第39話:永遠と一瞬:翔びたつ白い羽

春を待つ土の中のうごめく虫たち。

最後のセットの確認。

照明の確認。音響の確認……。

幕が下がった暗いステージの中、スタッフが所せましと走りまわる。

ドタバタ、ズドンズドン、舞台の板をきしませる音が視界を揺らす。

「ごめんッ」「急いでッ」「OKッ?」。

とがったささやき声が、矢のようにステージ上をビュンビュン飛びう。

病的な静けさ。

一音一音重く、固く、そして、パンパンに張って胸に刺さる。

腹がキリキリする。

役者はそでで待つ。

背筋をピーンと伸ばして、ゴクリとつばを飲み込む。

それがまた響き、伝染病のようにみんなを硬直こうちょくさせていく。

衣装もメイクもすべて仕上がっている。

あとは幕が上がるだけ。

そではさらに暗い。

お互いの表情は見えない。

鼻息の洪水こうずい

みんな、そでの小窓に耳を近づけ、そっと観客をうかがう。

ザラザラッとうねりのようなざわめき。

けっこう来てるな……。

「何だかドキドキしてきた……」

1年生が静かにはしゃいだ。

そして、ソワソワと心臓の所をこすった。

とがった摩擦音……。

みんな、その女の、擦る音に反応して、ピタッと固まる。

鼻息をゴクッと飲み込む。

ぞくぞくとスタッフが仕上げを終え、ステージからそでへ帰ってくる。

音が消えていく。

耳がなくなる。

暗闇の視力しか頼れない。

心臓がバクバクしている。

見つめて手を握り合う役者たち。

最後のスタッフが小走りで入った。

「大丈夫?」

 水谷が聞く。

「OKです。行けます」

 ズシッと最後の言葉。

 ピターッとみんなの息が止まった。

 ズンッと鳥肌が立って、身体からだがブワッと火照ほてる。

「いくよ」

 水谷が、ふわりと言葉を投げた。

 みんな、そっと両手で受け取ってうなずく。

 もう、誰もソワソワしていない。

 森の泉。

 静かだ……。

 水谷が音響室へ向かう。

「ただ今より、第十八回、浅越高校文化祭、演劇部・公演を行ないます」

 みんなの目がステージに向く。

〝ブーッ〟と鎮静剤ちんせいざいのようなブザーの音。

 ちょうが一斉に羽ばたいた!。

 観客の拍手!。


 光だ!。


幕が開く!。

柔らかい陽光がステージの隙間すきまからすべり込み、

一気に怒号どごうを上げて上空へ突き抜け、

やがてはハレーションとなってステージを真っ白にする。

何も見えない。

目が割れる。

雲だ!。

「いきますッ」

ゴクリと飲むように言う浅倉。

ズンとうなずくみんな。

背筋を伸ばした浅倉がステージ中央に出ていった。

光にける。

浅倉は進む。

しだいに輪郭がぼやけていく。

雲の中へフワッと消えていく。

グッとあごを引いて見守るみんな。

芝居が始まる。

みんな、次々と雲の中へ。

すべては光へ溶けていく。


嗚咽おえつするようにググーッと私の腹の底から笑顔がき昇った。

目頭めがしらが燃えるように熱くなる。

ねっせられた鉄板の水滴のように涙がジュッと蒸発する。

それでも涙はあふれ出る。

私の中で、今まで退部してきた数々の部活の日々がよみがえった。


へへ、まさかね……。


はんぱ者の自分が、まさかここまで来れるとは思いもしなかった。

水谷、ありがとう。

みんな、ありがとう。

出番だ。

私も、雲の中へ。

一歩一歩進める。

中は乱気流だ。

心臓がバクバクする。

観客が、みんな、私を見ている。

思った以上に客の顔がはっきり分かるんだ。

頭がクラクラして、身体からだがぶわりとふくれ上がる。

怖くて逃げ出したい。

でも、やるんだ。

だって、一人じゃない。

みんな、居る。

ステージには役者が、そでにはスタッフが、ステージ下には水谷が。

みんな、それぞれの思いを込めて頑張っている。

私は、ギターを弾く。

ここのシーンだけ特別の拍手が起きた。

胸がキューンとなる。

浅倉、悪かったな。ごめんよ、殴ったりして。

でも、お前は、あれくらいやられないとな。

みんな、ありがとう。

すべてを許せる。

水谷……。

私の出番は終わった。

まぶしい。

洗われる……。


裸の私……。


私は、そでに帰って、この一瞬を胸の奥へと閉じ込めた。

そして、一つ大きな深呼吸をし、1年生に川田を呼びにいかせた。


終盤。

出番が終わり、そでで衣装の手伝いをしながら舞台を見守っている私のもとへ川田が現れた。

用があるならテメエが来いよ、と言わんばかりの仏頂面ぶっちょうづらでのそのそ近付く。

「何の用?」

 面倒臭そうな寝ぼけた口調。

 まあ、ちょっと待ってろよ。

 私は、衣装を丁寧に片付ける。

「忙しいんだけど」

 たいそう大袈裟にいちゃもん付けるように言いやがる。

 黙ってろ、この番犬。

 川田の存在に、他の部員たちの顔が曇り始める。

 邪魔したな、みんな。すぐ終わる。

 私は、ゆっくり立ち上がり、川田の耳元に口を近付けた。

 そして〝ビラの犯人は私だ〟とカッターで耳朶みみたぶを切るようにささやいた。

 川田の顔が、くわっと私の方に向き、薄暗うすくらがりの中ギョロッと白目が右から左へ移動した。

「……」

 固まって言葉が出ない川田。

「帰って西野に言いな」

私は、川田の耳をぎ落とした。

理解したのかしないのか、川田は、ゆっくり正面に向き直り、ジリジリとそのまま後退あとずさりしていく。

そして、黒い紙に墨をにじませたように闇の奥へと消えていった。


いっちまいやがったか……。


思わず溜息が落ちた。

鈍色にびいろ

トロッとつやがある湿気た鉄だ。

やっぱり溜息か……。

もう、戻れない。

後悔なんかするもんか。

振り返りもしないで時間の野郎は過ぎ去っちまいやがる。

口元からこぼれた鉄は、私の足元にとぐろを巻いて沼を作る。

まるで私は、そこへ沈む。

下へ下へ。

景色は消えいく。

やがて光が消えた。

そこで突然目が覚める!。

幕が下りた!。

幾千いくせんてのひらが激しい波を立てて私たちを飲み込んだ。


みんな、ステージへ!。


色とりどりの押しくらまんじゅう。

一斉に抱き合い、握手をし、ほおを寄せ合う。

約束の場所で再会できた戦友たち。

今朝、このステージで握手ができるように誓い、別れ、そして、散っていった。

そして、またここへ戻って来たんだ。

みんなの声がする。

「ありがとうッ!」。

「おつかれさんッ!」。

秋のかわいた空気と光に、蒸気じょうきとなる汗の温もり。

喜びの数だけ私たちをはずませるステージの板のきしむ音。

私たちは、何年たっても思い出す。

このステージを見るたびに、このみんなの肌の温もりを。

再び光。

幕が開いた。

カーテンコールだ。

みんな、手と手を取り合って、大きく天に突き上げ、そして、深く頭を下げる。

今度は、柔らかい優しい拍手だ。

真っ白い歯が温かく包んでくれる。

熱い。

上へ上へ浮いていく……。

私の身体……。

鳥だ!。

本当にやったんだ。

最後までいったんだ。

みんな、泣いている。

涙とドーランを顔に焼き付かせ、鼻水を垂らし、つばき出して抱き合っている。

最後の幕が下りる。

すると、ザザーッと観客の波が引いていく。

そして、やがておとずれる夜の海。

終わった……。

水谷が号令を掛け、打ち上げの説明をした。

みんな、打ち上げが待ち遠しそうに、あと片付けへと散っていく。

私も片付けへと向かう。

しかし、ふと、前方の体育館入口に目がいった。

西野。

生気せいきの無い蝋人形のようにこっちをにらんでいた。

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