恋するアンドロイド

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第1話

「わあ、驚いたね」

 テーブルに置いてあったペラペラのメモ用紙を取り上げて、ちっとも驚きを感じない声でマサキは言った。

「僕と君がお互い恋に落ちるまで、この部屋からは出られないってさ」

 マサキは何度かそのメモをひっくり返したりしたり、テーブルの上においてある時計を覗き込んでみたりしていたが、テーブルの上の情報はそこに書いてあるその一言だけだったようだ。

 そのまま部屋中をうろうろと探索し始める。私は大人しくソファーに腰かけて、そんな彼を目で追った。

「こんな騙し討ちみたいな事されるだなんて心外ね」

 私とマサキは突然この部屋に外鍵をかけられ閉じ込められたのだ。

 ホテルの一室のようなこの部屋は、普段私が生活している部屋と大差ない。生活に不便はなさそうだ。16畳程の部屋にミニキッチンと小さめの冷蔵庫。私の部屋との違いは広さとダブルベッドくらいだろうか。

「私は実験台になる事なんてとうの昔に了承済みだっていうのに」

 こんな事しなくても、普通に話をして連れてこればよかったじゃないか。

私は先の想定できない出来事があまり好きではない。

「もしかして、吊り橋理論じゃないかな」

 吊り橋理論。1974年にカナダの心理学者が発表した学説だ。揺れない橋と揺れる橋それぞれで異性と出会った時に、揺れる橋で出会った方が恋愛感情に発展する可能性が高いという実験結果に基づいた学説のため、そう呼ばれる。

 つまり、揺れる橋の上で緊張してドキドキしている時に異性がそばにいたら、恋愛感情でドキドキしていると錯覚を起こして恋に落ちやすくなるという話だ。

 説明して一緒に生活させるよりも、突然予告なく密室に閉じ込めた方がより恋に落ちやすいと思われたのかもしれない。

とても意味があるとは思えないが。

「私はともかく、アンドロイドの貴方に吊り橋理論なんて通じるのかしら」

 そう。マサキは恋するアンドロイドの試作品だった。私は研究者である両親に頼み込まれ、彼の恋愛対象の役をしている。

こうなる前も何度か面会はしていたのだが、なかなかいい結果が出ないことに痺れを切らしたのかついにこんな強硬手段に出られたという訳だ。

 実際はある程度の時間が経過したら何も無くても出してもらえるだろうとは思うのだが。

「吊り橋理論は君に通じれば十分だろう? どう、ドキドキする?」

「全然。私はアンドロイドになんかドキドキしないのよ。悪いけど」

 私は彼を無理に気に入る必要はないのだそうだ。彼は人に自然に好かれ、なおかつ私を自然に愛せるロボットを目指しているから。

マサキは人間としてはかなり完璧に見えた。動きも会話も滑らかだし、見た目は人間と大差ない。たまに感情がなさそうに見えることもあるが、気にならない程度だ。

「そう、それは残念。僕は君の好みのタイプの筈だっていうのにね」

「確かにそれはそうね」

 彼は両親が私の好みに作ってくれたので、確かに性格が外見共に私の好みのタイプだった。でもたったそれだけで恋愛感情をもつのは難しい。

 どんなに私に優しい好みのイケメンだとしても、だってアンドロイドだ。

どうしても、そう思ってしまう。

「珈琲、淹れようか」

 話しながらも部屋をずっと探索していたマサキはミニキッチンでインスタントコーヒーを発見したらしく、早速お湯を沸かし始める。

 さすが、恋するアンドロイド。女性への気遣いはできている。

「お気遣いありがとう。でも私は貴方と恋には落ちないわ」

「この部屋から出られなくてもいいの?」

 疑うことを知らないアンドロイドは、あのメモの事を素直に信じているようだった。

「ここから出れたところで楽しいことなんてないから」

「そうなの?」

 マサキは何故か閉じ込められた時よりも随分リアルに驚いて見せる。

「そうよ。だって、今までもこれからも私はずっとパパとママの研究の手伝いばかりして生きて行くんだもの」

 研究所の一室に一人で住み込み生活。毎日毎日、アンドロイドと面談しては、アンドロイドの恋愛対象として必要だとかいうテストと検査。

 この部屋からずっと出られなかったとしても、私の生活は外にいる時とほとんど変わらない。

 このまま部屋にいたとしても外にでたとしても、私はマサキ達アンドロイドと同じように、どこで何を話しているのかも、感情の変化や体調の変化も、すべて研究員たちにモニターで監視されているのだ。

 この実験の手伝いばかりでプライバシーなどない生活は、私にとってちっとも楽しい生活とは言えなかった。

 けれど、何故だか死んでしまいたいとも思えないのだ。私は。

 お湯が沸いたようで、マサキがインスタント珈琲を二つのカップに淹ると、一つを私に手渡した。そして、他にも座るところはあるというのに当然のように私の隣に座る。

「じゃあ、この部屋の外に出るよりはここでずっと僕といる方がいいっていうこと?」

 珈琲を一口飲んでマサキは言った。

 マサキがパーソナル・スペースを侵している事に気が付いたが嫌悪感は感じない。

「そうね。どちらかというとそうかもしれない」

 沢山の白衣の人にかこまれて検査やらテストやらをしている時間と比べれば、マサキと話をしている時間の方が楽しいと思えた。

「ということは、それは恋にはならないのかな?」

「恋じゃなくても一緒にいたい人はいるものでしょう」

 アンドロイドににとって、その違いは難しいことかもしれないけれど。

 マサキは理解したように「そうだね」と頷いてから、口を開いた。

「例えば、それはアイにとっては僕ということ?」

「……うん、そうね」

 私は少しだけ考えて、頷いた。それを見て、マサキは嬉しそうに人間みたいに笑った。

確かに彼との会話は面白かった。話の方向が思いもしない方向へ転がっていって、先が読めない。

 先が予想できない事は嫌いな筈だが、マサキだけは嫌ではなかった。

「僕ね、今日でアイの事が少し好きになってきたよ」

「本当に? マサキにとって好きってどういう事なの?」

 私はアンドロイドの考える、好きということについて興味があったので尋ねる。

「……難しい質問だね」

 マサキはそこで口をつぐむと、少しだけ考え込んでから答えた。

「この研究においてはモニターに表示される感情の数値かな」

 アンドロイドらしい答えだと思ったが、「アイにとって好きっていう事は?」と聞かれた時、私も同じように黙り込んでしまった。

 好きとはどういう事だろう。改めて聞かれたときに私もすぐには答えられなかった。

 私は手にしたカップに並々と入った珈琲を眺めて考え込んだ。そしてたっぷり2分程たった頃、ようやく口を開く。

「この研究においてはモニターに表示される感情の数値ね」

 私とマサキは顔を見合わせて、噴き出した。

 結局、人間もアンドロイドも好きという事に対して同じ答えしか出せなかったのがとても可笑しかった。

 途端にブザーがなって扉が開く。

パパとママとそのほかの研究員の人たちが拍手をしながらぞろぞろと入ってきた。

「アイ、マサキ、おめでとう! 研究は大成功だ!」

 どうやら、モニターの数値的に見れば先ほど笑い合った瞬間、私たちはお互い恋に落ちたようだった。

(なるほど。恋に落ちるとはこういう事なのか)

 私はママとパパに交互に抱きしめられながら、他人事のようにそう思ってマサキを見た。

 マサキは私を見てほほ笑むと、私が手に持ったままだったコーヒーカップを「危ないよ」と言って取り上げる。

サイドテーブルにマサキの空になったコーヒーカップと私の並々と珈琲の入ったままのカップとが並べて置かれていた。

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