震える足を奮い立たせ、その場から小走りに去って行った……
自分の部屋に戻り、雄介は体を震わせながら布団に身を包んでいた。
しかし中々寝付く事が出来ない。
ウイスキーと共に口にした精神安定剤も、今の雄介を落ち着かせることは出来なかった。
壁に貼られた男の写真を見つめ、動悸を抑えようとするが収まらない。
目を閉じると、あの炎で形作られた顔が浮かんでくる。
その幻像を打ち消そうとすればする程、鮮明に脳裏に浮かんできた。
雄介はあの炎に、恐怖の感情と共に何かしら言い知れぬ安息感と力強さを感じていた。
否定すればする程、炎に魅了されている自分を感じた。
この震えは恐怖ではなく高揚なんだと、強く感じた。
やがていてもたってもいられなくなった雄介は、好奇心と惹かれる気持ちに背中を押されているかの様に起き上がると、再び本堂へと歩いて行った。
父は既にいなかった。
広い本堂の中、小さな
(……)
そこには先ほど見た御神体が吊るされていた。
好奇心が彼を支配し、震える手でその御神体に触れようとした。
その時であった。
その御神体から、ひんやりとした妖気の様なものを感じ、雄介は慌てて手を引いた。
雄介が御神体を見つめる。
その真紅の
雄介は生唾を飲み込むと、小さく息を吐いて御神体に触れた。
その時だった。
自分の中に何かが染み込んでくる様な感覚を雄介は覚えた。
――欲しい物をやろう――
一瞬そんな声が聞こえた様な気がした。
雄介が驚いて辺りを見渡す。
しかし誰もいない。
本堂の中はひっそりと静まり返っていて、かすかに
雄介がもう一度、手にしたその御神体を見つめた。
――お前の欲しい物をやろう――
幻聴ではなかった。
この御神体が自分に語りかけている。
雄介が確信を持った。
その真紅の
――手に入れてやる――
――手に入れてやろう!――
最早雄介はためらわなかった。
手に入れたいものがある。
たった一つではあるが、どうしても手に入れたい物がある。
静かにうなずいた雄介が、ゆっくりとその御神体を首にかけた。
雄介の体中に、言いようのない灼熱感が伝わってきた。
そして、まるで自分の細胞一つ一つが、自分の物ではなくなり勝手に動き回っている様な、恍惚感にも似た刺激に支配された。
やがて雄介はがっくりとうなだれ、その恍惚感の中、意識がとぎれその場に崩れ落ちた。
どれくらい眠っていたのだろうか。
しばらくして、ようやく妖しい眠りから覚めた雄介が目を開けると、そこには肩を震わせ自分を見下ろしている父、雄二がいた。
「ゆ……雄介……お、お前は……何と言う事を……!」
雄介が驚愕した。
しかしその心とは別に、強烈な衝動が体中に湧き上がってきた。
――殺せ!――
雄二の目に、雄介の姿が変貌していくのが映った。
それは最早我が子、雄介ではなかった。
雄二が恐怖に目を見開いた――
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