親子丼

 昨夜メルセデスと幽霊の話をしたせいだろうか。今夜の客は幽霊の話でもちきりだった。

 どうも今週に入ってから街中で目撃談が相次いでいるらしい。



「土曜だっけ。モルグの遺体が動き出したって騒ぎとは違う話か?」



 事情通のメリッサに問うと隣のグーラはばつが悪そうな顔になった。二人とも巾着煮とマグロの山かけで冷酒をやっている。



「モルグの話は昼間だし、迷宮案件よね。あ、ギルドでこれを預かってたわ」



 またこれか。メリッサに渡された上質な封筒を開けると、やはり金箔で縁取られたメッセージカードが入っていた。


『わたし聖女。今アントレにいるよ』


 うん、知ってる。

 聖女ほどの要人が来れば街中の噂になるし、あれだけ騒ぎを起こせば死人でも気付く。ここモルグ近いし。

 ロマンは聖女が店に顔出さないのを不思議がっているが、メルセデスによると「あちこち食べ歩いてるんじゃないかなぁ」ということだった。


 いや、普通に神殿のお勤めで忙しいんじゃねぇかなぁ。


 と、急に客席の照明が落とし気味になった。

 消えたわけじゃない。ここの照明は魔道具で、調光できるのだ。メルセデスの仕業か。



「せっかくだから、雰囲気出して涼しくなろうよ!」


「雰囲気いらないですわっ!?」



 メルセデスが客席にローソクを配る。ロマンは手伝いつつも、こういうのは苦手らしい。

 薄暗い店内、俺は明るい厨房で一人。客たちの顔は下から照らされて、こっちを見ている……あれ、なんか怖いぞ?



「……市場の西側に出るラーメンの屋台あるだろ?」


「おう、豚骨ラーメンで二代目になってから人気出た店だろ」



 いつもは控え目な肉屋がアジフライとエビフライでエールをやりながら語り出した。


 問屋が多いあの辺りに夜になると現れるラーメン屋台で、先代が死んで息子が継いでから味がよくなったと聞いた。

 俺もシモンの店行くついでに寄ったことあるけど、その頃には二代目がやってたな。濃厚でガツンとくるのに全くもたれない、うまいラーメンだった。



「最近そこにハマってるんだけど……あれは日曜の夜だった。客はおれ一人でさ。今日みたいな熱帯夜だから汗だくで、生温い風がなでるように吹くんだけど……それでもあそこのトンコツはうまいんだ」


「食ってみたいのぅ……」



 肉屋はそもそも汗っかきなんだけど、確かに暑い日のトンコツは格別だよな。あの辺はまだ迷宮の外だからグーラは行けないわけだ。



「食べ始めてすぐ、いつの間にか隣にお客さんが座ってたんだよ。それがおかしな客でさ……おれも大将も気付かないうちに座ってたんだ」


「へぇ、大将が気付かないってのは確かに変だな」


「それだけじゃない。顔が見えなかったんだよ。暗いから当然かなと思ったんだけど、顔の辺りだけ暗くなってさ。ちょうどこんな風に」


「ひぃっ!?」



 肉屋がローソクで自分の顎の下だけ照らすと、ロマンが短い悲鳴をあげた。確かにこれじゃ顔は見えねぇな。



「手と体格を見た感じお爺さん。それでお爺さん、先に食べてた僕をじっと見るんだ。いや、顔は見えないんだけど、見られてる気がした」


「そりゃ食いづれぇな」


「やだなー、怖いなーと思ってちょっと早食いになったよ。それでもお爺さんはおれをじーっと見てる。ズルズルズルズル、じーっ。ズルズルズルズル、じーっ。やだなー、怖いなー……この繰り返し。するとお爺さんがおれに声を掛けた。『うまいか』って」


「こ、答えたんですの?」



 ロマンが恐る恐る尋ねる。なんだかんだで興味あるんじゃねぇか。

 肉屋は人見知りなので、慣れない人に話しかけられて少し赤くなった。



「こ、怖かったけど『はい……』ってだけ言ったよ。あの店はほんとにおいしいんだ。すると大将がお爺さんの分のラーメンを出した。あそこ何も言わないと「カタメ」で出てくるから」


「よかったぁ、やっと落ち着いて食べられるねぇ」


「おれもそう思ったよ。だけどお爺さん、箸を取るなりすごい勢いで、ズッズーッ、ズルズルズルズルズルズッ、カラン。『うまいっ!』って叫ぶんだ。おかげでバリカタで替え玉するタイミング、すっかり逃しちゃって」


「早食いなんだねぇ」


「おれ怖くて見ないようにしてたんだけど、ドンってどんぶりを置く音にびっくりしてさ。隣見たら……誰もいなかったんだよ」


「ひぃぃぃっ!?」


「「「!!」」」



 みんなビクッとなったけど、どっちかっていうとロマンの悲鳴に驚いた。

 爺さんの席には空のどんぶりとお代が残されていたらしい。



「なんとなく大将見たら、震えてるんだ」


「俺もそんな客来たら怖えぇよ」


「いやさ。『あの声と、飲み干したどんぶりを叩きつける癖……死んだ親父だ』って……あ」



 その時ちょうど隙間風でも吹き込んだのか。肉屋のローソクがふっ、と消えた。



「限界ですわぁぁぁっ!!」


「きゃあ~♪」



 ロマンが顔を真っ青にして厨房に駆け込んできた。ついでににんまりしたメルセデスがついてくる。

 明るい場所にいた俺もゾクッとくる話だったけどな。


 衛兵隊長によるとこういう話は街のあちこちであって、訴えを聞く衛兵隊も困っているそうだ。



「実害は出ていないが気味が悪いという訴えが多くてな。中には迷宮のせいじゃないかと疑う声もある」


「ロアの仕業じゃないんだよな?」


「ギルド長と代官にも聞かれたが、死霊術でできることでもなし、われらも寝耳に水での。ロアに調査させておる」


「住民に迷宮への反感を植え付ける、なんて陰謀ではありませんの?」


「うむ、この国の王はともかく妖精は何をするかわからぬからの。まったく、この忙しい時に……。ところでエミールよ、今日はラーメン無いかの?」


「俺も食いたいけどねぇよ」



 いや、怖かったな。肉屋のラーメンの話。




   ***




 閉店後。洗い物と掃除が終わり明日の仕込みの時間だ。

 今日は怪談話で盛り上がったから少し遅くて深夜二時。メルセデスは風呂だしロマンは帰ったから、店には俺一人だ。



「……」



 こういう時に限ってだ。

 カウンターに座る人影に気付いた。猫がご飯食べに来てるから引き戸は半開きだ。間違えて入ってきたかな?



「悪りぃ、もう閉店なんだ」



 作業しながら声を掛けたが反応はない。

 しょうがねぇなぁ、と手を止めて顔を上げた俺は言葉に詰まった。


 顔が見えない。客席の照明を落としたとはいえ、カウンターは厨房の灯りで十分だ。なのに顔の辺りが暗い。それでなぜか、そこにいるのが爺さんだとわかる。

 おいおい、さっき聞いた話みたいじゃねぇか。



「……」



 戸口にいた猫は皿から顔を上げると、怯えたように逃げて行く。

 爺さんは座ったまま、無言で俺の手元を指さした。俺がやっていたのは明日使うカキの殻むきだ。

 なんとなく意図がわかって「腹減ってるのか?」と聞いたら頷いた、ような気がした。



「わかったぜ。こいつは出せねぇがなんか作ってやるよ」



 鶏もも肉を小さめに切り、合わせ出汁・みりん・しょうゆ・砂糖で煮る。ついで薄切りのたまねぎを加え、火が通ったら弱中火に。

 そこへざくっと切るように溶いた卵とミツバを入れる。卵は少し入れずに残しておく。

 卵の外周が固まってきたら中に寄せつつ一分ほど火を通し、残りの卵液を加えて外から中へ寄せて全体になじませたら火を止め、蓋をして一分蒸らす。

 どんぶりに盛ったご飯に卵とじを乗せ、煮汁をかけて完成。『親子丼』だ。



「こいつはさ、俺が初めて教わった料理らしい料理なんだ。教えてくれたのは親父じゃなくて爺ちゃんだった。

 親父の親父らしいけど、俺は爺ちゃんが料理人だったのかどうかも知らねぇ。そいつを聞く前に死んじまったんだよ。

 多分4,5歳の頃の話で、俺が覚えてる爺ちゃんの記憶って『親子丼』だけなんだよな」



 無言で食べる相手に、俺はなぜだかそんな話を聞かせた。親子丼作ったら無性にこの話しなきゃいけない気がしてきて……そもそも俺、どうして親子丼なんて作ったんだろうな? お代もらう気もねぇし『余りもの定食』でよくね?



「なんかいい匂いするー。お夜食?」


「いや、客が……あれ?」



 風呂上がりのメルセデスに声を掛けられ、カウンターから目を離した一瞬。

 空のどんぶりだけが残されていた。

 半開きの引き戸から睡蓮の匂いがした。



「どうしたの、青い顔して? わたしの分はー?」


「爺ちゃん、だったのか……?」




   ***




 翌朝。

 昨夜のあれは何だったのか、わからないまま目が覚めた。

 仕入れに行こうと戸を開けると、神官服を着た色素薄い感じの少女が突っ立っている。



「わたし聖女。今汝の前にいるよ」


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