第16話 姫夜叉
「……ありえねえだろ。ここはウチのシマだぞ?」
「やっぱりそうなるかと、心の中で落胆する俺。伊南村の殺したい奴リストのトップ3にランクインしている京史郎に便宜を図るほど、伊南村は器の大きい男ではない。彼は昔のことをグダグダと引きずる、女の腐ったような性根の持ち主なのだ」
「口に出てんぞ」
「昔のよしみじゃねえか。ウチの組を潰したことは水に流してやっから、これからはお互い仲良くしようぜ」
柄乃のシマでライブなど、京史郎とて御免被りたいが、断られるとあとがない。デビューライブはホームでやることが重要だ。この界隈なら、乙女華の生徒が徒歩でくることができる。それだけでもかなりの集客になるだろう。
「京史郎さんは、極道とは縁を?」と、暮坂が尋ねる。
「そだよ。極道からは足を洗って、真っ当な仕事をやってる。って言っても、普通の企業じゃ雇ってくれないからな。自分で事業を立ち上げるしかねえ」
「アイドルをプロデュースしてるのですよね? ……いかがわしい商売をお考えで?」
「いいや、悪事は儲からねえ。それに、ウチに入ってきた奴らは才能がある。いかがわしいことをしなくても、十分やっていける」
「真っ当、ですか……」
顎に手を当て、ジロジロと舐めるように見回してくる暮坂。
「おい、暮坂。こいつを客だと思ってんじゃねえだろうな」
伊南村が脅すように言った。
「カタギになられたのでしょう? それに、柄乃組長からは、店の経営は私に一任すると言われておりますが?」
「おまえ、京史郎のどこが気に入ったんだ?」
「いえ、気に入ったというよりも、ここで断ると悪い噂が立つような気がしまして……」
京史郎に含みのある視線を送る暮坂。悪い噂を流すのではないかと懸念しているようだ。
「そっちの世界に関わる気はない。噂も流さねえよ。ただ、こうしている間にも、ウチのガキどもはレッスンに励んでるもんでな。俺は俺で、どうしても会場を抑えなきゃなんねえんだ。伊南村、おまえに頭を下げろってんなら、俺は頭を下げるぜ」
「伊南村『さん』だろうが」
「伊南村さーん。このライブハウスを使わせてくださぁい」
「おい、暮坂。こいつ、こう見えてペテン師だからな。頭を下げちゃいるが、その裏じゃピエロみたいな顔して、舌を出してんだぞ」
ふと、再び階段の下から、足音が聞こえてくる。今度は複数。その先頭にいた女性が、声を飛ばしながら姿を見せる。
「遅いで、伊南村。なんかあったんか――」
声の主を見たとき、京史郎は思わず「げっ!」と、口にしてしまう。
「京?」
真っ黒な髪をポニーテールに束ねる若い女性。場違いというか時代錯誤というか、普段着を着物にしている変わり者。いや、暮坂がいるせいで、そういった和装もここではミスマッチでもないか。
ただ、左手の得物はいただけない。布に巻いてあるが、おそらく木刀だろう。彼女は普段から携帯していた記憶がある。
――
柄乃組の組長・柄乃達義の娘である。養子だが、柄乃組長からはかわいがられている。
「よ、よう、夜奈」
「死んだと思とったが、まだ生きとったんか」
京史郎を見て、取り巻きの黒服が一斉に動く。すぐさま囲まれてしまった。
「おかげさんで。楽しい楽しい第二の人生を送らせてもらってますよ」
京史郎は夜奈が苦手だった。断っておくが、仲がいいわけではない。完全なる敵である。
「なんで、あんたがうちのシマにおるんや? 殺されたいんか?」
「ここが柄乃のシマだって知らなかったんだよ」
「……お嬢。京史郎は、この店でライブをしたいそうです」
伊南村が、丁寧に説明する。
「ライブを……? なんやおまえ、極道の次は歌手になったんか? ははっ、おもろいやん! やらしたれや」
「京史郎が歌うわけじゃないです。こいつがスカウトしたアイドルが歌うそうです」
「アイドル? ……なんや、つまらん。――抹茶色の悪魔が、随分と墜ちたなぁ」
「堅気らしく生きてるだけだ」
「堅気なら、ウチらには関わらへんやろ」
「そこのハゲが登場するまで、極道の店だって知らなかったんだ。看板に書いとけよ。『ハゲ在中。極道の関わる真っ当なライブハウスです』ってな」
「はん。どっちにしろ無理な話や。城島組の残党が、おとんのシマで商売なんか、絶対に許されへんわ」
「いちいちヤクザ時代のコトを持ち込むんじゃねえよ。おまえの親父は、そんなに器が小せえのか? あ――?」
木刀を包んだ布が解かれた。その布が、ぶわりと舞い、京史郎の視界を覆う。
「おっと!」
払いのけた先には木刀があった。ずい、と、首元へ突きつけられる。
「おとんの悪口言うたら黙っとられへんで。堅気が極道に喧嘩売ったらアカンわ」
「そっちこそ、極道がカタギに絡んでんじゃねえよ。器が小さいのはどっちだ? あ?」
「昔みたいに、拳を壊すだけじゃすまさへんで?」
「木刀をへし折られて、泣いてたのはどっちだ?」
「今度は折れへんで」
木刀を両手で持ち、わずかにスライドさせる。現れたのは白刃だ。刀を上段に構える夜奈。空気が冷たくなったような気がした。
――柄乃夜奈。こいつは強い。
京史郎が柄乃を潰せなかった理由のひとつに、こいつの存在もあるだろう。剣道二段。全国高校剣道選手権での優勝経験あり。竹刀を持たせたら敵はいない。現在は大学生だが、その傍らで実家業の手伝い。要するに極道の片棒を担いでいる。
仕事は養父である柄乃組長の護衛。彼女は、数多くの襲撃を木刀一本で退けている。ついた異名は『姫夜叉』だ。夜奈の剣道には甘さがない。対峙した相手は再起不能にしてやるという冷徹さだけがある。
☆
――京史郎は、一度だけ夜奈と喧嘩したことあった。
昔。本家の呼び出しで、城島組長に同伴した時のことだ。屋敷には柄乃組長もきていて、そこで夜奈と出会った。
親父たちが話をしている間、京史郎と夜奈は軒先で見張りをする。きっかけは、暇だった京史郎が、柄乃組長の悪口を言ったからだったか。憤慨した夜奈が、木刀で襲いかかってきたのだ。
所詮は女子供。そう思っていたのだが――。
初撃だけはかろうじて避けた。その後、京史郎は動けなくなる。踏み込めば殺されるという直感。ちょっとしたからかいが、殺し合いに発展したというバカバカしさもあって、怪我などしたくはなかった。とはいえ、女子供に謝罪するほど、当時の京史郎も大人ではなかった。
京史郎は喧嘩において、何かを犠牲にすることなどなかった。喧嘩は、学生の部活となんら変わりがない。その程度の感覚。お遊びだった。
だが、夜奈の殺意は、京史郎の意識をステップアップさせる。
――殺さなければ、殺される。
踏み込む京史郎。夜奈が応対。稲妻のように打ち込まれる上段面。食らえば、頭蓋骨が粉砕されるだろう。だが、京史郎はそれを拳で迎え撃った。
鉄拳とも形容できる京史郎の左拳が、木刀を激しく撃ち抜き、へし折った。
だが、京史郎の拳も砕ける。
しかし、勝利はもらったと京史郎は思った。さらに踏み込んで、間合いへと入る。
夜奈の顔面を変形させるつもりで、残った右拳を叩き込む。だが、インパクトの瞬間、彼女は折れた木刀の柄で、京史郎の喉を突いた。
お互いの一撃が浅く、再び間合いができた。両雄睨み合う。
どちらかが死ぬまで終わらない。終われない。京史郎は、今日が初めて殺人を犯す日になるだろうと思った。越えてはいけない一線だったが、その現実を拒否すれば、殺される。
そこで待ったが入る。喧嘩に気づいた若衆が、城島と柄乃を呼んだらしい。両家の親父から、喧嘩を咎められ『ちょっとした殺し合い』は幕を閉じた。
――これが、京史郎と夜奈の馴れ初めだ。
☆
「ヤクザ様に喧嘩を売る気はねえよ。だが、筋は通してくれ。俺は客としてここにきたんだ。普通に金払って、普通にライブをやって、普通に帰る。問題ないはずだ」
当時は木刀だった。だが、極道の世界に深く入り込んだ彼女は、真剣を握っている。当時、夜奈の持っていた武器が、木刀ではなく真剣だったら――。
「おい、京史郎。いい加減にしろ」
伊南村が、京史郎の顔面をガツンと殴りつける。あえて食らって、仰け反る京史郎。
「ぐっ……優しいっすねえ、伊南村さんは」
皮肉ではなく、正直に言った。介入しなかったら、殺しあいが始まると彼は思ったのだろう。そうなると、夜奈が人殺しになってしまう。まあ、後処理も面倒くさい。
「失せろ、おまえら城島組は負けたんだよ。真っ当な仕事がしたけりゃ――」
「もうええわ、伊南村」
「お嬢……?」
伊南村の制する夜奈。興を削がれたように、白刃を仕舞う。黒服が布を差し出すと、それを仕込み木刀に巻きながら言葉を滑らせる。
「ええ。――それよりもや、京。もう一度極道やってみいひんか?」
「お、お嬢。それはさすがに……」
「城島は一枚岩。子分どもは烏合の衆やが、こいつだけは別や。うちがおらんようになってもこいつならおとんを守れるわ。度胸もあるし、弱くもない」
「極道は儲からねえ。だから、やらねえ」
「あんたが芸能事務所なんか無理に決まっとる。この店は絶対に使わせへんで」
京史郎は、暮坂を見やる。すると、彼女はタイミングを見計らったように口を開いた。
「使わせる、使わせない……。それは、お嬢が決めることではないと思いますが」
彼女なりにプライドがあるのだろう。店のことになれば、しゃしゃり出てきてくれる。
「あんたは雇われ店長やろ。決定権はおとんにあるんちゃうんか」
「雇われでもなんでも、決めるのは店を任された私ではないでしょうか。嫌なら、私は銀座に戻らせていただきますが?」
「話の分かる店長だな」と、彼女の肩を持つ京史郎。
「京史郎さんもお引き取りください。決めるのは私ですが、あなたにライブをやらせるかどうかは、また別の話ですので」
「なんだよ、せっかく俺たち仲良くなれそうだったのに」
やり手だと、京史郎は思った。暮坂は、むりやり話を纏めるでなく、結論を先延ばしにすることで、少なくともここで血を流すことのないようにしている。
「……ええわ。けどな、京。あんまし人を舐めたらアカンで。あんたよりも強い奴はわんさとおるんや」
「知ってる。けどな、その強い奴が、てめえじゃないことも知ってるよ」
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