一章 第二話「ある少女の紀行 後編」

「すみません! 特盛パフェ一つ!」


 アルトニーにある宿の一角、宿泊客が食事に舌鼓を打ちながら談笑している食堂にて、カウンターに控えていた男の一人に向かって威勢よく注文を伝えるジェナの声が響いた。


 快活な笑みを浮かべるジェナとは対照的に、カウンターの男はそんな彼女の不釣り合いともいえるほどの元気の良さに辟易したのか、苦笑しながらそれに応じる。


「嬢ちゃん、確かさっきもここに来て注文してなかったか? 特盛パフェもそうだが、カヴォード産牛肉のステーキ定食やガレア風サラダ、他にも――」


「あーあー! それ以上はもういいですから! きょ、今日は特別なんです! たくさん食べて気合いを入れようかなと……ほら、腹が減ってはなんとやらとも言いますし!」


 男の口から発せられる料理名に顔を青くしたジェナは大声でそれを遮ると、言い訳がましく早口でまくし立てた。


 確かに男の言う通り食事は既にとっている。十分に――否、一般女性の平均と比べると些か多いといえる量をとっている。


 しかし、先ほど宿の一室での一件で改めて覚悟を決めたジェナとはいえ、厳しい修行の前に当分の間食べられなくなるであろう好物を食しておきたい欲求には勝てなかったのだ。


「糖分だけに――ね」


「……何を言ってるかさっぱりだが、承ったぜ。すぐ用意すっからそこで待っててくれ」


「……はい」


 パフェを目の前にして舞い上がってしまった自分を省みながら、男のそっけない対応にジェナは弱々しく返した。


 だが、今だけはこうして気分を高揚させておく必要があるのも事実だった。


 ジェナが担う六霊守護ろくれいしゅごの任務、精霊の聖域を守るという使命を全うするには、体力も魔力もさらに強くなる必要がある。

 魔法士試験を経て、上位職である魔術師の称号を賜ったジェナであっても、現状のままでは未だ力不足であるのは否めなかった。

 だからこそ、こうして修行の旅をするよう命じられたのだ。


「そう、明日のクラークさん達からの依頼が終わったら、すぐにでも――」


「おや、僕たちがどうかしましたか?」


「え……? って、うわぁ!?」


 心の声がいつの間にか漏れていたことと、急に声をかけられたことの二重の驚きによって、ジェナは情けない叫びをあげる。


 気が動転しながらも声がした方へジェナが視線を向けると、随分と物腰の柔らかそうな出で立ちの男女が、珍妙な姿勢で固まった彼女に微笑んでいた。






「えっと……流石に奢ってもらうのは気が引けるというか……さっきもご馳走になったから申し訳ないといいますか……」


 注文した品を受け取り席に着いたジェナだったが、その顔は喜色というより戸惑いに満ちたものだった。


 別に品に問題があるわけではない。目の前には待望のパフェが鎮座している。背の高い透明の容器に、色とりどりの果物とクリームが織りなす美しい縞模様は、それはそれは素晴らしく綺麗に映えていた。

 これこそがリーベが生み出した最高の芸術だと、ジェナはこれを食すたびに感動を覚えるのだが、今回に限ってはそうではないようだった。


 その丸っこい瞳は煌びやかな料理を映しておらず、向かい側に座る一組の男女を凝視していた。


「はは、その節はこちらの方が助かりましたよ。元気が有り余って仕方ないあの子たちとも懇意にして頂いて……今はすっかり眠ってしまいましたが」


「ええ、主人の言う通りですわ。それに、魔獣の心配をせずにニースへ向かえるのもジェナさんのお陰ですもの」


 夫婦そろっての感謝に頬に血が上っていくのを感じながら、その人好きする笑顔を前にジェナは彼らと出会った時のことを思い出さざるを得なかった。




◇◆◇




 夫婦――もといその子供を含めたクラーク一家との出会いは今朝にまで遡る。


 昨晩ここで宿泊したジェナは食堂で朝食を済ませ、受付で手続きをしたのち宿を後にすると、兼ねてから訪れようと決めていたヌールへ向かおうとしていた。

 

 別にヌールの街自体に何かあるわけでも、この旅に具体的な目的地があるわけでもない。

 ただ、各地を流離う中で魔獣を狩ったり、時には寂れた雑貨屋などを巡って古い魔法書を漁ったりと、とにかく己を鍛えることばかりしてきたが、それだけでよいものかという焦燥がジェナの中には渦巻いていた。


 そんな折に、訪れた雑貨屋の店主からヌールにまつわるある噂話を聞いたのだ。

 彼は情報屋としての顔も持ち合わせており、曰く――


『ヌールでは騎士ではない何者かが魔獣を討伐しているらしいな。というのも、あちらの鑑定屋から最近よく魔獣の素材が流れてくるんだ。魔獣の素材なんてそんな簡単に手に入る代物でもねえから、それとなく聞いてみたんだが……すこぶる有能な協力者がいるんだとさ』


 とのことだった。その奇特さに興味を惹かれたジェナはさらに情報を要求したが、結局のところ「仏頂面な黒づくめな男」という情報しか聞き出せなかった。


 であるならば直接会いに行けばいいと、よく言えば単純明快な、悪く言えば短絡的な考えの下、ヌールへ出発したのだが。


「六霊暦一七〇八年、セレの月、三日。オルレーヌ放送が最新の魔獣情報を――」


 不意に耳をついた機械的な音声に、思案を巡らせながら歩いていたジェナは足を止めた。

 周りを見渡せばいつの間にか広場に出ており、先ほどの音声はそこに設置された魔動鏡によるものだと気づく。


 この朝の時間帯に放送があるのはいつものことであるので、特に気にも留めずに再び歩き出そうとしたジェナだったが、ふと魔動鏡に群がる人々の声にどよめきが混じっているのを聞いて不安に駆られた。


「あの、すみませーん、何か良くないことでも……?」


 堪らず近くにいた家族連れの壮齢の男に声をかける。長身の背丈に良く映える礼服を着こんだその男は青ざめた顔をしており、見ているだけで心が痛んだ。


「ああ、それが……ガレアからヌールにかけて魔獣が大量発生しているという情報が入りまして……参ったな、これではニースへの道も恐らく……」


 ジェナの呼びかけに反応するも、男はどこか心あらずな様子で、ぶつぶつと独り言を繰り返していた。

 近くでは男の連れと思しき妻が、周囲の不穏な様子に怯える子供を慰めていた。

 その様子に、流石に黙って見過ごすのも気が引けると思い、ジェナは身につけていた鞄からあるものを取り出し、男に見えるように掲げるとこう告げた。


「えっと、何か困っているんですよね? 私、実はこういう者で……相談に乗れると思うんですけど……」


「そ、それは……!? まさか魔術師の記章!? まさか、貴女のような若い方が――って、いえ! そのようなことはさておき、先ほどの言葉、本当ですか!?」


 黄金色の意匠があしらわれた記章、それを所持している目の前の少女が魔術師であると認めると、それまでの憂鬱とした表情が嘘のような興奮した態度でジェナに詰め寄った。そんな男の変貌ぶりに妻と子供も気づいたのかこちらに寄ってくる。


「は、はい! だから落ち着いて、事情を話してみてくれませんか?」


 たじろぎつつジェナがそう答えると、ようやく男は平静を取り戻したようで、呼吸を整えてから話し始めたのだった。




◇◆◇




「――あら、ジェナさん? 召し上がられないのですか?」


「あはは、すみません。改めて力になれて嬉しいなと思って……一日無駄になっちゃいましたけど、ニースでの大市に間に合いそうでよかったです!」


 クラーク夫人の指摘に、黙りこくって見つめてしまったことに気恥ずかしさを覚え、ジェナは早口に捲し立てるように答えた。

 それからパフェを一匙掬うと、見せつけるように頬張った。


 ――相変わらず素晴らしいの一言に尽きる味であった。昨日も食べたけれども。今日の朝と昼にも食べたけれども。


「本当にその通りです。ジェナさんが同行を申し出てくれなかったら、明日の商談には間に合うことは叶わなかったでしょう」


 その食べっぷりにさらに気をよくしたのか、クラークは笑みを濃くして語る。


 クラーク一家はアルトニーから西に向かった先にあるガレアで農業を営んでいるらしく、ニースで大市が開催されるついでに向こうの商人と取引する予定があるのだと聞いた。

 そんな時に不運にも魔獣の騒ぎが重なり、一般人の街道の通行が制限されニースへ向かうことが難しい状況になってしまったとか。

 幸いにして途中のヌールまで行きさえすれば制限も受けないので、途中まで同道するとジェナが申し出た結果、ここまでよくしてもらうことになったのだ。

 予定していたヌール行きが一日ずれることになったが、カイルやサラとの交流はジェナにとっても嬉しい経験だった。

 だからこそ、ここまで世話してもらうことに抵抗を感じてしまうのだが――


「ふふ、こうしているとカイルやサラにお姉さんが出来たみたいで何だか微笑ましいわ~」


 この夫婦はずっとこの調子を崩さないものだから、ジェナも変に指摘するのもよくないと感じていた。


 それからパフェを食べ終えるまでの間、ジェナとクラーク夫妻は世間話に花を咲かせた。ジェナの旅のこと、カイルたちが『ヴェルトモンド創世記』に興味を持ってくれたこと、ニースの大市についてのことなど。




 そして、宿の窓から見える外の景色に夜の帳が降りた頃。


「宿泊客の皆さん! 御寛ぎのところ申し訳ありません、アルトニー騎士隊の者です!」


 既に自室に休みにいった客が大半で閑散とした食堂にて、突如として入口の扉が大きな音を立てて開いたと思いきや、数人の騎士たちが必死の形相で転がり込んできた。


 その様子があまりに迫真なものであったので、周りの客たちはどうしたのかとそちらを凝視し、奥の方に控えていた支配人も姿を見せる。

「そんなに慌てた様子で……一体何の騒ぎです?」


「ああ、この宿の支配人ですね! いいですか、心して聞いてください。ほんの少し前の事です、広場の魔動鏡に異変があり……ヌールが、魔獣の襲撃に遭ったと」


 息を整えながらもたどたどしく発せられたその情報に、支配人はもちろん、ジェナやクラーク夫妻、他の客にとっても俄かに信じ難いものであり、瞬く間に動揺が伝染する。


「ヌールの詳しい様子は未だ不明ですが、応援要請用の信号弾がヌール上空に確認できました。我々はすぐに規則に則り応援に駆けつける所存です。念のため、こちらでも支援物資の提供と難民受け入れの準備をお願いしたく……!」


「…………」


 騎士の連絡の声が響く中、朧気ながらようやく事態を理解したジェナだったが、その他の客の慌てふためく様は尋常ではなかった。中にはパニックに陥る者もおり、騎士や宿の従業員が懸命に宥めていた。


「あの、これは夢ですよね……? つい隣の町で魔獣なんて……」


 かつてアルトニーで立ち往生していたときよりも遥かに血色の悪い顔でクラークがぽつりと零す。

 その言葉には激しく共感したかったが、そこまで楽観的になれるほど状況は甘くなかった。


 先ほどから光魔法・ビジョンでヌールの街の様子を探ろうと試みているが、魔素が混沌としているのかうまくいかないのだ。

 誰かの魔法によるものか、魔獣が持つ魔素質によるものなのか、どちらにしろヌールが危険な状況にあるのは容易く想像できた。


 十五年前に端を発する魔獣の活性化、ここ数年の間は騎士団等の組織の活躍もあり、直接被害を被ることは避けられていた印象だったのだが。


 今、この瞬間を皮切りに、得体の知れない何かが動き始めてしまったと、この不吉な知らせにジェナは半ば確信していた。




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