第20話 オカンのお母ちゃん ~後編~

 

 千早は懐かしさに眼を細めた。


 過去にタイムスリップしたかのように全く変わらぬ我が実家。平均的より、やや大きな日本家屋は築百年を越えていて、宮造りの意匠が混ざっている珍しい物である。

 文化財に指定されかかったが、払われる維持費が雀の涙程度だったため親父様は一蹴したっけ。


 お国仕事なんて、そんなもんよな。


 千早は思い出を振り返りつつ実家に向かった。

 趣のある純日本家屋。千尋は古臭いと嫌っていたが、千早は大好きだ。

 右側に近代的な小さい家が建っていて、炊事洗濯はあちらで行う。旧い方の家には、一切手を加えられていなかった。


 左にある鶏小屋に向かって広く取られた縁側。良くここで、お母ちゃんと野菜の仕分けをしたっけな。


 そうしてると親父様が鶏小屋から出てきて寡黙ながらも二言三言話をして、皆でお茶を飲む。


 長閑で、ありふれた日常風景。


 そんな他愛もない事を考えていたら、思い出をなぞるかのように鶏小屋の扉が開いた。


「.....千早か?」


「お父ちゃん?」


 思い出をなぞるどころが、思い出を再現したかのような状況に千早は声を失った。


 そこにいる親父様は、去年の里帰りに見た白髪の老人ではなく、真っ黒でサラサラな髪を無造作に束ねた精悍な男性だった。

 千早の記憶をかなり辿ると、似たような父の姿がある。それより若い。たぶん今は二十歳そこそこか。


「懐かしい呼び方だな。....入るか?」


 思わず彼女の口から出た幼少期の呼び方に、親父様の眦が綻んだ。

 そのまま縁側に上がり奥に消えた父を見つめながら、千早は思案する。


 父は以外にも信心深いのだろうか。


 千早はお茶の支度をしてきた父に、直球で聞く事にする。


「信心...かな? 農家だからな」


 言葉少なだが、他人なら捕捉説明が必要であろう言葉を千早は正しく理解した。

 農家の仕事は自然との戦いだ。天に祈り、大地に祈り、森羅万象すべてに感謝する。

 家のような有機栽培農家なら、なおさらだ。


 結果、親父様には数十の御加護がついていたのだろう。山には小さな祠もあるし、毎日家族で御勤めしてたしな。

 納得顔で茶を啜る幼女を見つめ、父親は懐かしそうに眼をすがめる。


「ニュースで見た。...逆行とか。お前もか」


 親子だなと呟いて、父は千早の頭を撫でた。


「たぶん、そのうちニュースになると思うんだけどね。例のダンジョン。あれの最深部には異世界に繋がる魔法陣があるんだ」


 千早は斯々然々と今までの経緯を話す。

 女神様案件は削り、家族が亡くなって地球世界に未練がなく、新天地で新たな人生を送ろうと思っていると。

 親父様は腕を組み、静かに聞いてくれた。


 何度か頷き、寂しくなるなと苦笑する。


「お前の人生だ。後悔のないよう....たまに、この老いぼれの事も思い出してくれたら良い」


 母さんがいれば笑って送り出しただろう。


 そう呟き、父は少し遠い眼をした。


 途端、千早の心臓が大きく脈打つ。


 女神様案件だ。だが.....


 千早は汗の滲む掌を固く握り締め、探るように父親を仰ぎ見た。


「親父様は再婚とかしないの? 若返ったし、第二の人生とか考えへん?」


 父親はビックリしたかのように眼を見開き、次にはくしゃりと苦笑いする。


「.....無いな。アレだから傍にいた。他は無い」


 唯一無二。言葉少なでも、ひしひしと感じる愛情。溢れるほどのそれに、千早は固く眼を瞑った。


 ごめん、女神様ッ!


「あんなぁ、親父様っ」


 千早は自分にしか知らされていない話を、あます事なく父親に話した。


 絶句する父親を神妙な面持ちで千早は見つめる。


「異世界転生.... 生きてる?」


「ある意味。生まれ変わりだから、姿形は変わってるかもしれないけど、記憶は継承してるから中身はお母ちゃんのままやき」


 見開いた眼を数度瞬き、親父様は戦慄く唇を両手でふさいだ。

 そして細く長い溜め息をつき、切な気に千早をみつめる。その瞳にはなんとも言えない不可思議な光が宿っていた。


 安堵と期待がない混ぜになった確固たる光。


 千早は軽く頷くと父親の手に、あるモノを握らせた。土地を売った代金や今までの蓄えが全部入った通帳である。


「...これは?」


「親父様、異世界目指すやろ? これからダンジョンは一般にも開放される。力をつけるのも探索者を雇うにも、お金は必要や。私はしばらくしたら、あちらに行くよって、こちらに残してくお金は全部上げる。持ってても仕方ないし、親父様に貰って欲しい」


 にぱっと笑う幼女に、父親は複雑そうな顔をした。


 そんなに遠い話ではない。千早は父親を鑑定して確信している。近い将来、親父様は必ずダンジョンを踏破出来る。


トオル イスルギ 82歳 レベル1


職業 農夫 樵 釣人 獸使


称号 無


体力314 筋力226 俊敏185 器用203


知力102 魔力0  知略118  野心51


祝福 地球の神々の愛し子


スキル 無


 見て驚いた。魔力が皆無な事を除けば敦達と大差無いステータスである。レベル1で。


 半世紀以上農夫やってきた親父様。ガタイ性能、半端無ぇっす。


 いずれ出逢うであろう両親を脳裏に描き、千早は心の底から嬉しそうに微笑んだ。




 それからも千早は目まぐるしく働き、やれ薬品だ、やれ素材回収だと怒涛のように日々が過ぎていく。


 何しろ自分は自他共に認める臆病者である。準備は過ぎるほどしても安心出来ない。


 ときおり訪れる敦達や神埼に千早メイドな武具や薬を渡し、代わりに頼んでおいたお取り寄せ品を受け取ったり。

 ダンジョン最深部に到達する人々も徐々に現れ、ここも賑やかになってきた。


「また誰も通さなかったんか、爺様」


『知恵も技量も足りぬわ。あれをあちらに送ったら十日ともたずに権力者に喰われる』


 慧眼な眼差しで異世界への祠を睨めつけるドラゴンには、何やら思う事があるようだ。


 獣や魔物ではなく権力者に喰われるか。あちらでも人間は世知辛い生き物なのだな。


 敦達の場合は私がチャチャを入れたため、なし崩しとなっただけ。まあ、今は十分な力があるとの爺様の言である。


「あたしは良いんか?」


『そなたを喰おうなどとしたら、逆に喰われるであろうよ。力も技量も我が授けられる物すべてを授けた。邪魔な物は蹴散らして思うがままに生きよ』


 かっかっかっと高笑いしながら、ドラゴンは如何にも楽しそうに眼を細めた。


『出来うるなら共にあり、そなたの生きざまを見物したいものだがな。さぞ痛快な道行きになるだろうて』


 あたしゃ一体何を期待されてんだか。


 くっくっくっと含み笑いが止まらないドラゴンを睨みつつ、千早は斜め掛けの鞄をチクチクと縫っていた。

 帆布で作ったマチ付きのトートバッグに肩掛け用のベルトを付けた感じだ。中にネットを張り上部を巾着絞り出来るように紐を通す。


 最近ようやく気づいたのだが、インベントリから物を出すのは不味いようなので、これを使って出す振りをしようと千早は遅まきながら考えたのだ。


 ここに住み始めてからそろそろ一年。あっという間の日々だった。


 一般向けダンジョンの開放にも立ち合ったし、神埼さんもエリクサーを作れるようになった。

 ここで半年。彼は死に物狂いで頑張ったのだ。時間の許す限り薬品を造り続け、コンスタンスにエリクサーの供給がされるようになった。


 あとは皆が頑張るだろう。爺様もいるし。


 千早は感慨深く至高の間を眺めた。


 たった一年なのに、まるで一生分の内容の濃さである。ジェットコースターのごときスピードと滑降で過ぎ去った日々。


 来週には異世界に行く。


 千早はやり残しがないよう、慎重に準備を終えた。




 翌日、千早が畑仕事を終え、開墾した土地を更地に戻した時。裁定の間から、けたたましい金属音が聞こえた。


 また挑戦者かな?


 しばし扉を見つめていると、絶え間無い戦闘音が鳴り響き、一際大きな音がしたかと思った途端、今度はシンと鎮まりかえった。


 固唾を呑んで見守るなか、爺様が至高の間の扉を鼻先で開く。


 初踏破者かっ! 


 私のようななんちゃってでもなく、敦達のような棚ぼたでもなく、爺様自ら招き入れる真の初踏破者!!


 千早の視界には一人の男性。なんとパーティではなく、たった一人で爺様の試練を乗り越えたらしい。


「たった一人でかよ。よくぞまぁ」


『そなたのせいだ。見よ、あの武器を』


「手に馴染む。...良い斧だ」


 三種三様、なんとも言えない空気のなか、男性は斧というには柄の長い武器を頭に翳す。


 千早メイド、ナンバーズ12。悪乗りで作ったハルバートだった。


 《ミスリルのハルバート》


 極上のミスリルを、これでもかと鍛えた一品。製作者の魔力により持つ者を禍から遠ざける。


 物理反射小 魔力吸収小 損壊不可


 所有者の周囲に風を纏わせ、あらゆる攻撃を軽減する。


 千早メイド No.12


 あ~....


 千早は憮然とするドラゴンにチラリと視線を向ける。


 ドラゴンは仏頂面で、何時もより三割増しで厳つい顔をしていた。


 親父様のレベルはかなり上がっている。さぞ気合いを入れてダンジョンを突き進んできたのだろう。

 肩に背負ったシェルフつきのザックを見ただけで、その本気度が分かる。


 そこへ千早メイドのハルバートだ。鬼に金棒どころの話ではない。


「あのな、爺様....」


『夕食にすき焼きを所望する。鍋一杯に卵は半熟で5個だ』


「いえっさーっ!!」


 そのくらい、御安い御用ですともっ!!


 不機嫌極まりないドラゴンに向かって、ビシッと敬礼する千早に笑いながら、男性はちょいちょいと指招きし、近寄ってきた幼女の頭をポフポフと撫でる。


 千早は嬉しそうに男性を見上げた。


「間に合った...な?」


「うん、親父様♪」


 真の初踏破者は石動いするぎ十流とおる。千早の父親だった。


 異世界への心強い同行者に、爺様の眼が暖かく綻ぶ。


 あの親にして、この子ありか。よく言うたもんじゃ。


 仲睦まじげな親子の姿は、千早の武器に翻弄された裁定でささくれだったドラゴンの心を、優しく凪いでくれた。


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