第30話 そうだ、京と行こう

 翌日。この日はレッスンと動画撮影。ライブに向けての宣伝だ。といっても、すでにチケットは完売。当日は三百人規模の会場が満員になる予定だ。


 動画撮影を終えたシュルーナたちは、事務所から解き放たれ、それぞれの帰路へとついた。


 だが、和奏だけは、昨晩京史郎に言われたように、戻ってきた。事務所では、京史郎がいつものように、デスクへと足をのせて寛いでいる。


「うす、失礼します」


 和奏が入室すると、京史郎は「おう」と、反応して足を降ろした。


「珈琲でも淹れますか? それとも淹れてくれますか?」


「いい、すぐに終わる話だ」


 京史郎は、いつもとは違い、真剣な顔だった。和奏は、そんな彼の正面に立ち、軍人のように腰のうしろで腕を組んで佇んで聞く。


「俺は嘘をついた」


「嘘?」


「事務所のアイドルは俺が守るって言ったな? 嘘だ。守れねえ」


「社長にしては、随分と弱気な発言っすね」


「ああ。なにせ、ライブ当日。俺は会場に行かないからな」


 彼と出会ったばかりの和奏であれば『逃げんのかよ』と、言っていただろう。だが、彼がそんな人間じゃないのはわかっている。


「なにをする気なんですか?」


「聞かない方がいい。相手は極道だ」


 失敗した時に、和奏を共犯にしたくない。という彼なりの気遣いなのだろう。


「そこでだ、おまえに頼みたいことがある」


「そっちの方は聞かせてもらいます」


「ライブ当日。おそらく柄乃組の襲撃がある。だが、俺はその場はいない。だから、おまえが全員を守れ」


「……向かってくる奴はぶちのめしていいんすね?」


「ああ、正当防衛ならスジもとおる。だが、ライブは絶対に成功させろ」


「なにをもって成功っていうんすか?」


「自分で考えろ。ま、何かあったら俺が責任を取る。生きていたらの話だがな」


 生きていたら、か。よっぽどヤバいことをやる気なのだろう。


「ここがターニングポイントだ。無茶な頼み事をしてるってわかってる。ヘタすりゃ、顔が変形するまでボコボコにされる。やめたっていい。それが普通だ。恨みもしねえ」


 京史郎は、道場の跡取りという立場を、甘く見てはいないだろうか。顔が変形するまでボコボコにされるなど日常茶飯事。怪我は毎日のこと。形状記憶合金よりも、和奏の顔面は早く元に戻る性質を持っている。荒事に慣れているのは極道だけではない。


「やりますよ。ただし、ここで話したことは穂織たちにも言います」


「好きにしろ。ライブが成功すりゃ、なんの文句もねえよ」



 ――ライブ前日。


 繁華街の中華料理屋から出てくるのは、スキンヘッドの大男。彼に追随するように、五人の子分が店から姿を現す。


「カシラ、御馳走様でした」


 子分たちを代表して、男が頭を下げると、他の連中も声を揃えて言う。


「「「「御馳走様でした!」」」」


「おう」と、返事をして伊南村は煙草を咥える。子分がライターで恭しく火を点ける。


「自分、タクシーを拾ってきます」


 子分が、そそくさと駆けていった。


 ふぅ、と、白煙を漂わせる伊南村。彼は繁華街を眺めながら、子分に問いかける。


「……明日のことだが、抜かりねえだろうな?」


「バランタイナの件ですね。うちからは三十人ほど用意しました。あとは、ケツモチしてやってる暴走族から五十人。時間になったら、店の前に集まるよう伝えてあります」


「相手は京史郎だ。容赦するんじゃねえぞ。……奴の態度次第では伊勢湾に沈める」


「コンクリート、用意しときます」


 ――あれから、京史郎に変わった動きはない。


 暮坂の報告では、水面下で着々とライブの準備を整えているようだ。


 暮坂も、内心焦っているだろう。使える女だと証明するため、早速とばかりに京史郎から金を巻き上げたようだが、読みが甘かったとしか言いようがない。


 普通ならば、キャンセルして終了。支払った百万はそっくりそのままいただく寸法。だが京史郎の頑固さは、想像以上だったようだ。頭を悩ませているに違いない。


「カシラ。タクシー、拾えたみたいっすね」


 道路の奥を眺めながら、子分が言った。


煙草これ吸い終わるまで待たせとけ――って、なんだッ!」


 やってきたのはタクシーではなかった。乗用車が、もの凄い勢いで突っ込んでくる。蜘蛛の子を散らすかのように避ける伊南村たち。車は歩道へ乗り上げ、停車した。一斉に罵声が浴びせられる。


「おい! 危ねえだろうが!」「気をつけろボケ!」


 すると、中から抹茶色の髪の野郎が降りてきた。落ち着きを払った態度のそいつは、ほんのりと笑みを浮かべていた。


「よぉ、伊南村の大将ぉ」


「京史郎……?」


 戸惑ったものの、若衆たちはすぐに罵声を再開する。


「てめえ、うちのカシラになんの用じゃ! カチコミなら受けて立つぞゴルァ!」


 男衆の怒りに満ちた声をバックミュージックに、伊南村と京史郎が言葉を交わす。


「どうした、ピーマン頭。詫びを入れにきたのか?」


「違えよ、電球頭。ライブを邪魔されたくないもんでね。ちょいと工作をしにきた」


「……カチコミってことか。相変わらず命知らずだな」


 伊南村は、吸い終わっていない煙草をピンと弾いた。ほんのわずかな火花を散らしながら、京史郎のジャケットに焦げ痕をつくる


「カチコミなんて生易しいモノじゃねえよ。俺も引き下がることができなくなっちまったもんでな。ちょいと、付き合ってもらうぜ」


 挑発気味に吐き捨てる京史郎。だが、その時。子分たちが一斉に殴りかかる。


「さっきから、誰に口をきいてるのか、わかってんのかゴルァッ!」


 ――京史郎が動いた。


 子分共の拳を軽快に回避し、顔面や金的に容赦なく蹴りを打ち込んでいく。再起してこないように、倒れた奴にの顔面をグシャリと踏みつける。子分たちは刃物を抜き出したが、まったく臆することなくそれらを避けては、叩きのめしていった。


「極道を辞めても、腕は鈍ってねえようだな」


 横たわる子分共を眺めながら、伊南村が吐き捨てる。


「おまえの手下が、定期的に襲撃してくれてるもんでね。ちょうど良い運動になってる」


「で、なんだ? それだけじゃ物足りなくなったから、この俺に相手をしてもらおうってか――?」


 伊南村は、ゆっくりと車に近づいた。腰を落とし下部に指をかける。


「ぬぅんッ!」


 気合いを入れて持ち上げる。すると、決して軽くはないはずのセダンが横転。ゴガシャンと車体が派手に歪んだ。


「……なにやってんすか、伊南村サン?」と、京史郎が若干引き気味に言った。


「逃げられねえようにだよ。……京史郎。おまえは柄乃組を舐めすぎた。もう元の生活に戻れると思うなよ」


「……いや……それ、柄乃組からパクってきた車っすよ?」


「……ぶっ殺す……」

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