母とハサミと。【島/床屋・髪結い/券】
ここ東京には様々な美容師がいるが、佐藤結は、その中でも目立たない存在だった。東京の中でも23区から外れたこの辺鄙な場所で修行に来ている彼女は、新潟から離れた人口400人にも満たない島の出身だという。
夢は、故郷の島へ戻って、美容師として独り立ちすることだ。
島には床屋はあるが美容室がなく、おしゃれをするために髪を切る時は本島まで連絡船に乗ってやってくる必要があるため、大変不便だった。
だから、自分が美容師として独り立ちすることで、島の役に立ちたいという。
そんな彼女がいつも大切に持っているのが、手作りの券だ。子供の頃に作ったもので、いわゆる肩たたき券みたいなものです、といつも彼女は店の老人達に言っていた。何でも、小学校の頃にタイムカプセルとして埋めたものが出てきたそうで、今度帰省をするときは、病床にふせっている母親の髪を結い上げて親孝行をして上げるのだそうだ。
そんな中、彼女は帰省する。家に戻ると、家の中は荒れ果てており、奥に母親のレイコが寝ていた。父親はとうの昔に島から出てしまっていた。
起きあがるレイコに結は聞く。「おかあさん。昔、わたしが作った券のこと、覚えている?」レイコはそれすらもわかっていないようだった。 「誰?」「わたしだよ、結だよ」と言うも首を傾げて、「んーーー。いいや。誰でも。ごめんねえ。お酒、買ってきてくれない?」パン、と柏手を打つようにして、すかすかの黄色い歯をむき出しにしてにぃっと笑うレイコを見て、結は発作的にはさみを振り上げる。レイコは悲鳴を上げる。
やがて、悲鳴を聞いた島の巡査さんが佐藤家へ踏み込むと、そこには、きれいに髪を結い上げられたレイコが2L入りの酒を抱いて、すうすうと寝ていた。またいつもの虚言か。巡査さんは肩をすくめる。
夕方の波打ち際、結は思い出す。
叫び続ける母を組み敷いて、無理矢理化粧台へ座らせて、結はぼろぼろと涙を流しながら、母の髪を櫛でといて、すきバサミを入れて、きれいに丁寧に整えていった。
わたしは何でこうまでして母をきれいにしたの? むなしさがあふれ出す。結は波打ち際に、はさみをたたきつける。手のひらの券を握りつぶす。
券に書かれていたのは「おかあさんが1日お酒を飲まない券」だった。
まだ、お酒を飲んで暴れていなかった頃に戻ってほしい。という願いだった。
絶望感に打ちひしがれながら、結は海へと入っていく。
そして、その日から、結を見たものは誰もいなかった。
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