A07R07:調停者の傷心

「アナグマの姫とは、ノモズ、あなただ」

「いえ違いますよ!?」


 ノモズはもちろんわかっている。ユノアはこういう奴だ。場を和ませる冗句でも、普段通りの真面目な声色で言う。ノモズは少し嬉しくなった。初めてこんな話になり、ユノアからも冗句を言う程度に好かれている。


 わかっていても、自らをアナグマの姫と呼ばれれば違和感ばかりが膨れ上がる。先の喜びが覆る場合も頭をよぎった。これまでのユノアとの会話は仕事ばかりだった。情報を受け渡して、結果を報告して、ときどき計画の相談をして。ほとんど私用も同然の会話は初めてだ。


「さっきの話、ノモズでも堪えたでしょ。こうまでなるとは思ってなかった。ごめん」

「堪えてないとまでは言いませんがね。このぐらいなら、ありふれるでしょう。今までも、これからも」

「強がりを。今にも泣き出しそうなくせに」

「まるで見えているような言いかたですね」

「聞こえているし、匂っているよ。鼻の奥が腫れて呼吸のたびに音が出てる。涙の匂いもある。彼が鈍くて助かったね」


 さすが、観測手。ノモズにも、敵わない相手がいる。何があっても敵に回したくない相手だ。敵わないついでに、ユノアの助言を求めた。


「少し、頭を貸してください。私はどうしたらいいか」


 言うだけでは通らない相手に対して。


 今日までのように秘書陣がいる場ならともかく、ほとんど自分だけでの発言を求められる機会が今後は増え続ける。そんなとき、今日のような出来事があったら。きっと周囲にいる中立の大勢まで利用される。


 ユノアは言葉を選んでいる。呼吸の音も鼓動の音も聞こえないので、寝台の下に隠れている事実を忘れそうになる。寝間着用の腰紐を引き合う感触だけがこの場に一人きりじゃないと教えてくれる。ノモズは手元を引かれて調ったと知らせられる。軽く引きかえして起きていると伝える。


「順番をつけなよ。ノモズは平等がすぎるんだ。大抵はいい結果だけど、残りのときどきで問題が起こる。ノモズに不利な内容まで尊重するのは、ノモズが成すつもりの成果を害するのと同じだ。今だったら、戦争を止められなくなる。今日のように逃げるのもいいけど、逃げられないなら、追い出してしまえ。それで大抵は片付くけど、怖いんでしょう。でもそれが、周囲を味方にできる状況なら? 追い出された側に問題がある、と胸を張って言える時に限るなら、少しは踏ん切りをつけられるでしょうね。必要そうなら、私も手伝うからさ」


 きっと、そうか。ユノアの提言に背中を押された。相手を追い出して遠ざける方法を考えてはいたが、実行に踏み切れずにいた。今なら違う。


「やってみますよ。まずは先の彼で試してみましょう。私でもいつかは慣れられますかね」

「やってみたらすぐにわかるよ。逆に、やらないうちは何を言っても信じきれない」

「確かに、そうですね。すみません、当たり前のことを」


 次が決まったところで、軽くなった身で次の話を始めた、


 ノモズは手帳を開き、明日に予定する名前を伝えた。工業地帯にある、小規模なおもちゃ工場と中規模な食品工場。両者の間を繋ぐためにノモズが一枚噛む計画でいる。


「それ、戦争と何の関係が?」

「おもちゃ工場の方は評判なんですよ。筒状パーツの精度がやけに高く、静かでよく回るのに油ギトギトにはならない。同等の精度を誇る工場はあそこだけです。呼びがかかってすぐにフル稼働できるよう、規模を拡大させます」

「軍備を進める布石、か。大丈夫なの? 合衆国が漁夫の利を狙い出したら」


 問いかけを受けてもノモズは楽観している。すでに自ら問い自ら答えを出した。カラスノ合衆国は攻撃に踏み切るための手順が多く、その一部にはノモズも関わる。これまでの活動で手が伸びる範囲を拡大してきた。過程では論調を見てきた。勝算は十分にある。


「平気ですよ。うまくやります。――掌で、動かしてやるから」


 ノモズに張りついていた口調の仮面が外れた。あるいは、新たな仮面をつけたか。確かな変化に立ち合い、ユノアは本来の役目へ向かう。窓から外へ、小さな動きと僅かな音で出ていった。幽霊が歩くように、幻が消えるように、蛇が這うように。


「信頼してるよ、調停者」


 窓の外からごく小さな一言が聞こえた気がした。褒め言葉でも顔や目を合わせないあたりユノアらしい。ノモズは立ち上がり、蓄えた書類を読み返して優先順位を決めていった。今の基準は、諸国へ喧伝する能力。


 アナグマは自らの役目のために積極的に動く。誰の指示を受けるでもなく、共通の目的のためにいつでも邁進し続ける。ノモズは代議士としてカラスノ合衆国に小さな流れを作る。ユノアは情報を流し、流れを大きく育てる。前線組の時間稼ぎが保つうちに、大きい連中を動かして大局に介入する。


 ユノアは記者団の注目先を見ている。目をつけておいた建物について、勘がいい一人目が嗅ぎ回り始めてから数日、ようやく人数が増え始めた。取材の様子を追い、記事にならなかった部分を読み取る。すなわち、情報を得るために使った情報を。一日遅れの答え合わせを続けるうちに、それぞれの思考の癖が見えてきた。どんな情報から推測するか、見えてきたならユノアが情報を握らせる相手の候補になる。


 調査を昼過ぎに切り上げて、世話になっている編集部へ向かった。寂れた扉を開け、机が並ぶ部屋の中心にいる白髪の男性、編集長エディに書類を渡した。


「こんにちは。定点調査の記録、今週分です」


 ユノアは見習い新聞記者として二流の編集部にいる。一流が没にしたおこぼれを利用したがっている連中だ。ここにいれば各地の一流が集めた情報を労せずして得られる。目を通すのは見出しだけででいい。記者が何を見たがっているか。知るべきなのはそっちだ。


「いいねえ! 時刻順、よし。事実と推測の書きわけ、よし。内容も詳しくなってるし、安定もして。さすがユノアちゃん、また腕を上げたね」


 編集長はこれ見よがしの大声で褒める。他の記者たちにも聞かせて、いい書きかたの指針として伝えている。結果もついてきた。この頃は「平均レベルが上がっている」と上機嫌だ。ユノアは照れて見せる。謙遜を徐々に減らして今はそのまま受け入れている。先輩たちから学ぶ姿勢は変わらず見せ続ける。変化する部分としない部分を見せつけて、人気と評価の両面で編集部をまるごと味方につけた。


 和やかな雰囲気が、扉を蹴り開ける音で覆った。入ってきた男はユノアに次ぐ若手記者で、慌てた声を上げている。まずは深呼吸で落ち着くよう諭され、その間に周囲では作業を中断して注目する。


「ついさっき、アナグマを名乗る女から情報を渡された」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る