紅金魚【秋波/紅/編み上げ靴】
アンドロイドだって夢を見るらしい。
私が目を覚ましたとき、涙が頬を濡らしていた。
肝心の夢は思い出せず、「哀しい」という気持ちだけが胸の中に広がっていた。
「感情は正常に動いているようね」
隣に座っていた仲間のアンドロイドが私を見て無感動に言った。
私たちは金魚みたいに娼館の中を遊泳する。
紅や白のひらひらの付いた服を着て、あどけない表情を作り、やってきた客へしなを作って媚びを売る。
金魚みたいに、とはよく言ったもので、私たちは外の世界では1人で生きていけないから、誰かに飼われる必要があった。
それが為されなければ、ただただ棄てられるだけだ。
それは生物としての私たちにとって『死』と同義だった。
娼館にいるアンドロイドたちの髪の色は彼女たちの服と同様に紅や白が混在する美しいものだったが、私の髪色はただただ白い。
私は痩せっぽちで、他の娘たちのように性的な魅力もなかったし、愛想を振りまくこともできなかった。
おそらくは、お店の他の娘たちを引き立てるために作られたのだろう。
そんな曖昧な存在が私だった。
このままでは廃棄されてしまうというのに私はそれでもいいかな、と思っていた。
何も感じていなかった。
ある日、物好きな男が私を買っていった。
無精髭の生えた白髪混じりの小太りの男で、何でも有名な資産家の1人息子らしかった。
隣の娘が一生懸命に秋波を送っていたけれど、なぜか彼が選んだのは私だった。
感情に、いや、あらゆる魅力というものが欠落している私をなぜ選んだのか。
少しだけ興味がわいたが、車で男の家へ着くまでの間にその興味すら忘れた。
私を選んだ男は、初めて生き物を飼う子供みたいに、私に触れることすらおぼつかなかった。
男は靴メーカーの御曹子だった。
どうやら男は仕事熱心な人間だったらしく、親から譲り受けた靴メーカーを少しずつ大きくしていった。
ある時、男はうれしそうに私に編み上げ靴をくれた。
シックな皮に紅と白のシューレースが鮮やかな色味を添えていた。
「初めて企画から携わってさ。俺もようやく一人前になれた気がするよ」
照れながら男は笑っていたが、私は心底どうでも良かった。
だけど、それを表に出すのは気の毒だったから、それ以来ずっと編み上げ靴をはくようになった。
男が望むような振る舞いはできなかったが、廃棄されることに少なからず抵抗感が芽生えていた。
男はことあるごとに私の心配をした。
男のおどおどとした様子が癇に障った。
無感動な私にとっては不思議な話だったが、ぼろぼろの編み上げ靴をこっそり棄てられた時、私の我慢は限界に達した。
「あの靴がないのだけど」
私の棘のある声に、男は言いにくそうにもじもじしていたが、やがてぽつりと言った。
「ずっと履いていたから、棄てちゃったよ。新しい靴を買ってあげるよ……ごめん」
私の中の何かが弾けた。
そして、そのまま私は裸足で男の広すぎる屋敷を出て、アスファルトの上をずんずんと進んだ。
いなくなる私に、男は何も声をかけなかった。
夜になって、私はエネルギーが切れて草むらで眠ってしまった。
遠くで動物の鳴き声が聞こえたが、私は何もかもがどうでも良くなってしまった。
眠ってエネルギーを回復させよう。動物に壊されてしまったらそれまでだろう。
眠りに落ちかけた私に、強烈なライトが浴びせられた。
見ると、男が車で迎えに来ていた。
男は運転席のドアから慌てて飛び出てくる。
怒られるかな、とぼんやり考えていた私を男は強く抱きしめた。男の力はこんなにも強かったのかと、私はとても驚いた。
強烈な灯りに照らされた私の髪が真紅に染まっているのが見える。
なんだ。私の髪は白ではなく、感情の高ぶりにあわせて色が変わる仕様だったのだ。
ゆっくりと瞼を閉じると、意識が遠のいていく。
そのときになって初めて、最初の日に感じたことの答えを聞くのが怖いと思った。
アンドロイドだって夢を見るらしい。
あなたが作った靴をもう一度はいて、私とあなたで子供の手を引いてピクニックに行く。
決して叶うことはないからこそ、夢は甘く美しい。
「おはよう」という彼の優しい言葉を聞くまでは、夢という淡水に溺れてみようと思った。
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