一章 第十四話「新たな同士」

「分かりやすいように、君が話してくれたことと照らし合わせて話すとしようか」


 これから話すことの全容を知っているのは、エルキュール自身を除けばもはやグレンくらいしかいないだろう。あまり自分のことは周囲に語らないように心掛けてきたので、いざ核心に迫る部分を自ら曝け出すとなると緊張が抑えられなかった。


「まず、そうだな。君が言っていたという黒づくめの男だが……あれは恐らく俺のことだ」

「ん? え……? えぇぇええー!!?」


 ジェナの叫びが木々を突き抜けこだまする。確かに今のは突拍子もない発言だった。訂正し、順序だてて補足する。


「その、俺は元々家族とヌールの方に住んでいたんだ。そこで魔獣を狩り、そこから採れた素材を家計の足しにしていた。君が聞いたのは恐らくそのことだろう」

「あー、そっか。確かにそうかもしれないけど……って、え? ヌールに住んでいたってことは――」


 過去形の表現。もしくはそうでなくてもエルキュールが言ったことがどういう意味を持つか、ジェナには容易に知れたかもしれない。


「……あの事件の日。魔獣の大量発生の知らせを受け、念のために俺はある組織について調べてみることにしたんだ」

「アマルティア、だね」

「そう。結果としてヌール近辺の平原で彼らの痕跡を見つけたが、それは意味を為さなかった。陽動にまんまと嵌り、何とか追いついたころには、彼らが魔獣を操って街を攻撃し始めた後だった」


 感情の色を乗せず、淡々と語る。本題でもないところなのでさっさと流したいという思惑からだったのだが、聞いているジェナの表情は悲痛に溢れていた。

 とはいえ既に飲み込んだこと。要らぬ感傷を与えないように、言葉を矢継ぎ早に繰り出す。


「動機は不明だが、アマルティアは人間を汚染する他にも、俺という存在を仲間に引き入れたかったようだった。そんな勝手な都合のために、不幸にも無関係だったヌールの街が巻き込まれた」

「……まるであなたにも非があるみたいな言い方だね」


 それは実際そうだろうと、言いかけた口を噤む。ジェナは責めているのではなく、暗にそれを否定しているからだろうというのが理解できたからだ。自身がどう捉えるかは勝手だが、その健気な思いは無下にはしたくなかった。

「それはどうだろうな。けど俺は、俺の大切なものを傷つけたアマルティアを許せなかったし、無力な自分にも嫌気がさした。だから一人で、アマルティアと戦うために、俺は街を抜け出した……まあ、勝手についてきたお節介な男もいたんだが」


 それまで淡々と語っていたエルキュールの顔に、僅かな笑みが浮かぶ。あれから嫌なこともあったが、グレンが協力を申し出てくれたことはありがたかった。


「家族に別れを告げ、俺たちは王都を目指すことにした。あの日ヌールの街で起こっていたことは、ここ最近の王都での動きと連動している可能性があるからだ」


 王都近郊で魔人が目撃され、それに伴う騎士の移動。手薄になった時を狙いすましたかのようなアマルティアの襲撃に、ザラームの言葉。

 一つでは偶然だと切り捨てることもできようが、こうも重なると深読みせざるを得ない。


 自身の考察を交えながら進むエルキュールの話は、その舞台が次第にヌールからアルトニーへと移ろっていく。


「俺たちがこの森に来た理由は省くとして……最後にあの魔人については触れておく必要があるな」

「魔人って……騎士が汚染されたものと、あとは――」

「ああ。俺たちを不意打ちしてきたあの魔人の方だ。これは帰ってから言おうと思っていたんだが……実はあれもアマルティアに関係しているんだ。アマルティア幹部、ミルドレッド――奴はそう名乗っていた」

「……!? そんな――」


 驚きが大きすぎるのか、それともまだ信じられない部分があったのだろうか。そのジェナの呟きは彼女たちが葉を踏みしめ歩く音に掻き消えてしまうほどに小さい。

 暫し呆然としていたジェナだったが、ようやく理解が及んだのかその顔が見る見るうちに険しいものになる。


 彼女は怒っていた。


「そういうことはもっと早く言ってよ! エルキュールさん、さっきは大したことなさそうにしてたのに……! 何で最初から隠さず言ってくれなかったの!? いや、違う……『痛み分けにした』なんて言ったときに気付くべきだったんだ……騎士の魔人にはそんな話が通じる知性もなかったし……ああもう、私のバカバカーー!!」

「……いったん落ち着いてくれ」


 エルキュールの不誠実さに対する怒り、それに上手くしてやられた自分に対する怒り。

 後ろで結いあげられた髪がふわふわと揺れるの見て、大袈裟に反応をするものだと思わず頬を掻く。


「だって、酷いよ……エルキュールさんが言うには、アマルティアの魔人は魔獣を自由に操るだけじゃなくて、その本人も強力な魔法の使い手なんでしょ? 怖かったに決まってるのに。死んじゃうかもしれなかったのに。あなたの大切なものを壊した元凶とまた一人で向き合って……またその辛さを一人で抱え込もうとして。周りにその痛みを見せないように立ち回って……そんなの、間違ってるよ……」

「あ……」


 しかし、思わぬ悲痛な面持を前に、憤るジェナを諫めようとした動きが止まる。

 それは決して気軽に済ましていい感情ではなかった。


 潤むジェナの眼差しを見てようやく気付いたのだ。彼女は何も己を騙したことに腹を立てていたわけではなかったと。


 彼女はただ、エルキュールのその在り方を否定していたのだ。自分の責任を勝手に拡大解釈して、背負って、傷つく。そんな愚かな考えを否定してくれていたのだ。


 人の背景にある暗い部分を知りつつも、気遣って触れないように振る舞うグレンとも違う。

 ジェナという少女は、人の痛みに共感し、その重荷を共に背負うとしてくれる、心優しくも強い人物なのだと。

 彼女を姉と呼び慕うカイルとサラの様子からも薄々感じていたが、今この時に至ってようやくそのことが実感できた。


 そして理解した。エルキュールが抱えていた、彼女に対する特別な感慨――その正体を。


 温かさだった。かつて魔人である自分を認め、共に暮らし、導いてくれた家族と同じ、まるで優しく抱きしめられるような心地いい温度。


 その懐かしさにも似た感覚が、ジェナに対する心理的な距離を縮めてくれていたのだ。


 それほど感情を傾けてくれる彼女だからこそ、エルキュールも真摯に対応しようと思えたし、そんな彼女の言葉を涼しく受け流すのはたとえ他の誰かが何と言おうと間違っている。


「……ありがとう、ジェナ。俺を叱ってくれて。長年染みついてきた癖は、どうにも簡単には抜けてくれない」

「……いや、そんな……私の方こそごめんなさい、偉そうな口利いちゃって。私の知らないところで、私の大切なものが傷ついていたら……そう考えると、どうしようもなく嫌な気持ちになって、ただそれだけで――」


 先ほどの感情的な態度とは裏腹に、ジェナの言葉がだんだんと尻すぼみになる。自分でもあのように振る舞うつもりはなかったのだろう、俯くその顔も赤に染まっていく。


 それまでと少し質を変えてしまった雰囲気を正そうと、エルキュールはわざとらしく一つ咳払いし、改めてジェナの方を真っ直ぐに捉えた。


「これで俺の話はひとまず終わりだ。さて、ようやくこれで本題に入れるわけだが」

「本題? って、そうだったね。元はと言えば私のお願いの話だったよね」

「そうだ。俺が今置かれている状況はさっき言った通りだ。アマルティアを追って旅をしている。それに自身が狙われているということから、あまり積極的に動ける立場にない」


 積極的に動けないのは半分は狙われているという理由で間違いないが、もちろん全てを表しているわけではない。

 彼女を信頼することと、魔人であることを打ち明けることはまた別の問題だった。


「……俺が言った条件は二つだったが。すまない、もう一つあった。できれば対アマルティアにも協力してくれると嬉しい。それを了承してくれるというのなら、喜んで君の頼みを受け入れよう」


 思えばここまで誰かに何かを望んだことは初めてのことかもしれない。その胸の内に幾ばくかの緊張を感じていた。


 そして同時に込み上げる、あの日グレンと対峙した時にも感じた自分の在り方が変わっていってしまうような不安。


 そもそもアマルティアと関わることの危険を冒してまで、エルキュールの提案を受けるなどあり得るのだろうか。もしかしたら逆に断られることもあるのではなかろうか。


 そんな彼の諸々の感情は隣を歩くジェナにも容易に伝わったのだろう、堪えきれないといった様子で破顔する。


「……くっ、あははは……! 何その顔、どうしてあなたの方がそんなに緊張してるの? こっちから頼んだことなんだよ? 断る理由なんかないよ」

「いや、だが、正直言って割に合わないんじゃないかと――」


 あまりに呆気なく了承するジェナについ口を挟んでしまったエルキュールを、その細い指で制止した彼女は続ける。


「もう、そうじゃないでしょ。アマルティア云々はもうあなただけの問題じゃない。私も今日の件でそれを実感した――これはもっと多くの人と考えることなんだよ」

「……そうだったな。グレンもそう言っていた」


 未だ改善されないその態度に、これは重症だなとエルキュールは一人ごちる。


「うん。だから、ぜひ協力させてほしいな。それでもあなたが気にするって言うなら、これから張り切って魔法を教えてもらっちゃおうかな!」


 ぱちりと片眼を閉じるジェナが可笑しく、エルキュールにもつられて笑みが漏れる。

 二人目となる同士、その存在がなんとも嬉しく、心強かった。


「帰ったらグレンも交えて話そう。ひとまず王都が目的なのは変わらないが、散々言われてきた『協力すること』についてもう少し考えたいからな。ジェナ、これから仲間として――どうかよろしく頼む」

「うん、こちらこそだよ、エルキュールさ……って、なんか今更さん付けで呼ぶのもどうなのかなあ。うーん……あなたに倣って呼び捨てとか?」

「……別に好きに呼んだらいいんじゃないか」


 話は円満に纏まり、後は早く街に帰るだけだと息まくエルキュールを、悩ましげなジェナの声が妨げる。

 どうやら正式に共に行動することから、他人行儀な名前を変えたいらしいが、エルキュールにはそれが然程重要なこととは思えなかった。

 すげなく返し、もう残り少ないアルトニーまでの道を歩き出そうとした。


「エルキュール、だと……ちょっと可愛くないな。えー……じゃあ、キューちゃん? これはなんか動物っぽくて違うなぁ。うーん」


 もう勝手にやってくれと、今度は何も告げずに先を行くエルキュール。対するジェナは塩対応な彼にぶつくさ文句を垂れながらも早歩きでその後をついてくる。


「やっぱりこれじゃあなたも気に入らないよね……それじゃあ……エル君ってのはどうかな?」

「……!」


 きっとジェナにとっては数ある思い付きのうちの一つを気軽に口にしただけ。だが、エルキュール当人にとっては少し意味合いが異なる。


 ただでさえジェナと彼女たちを重ねている節があっただけに、不意に発せられたその名にエルキュールはふと足を止めてしまった。


「あ……! もしかしてエル君がいいの? えへへ、じゃあ呼び名はエル君に決定ね! 改めてよろしく!」


 しかしそんな感傷をジェナが知るはずもなく。無邪気な笑みでエルキュールを覗き込む。

 予想外で衝撃的なことだったが、エルキュールは特にそれを咎めることもなく、苦笑交じりに返した。


 その懐かしい距離感の彼女との関係が、今後エルキュールにどう影響を及ぼすだろうかと。そんな不安と期待が入り混じった歩みであった。

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