閑話 降誕祭の奇跡(第三者視点)
降誕祭というお祭りの最中、中心街の大通りを必死の形相で駆け抜ける子供達がいた。そう、先ほどミシュリーヌ様からの神託を授かった兄弟だ。
「お兄ちゃん、止まってよ……苦し、いよ……」
「あっ、ごめん」
兄に手を引かれた妹の方に体力の限界が来たようで、その場に立ち止まって荒い息を吐いている。
「そんなに慌てて、どうしたの?」
「さっき聞こえたんだ、ミシュリーヌ様の声が。母さんを治してくれるって言ってたんだ」
「それ本当? 空耳じゃない?」
「そうじゃない……と思うけど」
男の子は改めて聞かれると自信がなくなったのか、不安げな様子でそう口にする。突然神から神託を受けたとしても、少し時間が経てば夢だったのか、自分の願いが強くて幻覚を見ていたのか、それともただの妄想だったのかと思うだろう。
「とにかく家に帰れば分かるから、早く帰ろう」
「うん。でももう少しゆっくりにして」
「分かった。じゃあ歩いて行こう」
それから気持ちは焦りながらも足はゆっくりと動かして、二人は中心街を抜けて平民街の路地に入った。
狭い路地を右へ左へと、初めて来た者なら確実に迷っているだろうほどに路地を奥まで進んだところで、二人はやっと立ち止まる。
目の前にあるのは、かなり年季の入った隙間風がそこかしこで吹き抜けていそうなアパートだ。そんなアパートの二階にある真ん中の部屋がこの兄弟の家らしい。
鍵は壊れていて建て付けが悪く、少しだけ開いた状態のまま放置されていた玄関ドアを男の子が大きく開き、二人で部屋の中に入る。中からは一応鍵を閉められるようで鍵を閉めると、二人は狭い部屋の奥に敷いた布の上に横たわっている母親に駆け寄った。
このアパートの一室は六畳ほどの部屋が一つしかないようだが、そんな狭い部屋の中にはほとんどものが置かれていなかった。
寝るときに使うのだろういくつかの布と服が数着、それから生のままでも食べることができる野菜が、部屋の端に萎びた様子で置かれている。他にあるのは木製の桶など生活に最低限必要なものだけだ。
この状態では泥棒が入ることもなく、玄関ドアの鍵が壊れていたところで支障はないのだろう。
「母さん、大丈夫? 寝てる……?」
「お母さん、元気になった?」
二人がベッドで眠る母親に声をかけると……最近はほとんど開かなくなっていた母親の瞳が、ぱっちりと開いた。そして何度か瞬きを繰り返し、ゆっくりと床に手をついて起き上がる。
「母さん、起きて大丈夫なの!?」
「あんなに辛かったのに……辛くない? もしかして、治ったのかしら」
母親も現状を理解しきれないようで、パチパチと瞳を瞬かせながら部屋の中を見回した。そして徐に立ち上がると、自分の体がしっかりと動くことを確認する。
しばらくの間ほとんど寝たきりだったために動きはゆっくりだが、瞳には生気が宿っている。
「お、おかあさん……っ、よがっだ……」
「うわぁぁぁん、おかあさん、元気になった!」
立ち上がって動き出した母親を見て、男の子は瞳に涙を浮かべて耐えきれない涙を溢し、女の子は声をあげて号泣している。母親はそんな二人を見て優しい笑みを浮かべ、二人を同時にギュッと抱きしめた。
「あなた達、心配かけたわね。お母さんはもう大丈夫よ」
「本当に良かった……っ、母さんっ」
「ひっく……っおかあ、さんっ……」
それからしばらく三人は抱き合い、二人が落ち着いたところで体を離した。しかし二人とも母親にピッタリとついて離れないようだ。母親はそんな二人の様子を見て優しい笑みを浮かべている。
「それにしても、何で急に良くなったのかしら」
「あのさ、ミシュリーヌ様に頼んだんだ。ミシュリーヌ様が願いを叶えてくれたって話を聞いて、神像が光る時間に中心街の教会に通ったんだ。そしたら今日、ミシュリーヌ様の声が聞こえて、母さんを治してくれるって。それで急いで帰ってきたら母さんが元気になってて……」
男の子のそんな説明を聞いて、母親は驚愕に瞳を見開いて動きを止めた。そしてすぐ祈るように頭を下げる。
「ミシュリーヌ様、命を救ってくれてありがとうございます。このご恩は……決して忘れません」
「ミシュリーヌ様、ありがとうございます」
「ありがとう、ございます」
母親に続いて、子供達二人もミシュリーヌ様へのお礼を口にした。
「今度中心街の教会に皆で行きましょうか。しっかりとお礼を言わなければいけないわ」
「うん、行く。一緒に行ける?」
「もちろんよ。これから母さんはどんどん元気になるんだから」
「そっか、良かった」
男の子は母親の元気になるという言葉を聞いて、頬を緩めて力の抜けたような笑みを浮かべた。母親の看病をして妹の面倒を見て、生きていくためになんとか食料を確保してと、今まで必死に頑張ってきたのだろう。
「ねぇお母さん、そこに置いてあるのなに?」
三人で話をしていると、部屋の中を見回していた女の子が突然そう言って部屋の一角を指差した。母親が寝ていた布の近くに置かれた、両手で抱えるほどの木箱だ。
「何かしら……私は知らないわ」
「俺も知らないよ」
「とりあえず、開けてみるわね」
母親はそう言うと二人を下がらせて、少し緊張した様子で木箱の蓋を手にした。そして意を決した様子で蓋を開くと……歓喜の声をあげる。
「食べ物がたくさん入ってるわよ!」
「え、本当!?」
「本当だー!」
「ジャガイモ、にんじん……野菜がたくさんあるわ。それに干し肉がたくさん! パンもいくつも入ってるわ。それにこれは……スープよ!」
母親が木箱から取り出した鍋の中には、まだ温かいスープがたっぷり入っているようだ。野菜や肉、卵まで入った栄養満点のスープは、今のこの三人にぴったりだろう。
「母さん、紙が入ってるよ」
「本当ね。文字が書いてあるけど……母さんには読めないわ」
「あっ、母さん、俺この字知ってる! これミシュリーヌ様って意味の文字だ! 教会に何回も通ってたら教えてもらったんだ」
「そうなのね……じゃあこれはミシュリーヌ様からの物なのね」
母親はそれを認識すると、再度深く頭を下げた。そして頭を上げると、二人に器とスプーンの準備を頼む。
「ミシュリーヌ様に感謝して食べましょう」
「うん! こんなに具がたくさん入ったスープなんて贅沢だ」
「温かい料理久しぶり!」
母親は二人のそんな喜びの声を聞き、苦しい生活を送らせていることへの申し訳なさを感じて微妙な表情になったが、すぐにこれから自分が頑張って少しでも二人を幸せにしようと気合を入れ直す。
「ありがたく味わって食べるのよ」
「うん! いただきまーす!」
「いただきますっ」
それからその部屋には、親子の楽しそうな笑い声が絶え間なく響いていた。
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