卒業-Reverse-6
バイトを終えると、さぎりからメールが入っていた。
電話したいらしい。
帰宅して風呂に入り、すぐ電話することにした。
ただごとじゃなさそうだったので無理矢理時間を作ったけど、今日は流石に疲れを隠せなかった。
話してみたらなんてことはない、例のバイトの変な男についてやっと店長に相談したらしい。俺の読み通り、さぎり以外の人にも付き纏っていたようだ。そして、意外にも今回話が明るみに出てびびったのか、急にバイトを辞めてしまったらしい。。
さぎりが店長と話したのは今日だ。そんなにすぐ店長が動いて本人はバイトを辞めるなんてことになるか?
なんか引っかかる。。
問題が解決したにも関わらずさぎりは元気がなさすぎる。。
ともあれ、さぎりが店長に相談してくれたことも、辛かったことも事実なので、今日は深く追及するのはやめよう。
『そうか。それならよかった。その人がバイトをやめたのはちょっと意外だったけど、自業自得だろうし。これで安心して働けるね!よかったな』
「うん」
やっぱり。ひょっとしてその大久保とか言う男がバイトを辞めたのを気に病んでいるのか?
『その人が辞めてしまったことを、さぎりが気に病むことないよ。自業自得だと思うから』
本心だ。今回のことはその男の自業自得以外の何ものでもない
「うん」
あまりにも元気がないので、話題を変えて、気分転換にご飯でも誘った。
せっかくだからさぎりのバイト先を提案してみた。前からお客さんとして言ってみたいと言ってたし。
?答えがない。。
『さぎり?』
「ん?」
いや、
『どうした?』
ぼーっとしてるな。。。
「あ、ごめん、なんでもない」
『いや、何でもないじゃなくてさ、いつ行く?』
流石に苛立った。
「え?ごめん、聞いてなかった。」
何をそんなに気に病んでるんだ?
『大丈夫か?』
「うん、大丈夫、えっと、なんだっけ?」
ほんとか?
『ならいいけど。無理するなよ?えっと、さぎりが働いているお店にご飯を食べに行きたいって話ね』
「あ、うん、ごめん。えっと、来週だったら、水木金は空いてるよ。」
それはちょうどいい。
『お!じゃぁ木曜にしよう。その日は、俺もバイト休みだから』
俺もだけど、さぎりも疲れてそうだったので、その日はすぐに電話を終えた。
一週間、俺は気持ちを整理していた。
ここのところは、ちょっと二人とも忙しすぎてお互いに優しくなかったと思った。
それに、話し合いが少なすぎた。
これを踏まえて、これからは少し意識して二人の時間を作ろうと提案するつもりでいた。
次の週の木曜日、改札で待ち合わせた。
『学校はどう?』
「うん、ちょっと、資料に目を通し忘れたり、うっかりしちゃうことが多くて。。」
大丈夫か?
『そっか、バイトでのこともちょっと大変だったしな。あんまり力になれなくてごめん。』
「んん、私こそ、もっと早くに店長に相談したらよかった。」
それはもういいよ。頑張ってくれたからな。
『これからは、お互いに相談に乗れるように、少し余裕を持ちたいな。俺も、ちょっと忙しくしすぎてた』
俺達は、まだまだ立て直せると思うんだ。
「うん、そうしよう。私、もっと恒星に会いたかったんだ。」
そうか、素直に言ってもらえると、俺も受け取りやすかった。
『そうだったのか。まぁ、実は俺もだけどな。なんか、俺達にしては、話し合いをしてなかったかもね。これからは、今日みたいにご飯に行く日を作っていこうか』
さぎりが笑顔になる。けど、やっぱり暗いよな?
お店に着いたら、店長の奥さんだと言う人が迎えいれてくれた。
「いらっしゃい!ゆっくりしていってね。」
客席の奥の方に案内してくれて、おかげでゆっくりできた。
大学のこともたくさん話せたし、今までのコミュニケーション不足についても。具体的にどのくらいのペースでなら会えるかも。
すごくいい感じで話ができて安心した。
食事を終えて一息ついていると、
『おぉ、山本、きてくれたんだな。はい、デザート。これは俺のおごりだ!』
このお店の店長だという30代半ばくらいの感じのいい男性がデザートを持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
『ありがとうございます』
やたらとテンションの高いその男はいきなり意味不明なことを話し始めた。。
『お!君が彼氏か!聞いたよ、大久保から山本を守ったんだってな!人によってどう思うかは違うと思うけど、俺は好きだぞ!ありがとな!これからも、山本をよろしくな!』
は?
何を言ってるんだこの人は。しかもよろしくってなんだよ。
『えっと、どういうこと?』
なるべく嫌悪感を出さないようにした。つもりだ。
「ごめん、ここではちょっと。デザート食べたら、公園にいかない?」
何も言いたくなかった。
店長や奥さんは関係ないので、礼儀を持って接したが、さぎりとは目を合わせられなかった。
おおよその察しがついてしまった。。
外れていることを願う。
「あのね。」
何も言わない。何かを口に出したらもう勢いを止められる自信がなかった。
「私、春休みってもっと恒星と遊べるものだと思ってて。。でも、確かに大学生にもなってバイトもしないんじゃ、だめだよなって思って、私も頑張ろうと思って、バイト始めて。恒星がすごく素敵な指輪をくれたから、なにかお返ししたいっていうのも、あって。そしたら、あっという間に春休みは終わっちゃうし、大久保さんはホントにしつこくて私、何度もちゃんと断ったんだよ?でも、恒星に話したら、ちょっと怒らせてしまって、でも自分じゃどうにもできなくて。。苦しくって、話したかったけど、大変なのは、皆一緒だし。。恒星は、私よりずっと忙しい中頑張ってるの、知ってたから。何も言えなくて。いっぱい考えてたら学校でも、大事な書類を見落としてたり、ちょっと空回りしちゃって、でも、恒星には、心配かけたくなくて。。会いたかったけど、いつの間にか言えなくなちゃってて。。
また苦しくなって。そしたら、たまたま通りかかった友達の男の子が、どうしたんだって、聞いてくれて、でも、断ったの、話してもしょうがないって、これは、私が何とかしなきゃいけないからって。そしたら、そのタイミングで、また大久保さんからメールきて、それで、すごい怖い顔してるって言われて、それで、全部話したら、もう涙が止まらなくなっちゃって。そしたら、いきなりその子が大久保さんに電話し始めて、かなりきつい言葉で、追い払ってくれて。。」
途中からはほとんど聞き取れなかったが、おおよその内容はわかった。
当たってしまったか。。。
落ち着くまでは俺も何も言わずに見守っていた。
これは、俺が落ち着くために必要な時間でもあった。
『落ちついた?』
なるべく穏やかな口調で話しかけた。
「うん、取り乱してごめんね。」
『いや、俺こそ。追い詰めてしまってごめん。』
「違うよ、これは、私が」
『いいんだよ、そんなに自分を責めなくていい。たまには俺にぶつけたっていいんだよ。そりゃ、確かに忙しいけど、さっき、すこし二人の時間を大事にしようって話したばかりだろう?だから、これからは、もう少し俺にも頼ってくれ。』
半分は本心だ。
「うん。うん」
話し合いどころではない。とにかく今はさぎりが安心できるようにしないと。
その後もずっとやさしく抱きしめていた。
『ありがとう。よく頑張った。ごめん。』と慰めるくらいしかできなかった。。
さぎりが落ち着きを取り戻したので、今回嘘をついたことはもう気にしなくていいと言い聞かせた。
嘘がバレて怖かった分、許されてほっとしたような顔をしていた。
なんだかその笑顔が、俺には他人事のように思えてならなかった。
さぎりが急に遠くにいった気がした。
話を終えて帰る頃には、疲れ切っていた。
次の日、授業が二限からの俺はいつもより遅い時間に学校へ行くために電車を待っていると、
「おはよう!」
いきなり声を掛けられて、それが自分に向けた挨拶だと気づくのに一瞬間が空いた。
『お、おはよう』
峰岸さんが、俺の顔を覗き込むようにして立っていた。
「恒星君?大丈夫?」
『あぁ、うん』
大丈夫。ん?なんか違和感が。まぁいいや
「ねぇ、顔色悪いよ?」
俺に言ってる?
「ちょっと、大丈夫?」
肩に手を乗せられて、ハッとした。
『ごめん、大丈夫。考え事してた』
峰岸さんは、本気で心配しているようだった。
申し訳ないことをした。
「ねぇ、学校行ける?顔色悪いよ?」
そうか、そんなにひどい顔してるのか。
おかしな話だ。悩んでいたのはさぎりの方なのに、なぜ俺がこんなに苦しいんだ。
いきなり他の男が出てきてビビったのか?いや、そもそも彼氏のフリってなんだよ。
勝手に俺の立場を語るなよ。それに、あの店長もそうだ。よろしくだと?
そもそもバイトの学生の間で何が起きてるかくらいちゃんと見ておかないからこんなことになるんだろうが。
俺が半年かけて用意したペアリングはこんなくだらない男たちのせいでなんの効力もなくなってしまうのか?
くだらない。だったらその助けてくれた男達と一緒にいればいいじゃないか。最後の最後だけ俺に頼られても何もできないだろうが。いや、そもそも
「ねぇ!恒星君!!」
気づくと、俺の顔は峰岸さんの両手に包まれていた。
峰岸さんは両手を俺の両頬に添えて、まっすぐに自分の顔を見せるようにして俺の正面に立っていた。
周りからも視線が集まっている。
やばい
と思った時には峰岸さんもハッとしたようで、俺の手を取って走り、ちょうど今来たばかりの電車に少し離れたところから乗り込んだ。
心臓が高鳴っている。これは、走ったせいだ。あ、
気づいた時には反射的に手を引っ込めていた。
「あ、ごめんね」
いや、
『いや、こちらこそごめん。』
俺は、返事も待たずに続けた。
『人の声が聞こえなくなる程考え込んだのは初めてだった。恥ずかしいところを見せてしまって悪かった。』
峰岸さんは、俺の言葉を聴きながら首を横に振っていた。綺麗な髪が、また少し揺れていた。
「いいの。むしろ私でよかったわ。私って、なぜか変なところで肝が据わってるっていうか。だから、驚きはするけど全然動じないの。そんなことより、大丈夫?少しは落ちついた?」
彼女は、本当に動じていない様子だった。
強い人だ。それに、今まで見たことのない優しい一面を見たような気がした。
『今は、大丈夫。ありがとう。』
さっきまで悩んでいたことが、なんだか現実味のないことのように感じた。
いや、実際は何も変わっていないのだが、正直、考えるのをやめたかった。少しの間だけでも。
「ねぇ、この後、何限から授業?」
え?
『二限からだけど』
なんだ急に。
「お茶しない?学校の近くにいいお店見つけたの!」
はい?
『いや、授業は。。』
「大丈夫!履修確定までまだ時間あるし、ってことは今日はそこまで本格的な内容には入らないはずじゃない?サボるなら今よ!」
彼女はそう言っていたずらっぽく笑う。綺麗な顔して全く。。
けどまぁ、今授業に出てもどうせ頭に入らないだろうし。。
「ね、いきましょ?」
結果、一緒に行くことにした。
一人でいると、また考え込んでしまうと思ったからだ。
それに、彼女といると、現実を忘れることができる。
どうせ今は何を考えても無駄なのだから、思い切ってサボることにした。
「このお店なら何飲んでも美味しいわ。恒星君は、コーヒー大丈夫?」
『うん、大丈夫。カフェモカにしようかな。』
少し甘いものが飲みたかった。
「奇遇ね、私と同じ」
ん?なんだ、いつもみたいに喋らないのか?
あぁ、そうか、俺からの話を待っていてくれてるんだな。
けど、もう少しゆっくりしていたい。
このお店は静かだ。珍しく頭がヒートアップしてしまった俺には心地いい。
店内の温度も快適だった。
思い返してみれば、いろんなことが一気に起きて戸惑ってはいるが、それがどうにも整理しきれないのは、周りにいる男が絡んでいるからだと思う。さぎりの知り合いであっても俺には他人なので、どうにもできない。だから、なんとももどかしい気持ちのままでいるのだ。
そして、今回に至ってはさぎりの行動の遅さと、俺の気持ちへの理解の薄さ、って言ったいいんだろうか?自分が辛いということばかりで、あまり俺の気持ちへの配慮を感じないというか。。
一番悩ましいところは、それをどのようにさぎりに伝えたらいいのかわからないと言うことだ。
さぎりが辛いと言うのもわかるし、頼ってくれるのは嬉しい。けど、俺のこともわかってくれと言うのは、どうにも。。ちゃんと伝わるかどうか心配だ。
信用?もちろんしている。。けどどうにも踏み切れない。。。
「恒星君?」
しまった
『ごめん、また考え込んでしまった』
峰岸さんは優しく微笑む。なんだその反則的な、、
「気にしなくていいけど、多分、話した方がスッキリするよ?」
迷った。出会ったばっかりの、しかも女子にこんな話をしていいものなのか?
肇や浩司にも話せないようなこんな話を。。
いやでも、あまり親しくないからこそ話せることもあるかもしれない。。
こんな時、女子はどう思うものなのか。。
『実はな。。』
結果、俺は洗いざらい話した。
春休みに2年の記念日を迎え、指輪をプレゼントしたこと。その為の準備に半年もかけたこと。
その後二人とも別なところでバイトを始めたこと。さぎりがバイト先で良くない男に付き纏われていること。さぎりの辛さも理解はできるけど、店長や他のバイト関係の人間に相談せずにいたことに苛立っていたこと。できれば自分でなんとかできるようにならないと、さぎりがどんどん俺に依存してくような気がして心配だったこと。たった一人の変な男のせいで俺の半年間や、指輪に込めた想いまで全て薄れてしまっているような気がしていること。この気持ちを伝えたいけれど、今はさぎりの気持ちを優先したいので、なるべく聴き側に回っているため、中々言い出せないこと。。。。
彼女は真剣な表情で黙って聞いていた。
瞬きのたびに長い睫毛が交差する。俺は、何故かそんなことが気になった。
話し終えてからもしばらく黙っていたが、やがて静かに話し始めた。
「うーん、なんていうか、恒星君て優しいのね。」
そうか?俺はあまりそうは思わないけど。
「人一人が抱えられるものの大きさなんて、たかがしれていると思うのよ。でも、恒星君は彼女の分まで持ってあげてるのね」
いや
『そんなことはないよ。やってみようとしてるけど、できてはいない』
すると彼女は、いつものように俺をまっすぐみて言った。
「大事なのは、できているかどうかじゃなくて、やろうとしてあげることじゃない?」
そうか?
『どうだろう、わからない。やろうとしていてもできてないし、結局二人とも苦しくなっているし』
「苦しいのは、結果に繋がっていないと思うからでしょう?彼女さんだって、きっと恒星君の優しさに感謝してるよ。多分だけど、彼女もどうしていいかわからなかったんだよ」
俺は、何も言わずに先を促した。
「バイト始めて間もないし、下手に店長なんかに相談して、変な噂になるのが怖かったんじゃない?悪いのはもちろんその男だけど、場合によってはその人を追い出すことになるかもしれないし、そう言うのって、女同士の中では結構難しいのよ。」
そうだろうと思う。だから何も言わずに我慢していたのだ。
「私は恒星君と知り合って間もないからよく知らないけど、初めて会った時から、あなたはとても器の大きな人に見えたわ。でも、さっき言った通り、人一人が抱えていられるものの大きさなんてたかが知れているのよ。同い年なんだしね。だから、どんなに恒星君が優しくても、大きく見えても、甘えすぎないようにしなきゃいけないと思うわ。いくら自分がいっぱいいっぱいでもね。」
彼女は一旦言葉を切った。
「まぁでも、バイト先のことは解決したわけでしょ?だったら、そろそろ恒星君も本音を言っていいんじゃない?今なら、落ち着いて話せるでしょ?」
まぁ確かに。全て吐き出したらだいぶ落ち着いた。彼女には俺の心でも見えてるのか?
『ありがとう、だいぶ落ち着いた。』
彼女は、また髪を揺らしながら言う。
「気にしないで!その代わり、もう少し付き合ってくれない?」
いいけど、今度はなんだ?
店を出て歩き出す。どこに向かっているのかわからないので、俺はただついて行くしかない。しばらく歩いていると、広い川幅の土手にたどり着いた。
彼女は少しゆっくりと歩き始めた。
まさか、ここを歩きに来たのか?
俺は、彼女のイメージとあまりにもマッチしないこの場所に少々戸惑った。
「私ね、散歩が好きなの。さっきみたいにお店で話すのも好きだけど、こういう人のいないところをゆっくり歩きながらだと、結構いろんな話ができるのよね。」
なるほど。
『そうか、彼氏ともよく散歩するのか?』
彼女の表情がほんの少し曇った。本当に一瞬だった。
「私、彼氏はいないの!散歩も、結構久しぶりなんだ」
そうなのか
『それは、ごめん、てっきりいるものだと思っていた』
彼女の表情は、もう曇ることはなかった。
「あ、全然大丈夫!別れたのはもう随分前だから、っていうか、なんで私に彼氏がいるって思ったの??」
急に足を止めた彼女が俺の顔を覗き込む。
それやめろって。。
「私、そんなに可愛い??」
何を急に。。!
『まぁ、峰岸さんを初めて見た人は誰もが彼氏がいると思うくらいには。。』
「くらいには?」
『可愛い、んじゃ、ないかな』
とても直視できなかった。。本当に同い年か?
なんだ、この感じは。
「ありがと!ねぇ、そう言えば名前!」
あぁ、俺も言おうと思ってたよ
「そろそろ私のこと、結って呼んでよ」
そっちか。。俺の名前のことじゃなくて
『あぁ、でも呼び捨てってわけはいかないし、慣れないから』
「じゃぁ、結ちゃんって呼んで!」
いや、そう言うことじゃなくて。。って歩き出してしまった。
なんか調子狂うな。。
「どうしたのー?」
いや、どうしたって。。
『あ、ごめん、』
まぁいいか、呼び方くらい。
「ねぇ、恒星君」
『え?何?』
なんだよ、改まって。。
「たまにでいいから、こうやって一緒に散歩してくれる?」
なんだ、そんなことか
『あぁ、たまにはな。』
度が過ぎると、さぎりに悪いからな。
「…な、…さん」
ん?
『ごめん、よく聞こえなかった、何?』
「んん、なんでもないよ!恒星君て、やっぱり優しいね!」
そんなことはないけど。。
「そろそろ、戻る?」
いつもの屈託ない笑顔だった。
『そうだな。』
なんだか、少しだけ
「また来ようね」
『うん』
寂しい。。。
昼休みの間には学校に着いたので、そこで解散した。
俺は一度食堂に行って、午後は一時間授業を受けた。今日はバイトもあるので、練習は一時間弱しかできない。
少ない時間だけど、新しい課題の譜読みをしようかな。
不思議と気持ちは落ち着いていた。
少なくとも今朝のようにネガティブなことばかり考えていはいない。
峰岸さん、ありがとう。
さぎり、ごめんな。
けど、そろそろちゃんと俺の気持ちを話そうかな。
今日は、いつもより練習に集中できそうだ。
練習を終えて電車に乗った。
運良く座れたので、また履修計画でも確認しようと思ったのだが、なんとなく携帯を見た。
?
メールが来ている。
さぎりからだった。
【会いたい】
なんだ?なんかあったのか?
【どうした?今日はバイトだけど、どうしてもなら、終わってからでも会えるけど。今日は、20時までだから。】
【何時でもいいよ。会ってくれるなら、迎えに行っていい?】
【うん。かまわないけど、来るなら、気をつけてきてね?暗いし。】
【大丈夫。ありがと。】
メールだけ見てても、大丈夫なようには見えない。。。
またしても気持ちが下向きになってしまった。
さぎりに会えるのはいいし、何かあったのなら助けたい。
そう言う気持ちはもちろんあるんだけ、休まらないなとも思う。
そうか、だから、今日土手から帰るのが寂しかったんだ。
今日のあの数時間は、俺にとって久々の休息だったんだな。
よくないな、本当は、こう言う休息も、さぎりと過ごすべきなのに。。。
バイトには、全然集中できず、珍しくミスを連発した。。
「樋口君、大丈夫か?」
フロア長という、俺が働いているDIYコーナーの社員に聞かれた。
『大丈夫です、すみません。』
らしくないな。。
バイトを終えたら、バックヤードの扉を出てすぐに電話した。
「もしもし?」
『終わったよ。どこにいる?』
聴き慣れたさぎりの声が、随分久しぶりに感じられた。
電話しながら、すぐにお互いのことを見つけて切った。
『大丈夫か?』
だめそうだけど。。
「会いたかったの」
それはわかっている。
『なにかあったのか?』
抱きつかれて、そのまま泣き出した。
俺も抱きしめ返す。でも、この時には既にやりきれない気持ちになっていた。
なぜ何も言わずにいるんだ。
何故か気になったこの小さなひっかかりはずっと消えなかったけど、なるべく優しく抱きしめていた。
『さぎり』
そろそろちゃんと話してくれ。
「ん。ごめんね。どこにも行かないで」
何故そうなる。けど、
『俺こそごめん。こんなになるまで放って置いて。。もっと早くに助けるべきだった。』
「いいの。こうしててくれたら、それだけで。。だから、どこにも行かないで。」
答える気が失せた。俺は何回そう言ってきた?
「ねぇ、答えてよ。」
答えない。それより気持ちを落ち着かせないと。
「恒星?」
「どうしたの?」
『いや、どうもしないよ。』
しまった。声が尖ってしまった。
「ねぇ?恒星?」
『悪い、ちょっと待ってくれ。』
「え?」
『ちょっと待ってくれって言ったんだ。いきなり泣くだけ泣いてどこにも行かないでと言われても、ちょっと意味がわからない。。』
本音だった。なるべく穏やかに話したつもりだった。
「。。。ごめん」
謝るだけだ。また俺の疑問にはちゃんと答えてくれない。
さぎりのことが好きか聞いたり、どこにも行かないでと、俺に言葉を求めるばかりだ。
『俺はどこにも行かない、だけど、今日はもう帰ろう。』
答えも聞かずに歩き出した。今日はもう優しくいられない。
「待って!待ってよ!!」
後ろから足音が聞こえる。
さぎりは俺の肩を掴んで振り向かせた。
痛いな。
「ねぇ、ちゃんと私のこと見て好きって言ってよ!大事だって言ってよ!!何もなかったら急に会いにきたりしないもん!!ただ抱きしめてよ!一緒にいて不安を消してよ!!ちゃんと私を見てよ!!」
途中から何を言われてるのかもう聞こえなかった。
何を言ってるんだ?好き?大事?抱きしめて?不安を消して?私を、、見て?
『何を、言ってるんだ。。?』
「え?」
『何を言ってるんだと聞いてるんだよ。今まで俺の何を見てきてそんなこと言ってるんだ?』
「何って、、」
『それ。』
さぎりの左手を指さす。
『俺がそれを渡すために、どれだけ時間をかけたか話したよね?それは、俺の苦労を理解して欲しくて話したんじゃない。俺がさぎりを思う気持ちがどれだけ大きいかをわかってほしかったからだ。その想いも、2年間の思い出も、感謝も、全て込めてプレゼントしたものだ。』
一旦言葉を切る。
「それは、わかって、」
『わかってない!』
らしくない、声が大きくなる。
『わかっているなら、何故そんなに不安なんだ?俺が助けてくれないからか?助ける助けないよりもまず、自分は何か行動したのか?店長や、他のバイトの人にでも相談したのか。人間関係が難しいのはわかる、だけど、バイト先でのことは俺は何もできない。外部の人間なんだから。それに、そうやって自分が行動する前に優しくしてほしいみたいなのは、依存じゃないのか?』
さぎりの顔から表情が消えていく。
「どうして。そんなこと言うの?」
さっきから言ってるだろう。
『わからないのか?』
「言ってることはわかるけど、なんで今そんなこと言うの?」
わかりきっているだろう。
『我慢の、限界だからだ。』
「ずっと、我慢してたの?いつから?」
そんなの
『わからない。気づいたら限界だった。』
「...んは、....のに」
なんだって?いや、もういい。
『今日は、もうやめようよ。』
またなにも言わない。
「ねぇ、恒星?」
『うん、何?』
「恒星は、私が、誰かのところに行ってしまってもいいの?」
は?
なんだそれ。。。?
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