幕間「王都に潜むモノ」

 オルレーヌを守護する王国騎士団、その騎士たちを統率するロベール・オスマンはその立場の関係上、またはその実直さ故に非常に悩みの多い人物である。


 例えば、魔物の勢力が強まっているため騎士団に所属する騎士の一人一人の練度を今一度見つめ直さねばならないことについて。


 例えば、いつまでも身を固める素振りを見せない愛娘のことや、先日息子夫婦の間に生まれた孫への贈り物について。


 悩みの種類やその重要度は様々であるが、目下のところロベールの頭を悩ませているのはそれとは別の事であった。


「ふう――」


 ロベールのために設えられた執務室内にて、彼は重苦しく息を吐いた。


「オスマン騎士団長! 今お時間よろしいでしょうか!?」


「む、来たか……入りなさい」


 そんな重苦しい空気を払拭するかのように、部屋の入り口から慌ただしい声がかけられた。その声を聞くや否や、それまでの弱気だった顔色はたちまち霧消し、ロベールは騎士団長に相応しい超然とした面持ちで部下を促した。

 室内には似つかわしくない甲冑の音を響かせながら、部下の男はロベールの席まで小走りでやってきた。


「――ヌールの件だな?」


「え、ええ……あちらの騎士隊長殿から連絡がありまして。……急ぎ、こちらの資料に今回の事件の概要を纏めさせていただきました」


「ああ、感謝する」


 ロベールは短く謝意を述べると、部下である騎士から恭しく手渡された資料に目を通し始める。

 ――三方向から同時に行われた襲撃、広範囲にわたる街の損壊の程度、安否確認が取れた住人の割合は過去の事例と比較しても圧倒的に少ない。

 資料に記されている内容は、どれを見ても今回の事件の凄惨さを物語っていた。


「……だが、やはり想定より被害が大きすぎるな」


 資料に通していた目線を外し、ロベールはその事実を確かめるように呟いた。


 かつての十五年前の事件を皮切りに、ヴェルトモンド各地では魔獣による襲撃が激化しているのは確かだ。

 だが、それに伴ってリーベ側の対処の方法も洗練されてきており、ここ数年の間はアマルティアの活動がありながらも魔獣の襲撃による被害は最小限に抑えることに成功していた。

 それを踏まえて考えると、此度のヌールの被害はあまりに大きすぎるのだ。


 今回はアマルティアが直接介入がしてきたという話だが、それほどまでに彼らの力が強力だったということだろうか。


 ただ――


「ここに書かれている騎士達についてだが、数はこれで合っているな?」


 それでもなお違和感を払拭できない様子で、ロベールは対面に控えていた騎士に疑問をぶつける。

 ロベールが示した箇所には事件当日に控えていたであろう騎士の人数が書かれていた。


 ――その数は一週間前にロベールが確認した数と全く一致していた。


「はい。……団長も月初めの定期確認の際に各地の騎士の様子は把握していた思われますが」


 各地への騎士の割り振りを決定するのが騎士団長の仕事であれば、その地の警備に何か問題が起こっていないかを確認するのも騎士団長の務めである。


 知っていて当然のことを何故そこまで尋ねてくるのかと、眉を顰める部下に、ロベールは手にしていた資料を机に置いて相好を崩す。


「――ははは、申し訳ない、私としたことがつい失念していた。いやはや、年は取りたくないものだな。……ともかく資料の件は非常に助かった。少し考えを纏めたい、君は下がってくれて結構だ」


 それまで困惑の表情を浮かべていた騎士だったが、ロベールの快活な調子に顔を綻ばせると入室時とは違って落ち着き払った様子で踵を返して去っていった。





 騎士が退出するその様子を最後まで見送ると、ロベールは本日幾度目なのかも知れない溜息をついた。それから目の前の机に備え付けられた引き出しを開け、中に整理されている書類の中から一枚の資料を取り出した。


 取り出した資料には大きく綺麗な文字で「ヌール事件調査資料」と題されていた。


「ナタリアに先んじて調査させておいたのは正解だったな」


 オルレーヌ騎士団が誇る優秀な補佐官の仕事ぶりに感謝しながら、ロベールは先ほど騎士から受け取った資料とナタリアの資料を照らし合わせる。

 その双方は概ね内容が一致しているものの、先ほどの騎士の方はいくつか重大な項目が欠けていたり、ナタリアのものとは異なることが書かれたりしていた。


「『事件当日、ヌール伯の行方が不明となった。ヌール騎士隊長ニコラスはこの件に関し、騎士団本部でも急ぎ調査をするよう申した』、か……果たしてこれほど重大な事項を連絡し忘れるようなことがあるだろうか」


 ナタリアの方に書かれたヌール伯の件に関する記述を読み上げながら、騎士の方に同様の記述が見られないことを訝しむ。その他にも、「危機に活躍した二人の若者」についてや「アマルティアの魔人の特徴」についての街の被害とは別の重要な情報も、騎士が作成した資料ではまったく触れられていなかった。


 それだけでも極めて疑わしいことだが、先ほどの資料にはそれすらも問題にならないほどの不審な点が存在した。


「やはり、先ほどの者が作成した資料とナタリアの資料……騎士の数が明らかに一致していない」


 部下が提出してきた方はつい先ほど見たように、ロベールが割り当ていたのと同じだけの数が書かれていた。

 ところがナタリアの資料の方では、事件当時のヌールにはその僅か半分にも満たない数の騎士しか駐留していないことになっていた。


 実際、事件当時のヌールには死亡した騎士も含め本来の半分の数しか存在していなかったことが、ヌール騎士隊長のニコラス・バーンズからも確認が取れている。

 意図的かどうかはさておき、あの騎士が虚偽の報告をした事実は明らかだった。


「いや……意図的かどうかなど、もはや考えるまでもないな」


 昨日穴が開くほど読み込んだナタリアの資料、そのとある部分に目をつけロベールは呟く。


 騎士の消失についてニコラスが部下に聞き取り調査を行ったところ、ある一般騎士から妙な証言があった。『事件が起こる数日前から、仲間の騎士たちの何名かが王都の方から召集を受けたらしい』と。

 証言した騎士は『確かに王都の方では最近魔人が出没したとの噂を聞いたので、それの対策としての召集だと判断して当時は気に留めていなかった』という。


 確かに王都では先月の末魔人が郊外に出没する事件があったが、ここで重要なのはそのことではない。


 ヌール騎士の証言にあった『召集』――それを命じた記憶が騎士団長であるロベールの中にはないということ。


 そしてあの騎士もまた、その『召集』を受け王都にいる可能性があるということだ。


 ナタリアの資料の下部に視線を移す。そこにはロベールがヌール警備の任務を命じた騎士各人の情報が一覧になっていた。そしてそこに載っている人物の中に、先ほど対面した騎士も含まれていたのだ。


 しかし、おかしなことにあの騎士はロベールが知る限りヌールが襲撃される以前にはここ王都で勤務していた。


 ――つまるところ、事件当日のあの日、先ほどの騎士は騎士団の長たるロベールの存ぜぬうちに与えられた責務を放棄していたということだ。


 ロベールがこの事実を知ったのはつい二日前のこと。ヌールが襲撃されたという知らせをその夜のうちに知った彼は、得体の知れない不信感に駆られ自身の腹心の部下であるナタリアに事件の調査を秘密裏に命じた。

 そうして提出された資料にあるヌール騎士の一覧を眺めるうちに、その中の一人に既視感があることに気づいたのだ。


「『召集』か……私が発見できた彼のほかにも同様の騎士がいるのだろう。誰が糸を引いているのか知らぬが、相当数が私の指揮系統から外れていたようだな。……実に由々しき事態だが、それが確認できただけでも下手な芝居をうった甲斐があるというものだ」


 何かしらの権力もなしに、たまたま多くの騎士が持ち場を離れたとは考えにくい。

 ロベールではない別の何者かが騎士の動向を操っている。そう考えれば、あの騎士が持ち場を離れてここにいることもヌールの騎士の数の減少も説明がつく。


 とはいえ現段階において、これは所詮ロベールの仮説にすぎない。何故そんなことが起こっているのか、そもそも本当に裏があるのかは未だ不明である。

 だがこの先もロベールの指示から外れた行動をとる騎士が後を絶たなければ、そう遠くないうちにヌールの二の舞を踏むことになるだろう。

 ヌールの復興への支援ももちろんだが、一刻も早くこの不可解な事態を究明しなければ国防の機能が崩壊する。


「しかし、私の仮説が当たっているにしろ外れているにしろ、下手に動いてこのことが明るみに出ればとんだ不祥事だ。正しく解決するには慎重に動かなければいかんな……」


 今回は先んじて極秘に調査をしていたため不審な騎士の動きを感知できたが、騎士団内部にも信頼の置けない者たちがいる状況では表立った行動は避けたい。

 一方でナタリアのような信頼できる部下は数も少なく、それだけでは捜査も思うように進まないだろう。


「……気は進まないが、背に腹は代えられぬ、か……」


 首を左右に振って迷いを振り切ると、ロベールは懐から魔動通信機を取り出した。

 騎士団に配布されている規格とは異なる一回り大きい旧型のそれは、術者の魔素に応え術式を起動した。



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