一章 第二十九話「不滅の剣 後編」

「そこだ――!」

「グォオォ……」


 ハルバードの切っ先が魔人の胸に位置するコアを貫いた。


 魔素の供給を断たれ自慢の耐久力を失った魔人の身体が、砂のように崩れて消える。


 迫りくる魔物の相手をする中で、不快な反復は次第に積み重なり、もはや数えることも億劫になるほどだった。

 最初は僅かな緊張を覚えていたエルキュールだったが、今では同族の命を奪うことに何の抵抗も感じなくなっていた。


 そして、その自身の変貌を省みる間もなく、なおミクシリアの街を侵犯する魔物の勢いは止まらなかった。


「エルキュール! 左から漏れているぞ!」


 オーウェンに指示された方向へ、すぐさま闇魔法の霧を展開する。

 突っ切ろうとしていた道の途中に突然現れたその禍々しい霧に、進軍する狼型の動きが止まる。


「――偃月えんげつ!」


 相対していた魔人を二体とも切り伏せると、オーウェンはすぐさま剣から衝撃波を飛ばし、その青白い光の刃は狼型の首を残らず全て切断した。


 狼型のコアは首元に位置している。威力もそうだが、そのことを熟知した正確な斬撃に、エルキュールは目を見張った。


「……対イブリス専門機関・デュランダルの作戦執行部長、か」


 役職名はさておき、その機関の名は世俗と距離を置いてきたエルキュールにも知れていた。

 発足から十年と少し。伝統的かつ古典的な王国騎士団やカヴォードの軍とは違う、新興の民間組織。


 それが最近では、騎士団を差しおいて魔物対処の第一人者謳われるようにまでなったとは、エルキュールは今の今まで半信半疑だったのだが。

 これほどの使い手を擁しているとなると、信じざるを得ないだろう。


 突然の会敵に一時はどうなることかと思ったが、オーウェンという猛者と共闘できたのは僥倖だ。このまま行けば辺りの魔物は殲滅することができるかもしれない。


 オーウェンの後方から迫っていた魔獣を魔法で一掃し、この状況に少しずつ希望を見出していたその時――。


「ウオオオォオォ……!」


 門の方向から凄まじい咆哮が放たれ、エルキュールは再び自身の甘さを呪った。

 見なくとも分かるが、門から魔物の群れが侵入してきている。数は先ほどまでエルキュールらが狩ってきた数と同等か、やや少ないくらい。

 要するに、もう一度同じ時間分ここで足止めをさせられるということだ。


「クソ、なんで次から次へと小分けに――」


 王都が異常だという事実に至ったと思った矢先に魔獣が街を襲撃し、何も分からないまま対処させられている現状。いい加減ここらで事件の具体的な意図や首謀者、収拾への活路などの指針をはっきりさせておきたいと思っていただけに、その悪夢ともいえる光景を前にしてエルキュールは苛立ちを隠せなかった。


「……成程。それも意図的ということか」

「……? どういうことです」


 同じく隣で見ていたオーウェンが低い声で呟く。その内容の意味を問い質したいことだったが、彼は薄く笑って首を振った。


「失敬。今は語らっている場合ではなかったな。真実を欲するならば、まずは目の前を脅威を砕かねばなるまい」


 太刀を構えるオーウェンから発せられる闘気に、エルキュールは反論することもできなかった。

 すぐさま倣って、魔物の群れを見据える。


「拙者の剣は集団戦でこそ真価を発揮する。小型は任せて、貴殿は奥の魔人を頼む。殲滅が叶わぬなら霧で退路を断つこともゆめゆめ忘れるな」


 短く告げて、オーウェンは瞬く間に前方の魔獣へと駆けていった。

 確かに魔物のそれぞれの射程と機動力を考えれば、より長い得物を持つエルキュールの方が魔人と戦うには適しているだろう。

 遠い間合いを保てることから汚染の危険性も軽減できる。

 魔人であるエルキュールには無縁の事だが、それでも適切な指示だと言えよう。


 俊敏な剣技を繰り出すオーウェンの傍を横切って、エルキュールは奥を目指す。

 赤黒い痣とコアを持つ魔人が五体。道を歩くものや、端にある家屋に興味を示しているもの、様々であるがそれらの動きは等しく緩慢だった。


 これはいける。五体という数の多さを危惧していたが、個体としての強さは然程だった。


 勢いを殺さずに、速攻を仕掛ける。

 まずは脇道に行こうとしている二体の胸元を一斉に横薙ぎに。コアが砕けて赤い魔素が辺りに飛び散る。

 倒れ伏す魔人に一瞥もくれず、エルキュールは残心を忘れない。


 エルキュールの攻撃に気付いたもう二体の魔人が彼に掴みかからんと腕を伸ばす。

 直線的で、分かりやすい動き。瞬時に周囲の魔素を手繰り、土魔法・エスクードで防御壁を張ってこれを防ぐ。


 黄金の光を発す半透明の壁に、魔人の身体が勢いよく打ち付けられる。崩れた体勢の隙を逃さず、エルキュールはこれも横薙ぎにして屠る。


「さて、残るは一体……だが」


 四体倒したところでエルキュールは周囲を見回す。てっきり向かってきているものだと思っていたが、少しを注意を逸らした隙にその姿を見失ってしまったようだ。


 逃げたか、隠れたか。そんな知能があるようには見えなかったが、ともあれ野放しにするのは危険だ。急いで残りの魔人を捜す。


 門周辺の曲がり角だけでなく、細い露路の間も丁寧にかつ迅速にさらっていくのだが、どういうことかまったくその姿を確認できない。


 動きが遅いと侮っていたが、横着せずに満遍なくフリューノアで動きを封じるべきだったかと、エルキュールが焦燥を覚えていると――。


「お、お兄さんっ! ここよ、ここっ! 助けてぇ!!」


 甲高い女性の声がエルキュールの頭上から聞こえてきた。


「上だと……!?」


 まさかと思って声の方へと目線を向けてみれば。


「アァ……アァ……」


 整然と立ち並ぶ家屋の一つ。その壁を伝って上る魔人の姿があった。

 目的の魔人に違いないそれは、上階の窓から顔を出すのすぐ近くにまで迫ってきていた。

 魔人の接近に、彼女の表情が恐怖で引き攣る。


「今すぐ窓から離れてくれっ!」


 弾かれたようにエルキュールは叫んだ。


 危機を知らせてくれた彼女には礼を言いたかったが、事は急を要する。

 この一帯の住人は避難したものを除いて、ほとんどが殺されたか汚染されてしまっていた。

 それだけでも自責の念で頭がおかしくなりそうだというのに、目の前で人が魔人に襲われる様を見てしまったら、いよいよ正気を保つことなどできそうにない。


「――フライハイト!!」


 えるように詠唱したのは風の上級魔法。空中を自在に移動する力。

 翡翠色ひすいいろに輝く魔素を全身に纏い、エルキュールは壁をよじ登る魔人へと飛翔した。


「……ェ、ゥア……」


 魔人の赤黒く変色した太い手が、窓の縁を掴む。


「させない――!」


 空中でハルバードを両手に握り、エルキュールは魔人の背に向かって渾身の力を込めて突撃した。

 鋭い刺突は深々とその背を突き破って、反対にあるコアごと貫いた。


「ア、ァァ……ェ……マ……」


 呟きを残し、魔人の手が空中に投げ出される。エルキュールによって壁にはりつけにされたような格好のそれは、やがて身体が魔素に分解され、その灰のような粒子は風に流され消えていった。


「……よし」


 その光景を前にエルキュールは胸を撫で下ろす。諸々の問題はあれど、目の前の人間を守ることができた。


 安堵する彼に、脅威が去ったのを悟ったか窓の奥から女性がひょっこりと姿を現す。


「あ、あの……ええっと、助けれくれてありがとうございました! 私、本当に怖くて……」

「いえ、無事でよかったです。ただ、まだ危ないですから戸締りをしっかりして外には出ないように。恐らく騎士団も動き始めているでしょうから、安心して待っていてください」

「は、はいぃ……」


 まだ恐怖で気が動転しているのか、女性は顔を赤くしながら首を振った。不慣れではあるが、エルキュールは彼女を安心させるように薄く笑いかけてから地上へと降りる。


 上から何か悶える声がしたように思うが、本当に大丈夫だろうか。少し心配になったが、すぐにそれを気にしている場合ではないと思い直した。


「そちらも大事ないか?」


 駆けつけてきたオーウェンの姿が目に入ってきたからだ。エルキュールは表情を引き締めて首肯した。


「先ほど侵入してきたものは全て。ただ――」

「……ふむ、どうした」


 オーウェンは門の方を確認してから聞き返す。エルキュールも万一の場合に備え、武装を解かずに続けた。


「魔人の力がどうにも弱いのが気になります。以前俺が戦ったのと比べて知能も膂力りょりょくも足りていない。王都民の記憶を操作し守りの隙を突くという仕掛けの割には、戦力が足りなすぎる」

「成程、いい着眼点だ。だがそこまで考えられるのならば、後も容易く分かるものではないか?」

「……まさか、この襲撃すらも陽動、攪乱かくらんに過ぎないと……?」


 確かめるようなその問いかけに、オーウェンは懐から何かを取り出しつつ答える。


「拙者たちデュランダルも、ロベールら騎士団もそのように考えている。この魔動通信機で連絡を交わし分かったことだが、他の区においてもここと同様の事態が起こっているようだ。故に、ただでさえ記憶の件で弱体化した戦力を分けることを強いられていてな」


 そこで徐にオーウェンは手にしていた通信機を放り投げてきた。反射的にそれを掴んだエルキュールに、彼は得意げに笑った。


「見てくれはただの黒い箱であるが、その正体は組織で使われている最新型の携帯機。顔と名前を心に浮かべ魔素を込めれば、同じ規格を持つ者に連絡できる」

「……これを使って協力し合うということですか」


 戸惑いを見せるエルキュール。それをどう解釈したか、オーウェンは真剣味が増した表情で目を伏せた。


「急な提案で申し訳ない。本来ならば只人である貴殿らを頼るなど烏滸おこがましいことだとも重々承知している。ただ、それでもだ。今回の危機の解決には外から来た貴殿らの力が必須だと考えている。だからどうか、力を貸してはくれないだろうか」


 頭を下げるオーウェン。期待、奮起、後悔、悲嘆。そんな極めて強い感情がそこには懸けられており、エルキュールは息を呑んだ。


 平静に振る舞ってはいるが、その実彼はこの襲撃を悲しんでいる。彼もまたこの事態に責任を感じている。

 気付いたときには既に蔓延っていた記憶の改ざん、水面下にいたアマルティアの突然の活性化。常に後手に回らざるを得ない状況だった彼らの歯がゆさは、エルキュールにも痛いほど共感できた。


「――分かりました」


 気付けばその言葉は、自然と口から出ていた。


「元より協力するはずだった仲です。こんな形ではありますが、遅すぎるという事はないと思いますから」


 思いは同じだ。ならば冗長なやり取りはいらない。寸暇すんかも惜しんで動くべきだろう。


 そのように目で以て告げれば、オーウェンもまた鷹揚に頷いた。


「感謝する。なれば少しでも多くの者を救いたい。ここへは直に編成を終えた騎士団が到着する見込みだ、守りは彼らに任せ拙者たちは遊撃に徹したほうがよかろう」

「了解です。なら今すぐにでも――」


 と、エルキュールが了承しようとした時。突然エルキュールが手にしていた魔動通信機が淡い白光を帯び始めた。

 急な変貌にエルキュールの身体は震え、思わずそれを落としてしまいそうになる。「案ずるな、ただの通信だ」オーウェンは呆れたように笑みを浮かべる。


 それに居心地悪い感覚を覚えながらも、エルキュールは通信機を胸元にまで持ち上げ意識を集中させる。

 すると光を帯びていたそれが一瞬大きく輝き、やがて辺りに声が響き始めた。


『……ル君! エル君! 聞こえる!?』

「その声はジェナか……?」


 通信機越しであっても透き通るような美しい声に、エルキュールの郷愁をくすぐるその呼び名。


 その声は間違いなく、襲撃の際に別れたきりだった光の魔術師、ジェナ・パレットの声であった。

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