第6章 親子の絆
「千恵さん、何かあった?顔色が悪いよ」
いつものように、関屋の包帯を替えに来た良蔵が、千恵に聞いた。千恵は、稽古事の帰りに、誰かにあとをつけられたと言った。良蔵は、沖田が話していたことを思い出して、
「『之定』のことに関係しているのかもしれないよ。気をつけた方がいい。なんなら、僕が千恵さんの供をするよ」
と言うと、
「ううん、良蔵さんも忙しいんだもの。大丈夫よ、番頭さんに付いていってもらうから」
と千恵は笑った。それでも心配な良蔵は、その話を歳三にした。
「危ねぇな……よし、明日は、俺も良蔵と一緒に『関屋』に行くか……おめぇ、何嫌そうな顔してんだ!?」
良蔵の複雑な顔に気づいて、歳三が聞いた。側にいた沖田が、
「保護者同伴みたいだから嫌だってさ、土方さん」
と笑った。
「医者の格好の良蔵と、土方さんが一緒に行ったら、変な組み合わせの二人だって、逆に警戒されちゃうんじゃない?」
沖田の言葉に、それもそうだな、と歳三は頷いた。良蔵も、密かに胸をなでおろしていた。歳三と二人で歩くのは、沖田と歩くよりも緊張するのだ。
結局、いつものように、先に良蔵が関屋に行き、関屋の治療が終わる頃に歳三が新選組とわからぬようにして行くことになった。良蔵のあとから、半時ほどして、歳三は斎藤を連れて、『関屋』に向かった。すると、
「副長」
と、斎藤が目で合図をした。関屋の近くに、怪しい人影がうろついているのがわかったからであった。
「やはりな」
と、歳三も返した。店に入ると、
「千恵さんがこれからお稽古に行くって言うから、僕が送ってきます」
と良蔵が言った。今日は、腰に刀を差している。いざとなれば、千恵を守るつもりでいるらしい。歳三は斎藤に目配せした。斎藤は頷いて、何気ないふりをしながら外の様子を伺っていた。怪しい影は店を監視しているようだった。
(『之定』を手に入れたかどうかを調べてるのか?)
と、斎藤は思った。歳三は小声で、
「お嬢さんから離れるなよ」
と、良蔵に言うと、良蔵は拳をあげて見せた。
(まかせて!)
という合図のつもりらしい。歳三も無意識に笑みを返した。その笑顔があまりにも自然だったので、良蔵の方が面食らった。
(副長があんな顔をするなんて……今夜は大雨だな)
と、そのやりとりを見た斎藤は思った。
二人が出ていってしまうと、歳三は、
「刀を見せてもらおうか」
と客のふりをして関屋に言った。幾つかの刀を眺め、自分の手にとって見ていた歳三のその手を、関屋は見ていた。
(この手は、本物の武士の手だ。この方に使われるならば、刀も本望であろう……)
関屋は、いったん、その場を離れると、
「土方さま、これを」
と、奥から厳重にくるんだものを持ってきた。包みを開けると、古いが、丁寧に手入れされている一振りが出てきた。歳三も、斎藤も、ごくっと唾を飲み込んだ。
「『之定』でございます。
「関屋さん、あんたは……」
歳三が関屋を見つめると、関屋はふっ、と笑って言った。
「はい。私は子供の頃に、武家に養子に出されましたが、生まれは美濃の刀鍛冶の家です」
関屋の言葉に、斎藤も、
「では、ご先祖は兼定か、兼元……?」
と聞くと、関屋は笑って、
「弟子の、弟子、辺りでしょうかね……でも、幼い頃、親の打つ刀は自慢でした…美濃の刀鍛冶は皆、偉大な刀工の流れを引き継いでいるのです……」
と言った。歳三は『之定』を見つめながら、
「これが『千両兼定』か……やはり、見事なものだ……」
とため息をついた。その時、ふと、斎藤が思い出したように、
「副長、いくらなんでも、遅すぎやしませんか?良蔵……」
と言った。関屋も、
「稽古先は西洞院通ですから、すぐ近くです……こんなにかかるはずは……」
と、動揺している。
「しまった!!」
と、歳三が店を飛び出した。斎藤も追った。
(俺としたことが!狙われるなら暗くなってからだと決めつけていた……!駕籠に押し込んじまえばわかりゃしねぇ!良蔵だって、あんなチビなら一緒に押し込まれちまえばおしめぇだ!くそっ!『之定』に見とれてる間に……!……あいつに何かあったら……俺は……!)
その頃、良蔵と千恵は、見知らぬ六人の男たちに囲まれていた。その動きには隙がなく、殺気がこもっていた。
「俺たちはその娘に用があるのだ。小僧、命が惜しくば、去れ」
男の一人が言った。そんな脅しに動揺する良蔵ではない。千恵の前に出て、刀の鯉口を切り、柄に手をかけた。
「理不尽な!昼間っから、大の大人が六人がかりで娘の拐かしですか!?」
すると、男たちは薄ら笑いを浮かべて言った。
「ガキのくせして、威勢だけは一人前だな。ほら、怪我をするぞ!」
一人が刀を振りかざしてきたが、良蔵はそれを難なくかわし、逆にその男の袖を切った。男は一瞬、怯んだ。
「小僧!よくも……覚悟しろ!」
そこに、歳三と斎藤が走り込んできた。
「先生!!」
良蔵が叫んだ。
「良蔵、怪我はないか?」
斎藤が言った。歳三は、
「脇が甘すぎるぞ!」
と言った。
「なにそれ!稽古かよ!?」
良蔵が不満の声をあげると、歳三はにやりとして、
「それだけ冷静なら大丈夫だ。よくお嬢さんから離れなかったな。あとは任せろ」
と言って、良蔵と千恵を後ろに下がらせた。
「京の街で、昼ひなかから、若い娘を拐かされたんじゃ、俺たちの名が廃るってもんだ」
歳三が言うと、男たちの顔色が変わった。
「も、もしや、お前たちは……」
「新選組副長、土方歳三!」
「新選組三番隊組長、斎藤一!」
二人の名を聞いたとたんに、男たちの殺気が増したのを、良蔵は見てとった。
「おのれ...新選組!積年の恨み、思い知れ!」
三人が一度に斬りかかった。が、斎藤の居合いに一人があっという間に斬られ、あとの二人も歳三に斬られた。良蔵は、初めて、歳三が真剣を振るうのを見た。その顔は、普段見慣れている歳三の顔とは、明らかに違っていた。
(真剣で斬り合うとは、こういうことなのか……木刀での立ち合いなんて、この人には遊びみたいなものだったんだ……)
ふっと油断した良蔵の目の前に、刀が降ってきた。
「わっっ!!」
思わず刀を出したが、男は良蔵の前にどうっ、と倒れ込んだ。斎藤の刃の方が早かったのだ。
「馬鹿野郎!!ぼうっとしてるんじゃねぇ!死ぬぞ!」
歳三に怒鳴られた。良蔵は刀を握り直し、平晴眼に構えた。残りの二人に、歳三と斎藤がにじり寄る。二人は逃げ出した。斎藤が追おうとしたが、歳三が止めた。
「追うな、
逃げた男たちは、長州藩邸の近くまで来た。すると、目の前に背の高い男が立っていた。
「おいは、ほしか刀は自分で手に入るっ。おなごを拐かして得た刀なんぞ、使ゆっか!」
言うが早いか、あっという間に、二人の男は斬られていた。薩摩の薬丸示現流居合だった。
「岩国屋!」
その男の声に、物陰に隠れていた岩国屋は震え上がった。
「こん話、西郷先生に言えば、長州ん立場は無うなっな。薩摩はこげんやり方は好かん!よう覚えちょけ!」
言うだけ言うと、その男は去った。悔しがる岩国屋だったが、斬られた男たちとの関係は結局、明らかにはならず、後日の町方の取り調べでは、食詰め浪人による身代金目的の拐かし未遂、に落ち着いてしまった。
歳三たちは、千恵を店に連れて帰った。関屋は、娘の無事な姿を見ると、思わず涙を流した。
「お父っつぁん!!」
千恵が父に駆け寄り、関屋は娘を抱き締めた。
「千恵……千恵……!良かった……お前が無事で……お前までいなくなってしまったら、私はどうすればいいのかと……!」
歳三は、そんな二人を見ながら、良蔵に目をやった。良蔵は静かに二人を見つめている。
(あのとき……俺は、一番に良蔵のことを思ってしまった……今の関屋のように……)
自分の心の動きが、信じられない歳三だった。その後まもなく、『岩国屋』から『関屋』に、『之定』の購入を辞退する旨の文が届いた。
そして、関屋の包帯も取れる日が来た。包帯をはずし、丸めている良蔵の手を、関屋はじっと見て言った。
「良蔵さんのお手は、土方さまとそっくりですな」
「えっ?」
良蔵は驚いて関屋を見た。
「商売柄、刀を手にとられるお客様の手に目が行くようになってしまっております。土方さまのお手は、まことの武士のお手でございます。良蔵さんのお手は、爪の形や指の形が、土方さまとよく似ておられる。昔から、手や足の形などは、親子や兄弟では良く似るものといわれております。良蔵さん、あなたのお父上は、もしや……」
関屋がそこまで言うと、良蔵が制した。
「そこから先は言わないでください。先生は何も知らないんです」
関屋は良蔵を見つめた。
「良蔵さんは、幼い頃に多摩に行かれた、と娘が申しておりましたが……」
と関屋は言った。
良蔵は微笑んで、
「僕、最初は、母の仇討ちのために、多摩に行ったんですよ」
と、晒しを片付けながら言った。
「仇討ち、ですか?なぜ……?」
関屋は聞いた。
「僕の母は、僕を小さな時から武士にするために育てました。お金は武士になるために使うのだと言って、自分のことはいつも後回しで...僕は、それは、母を捨てて武士になった、父のせいだと思い込んだんです。だから父と立ち合って勝たなければ、と」
良蔵は答えた。
「多摩で、僕はいろんなことを学びました。医術や、剣術や……仇討ちよりも、もっと大切なことを……僕の周りには、僕を変えてくれた人たちがたくさんいたんです。仇討ちはやめました。でも、どうしても側にいたくて、京に来てしまいました」
「お子だと、お告げになる気は……ないのですか?」
関屋は心配そうに聞いた。
「いつか、時が来たら……」
そう、良蔵は答えた。
「今は、先生の側で、先生を知りたいと思っています。先生の目指す、『誠の道』を共に行きたいと。医術や剣術を学び、いつか、先生を守ることができる日のために……」
良蔵は関屋をまっすぐに見つめた。その言葉に、深く頷く、関屋であった。
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