序章 第九話「予定外の逢着」

 遺跡の祭壇部屋の前にて、グレンの提案に同意しようとしたエルキュールの言葉を奥から発せられた声が遮った。


 奥にいるのはあの人影のみ。つまり、あの人物がエルキュールらに向けて言葉を発したことは明白だった。


 動きを悟られないよう十分な距離をとっていたつもりだったが、こちらの動きが知られていたらしい。


 突然声をかけられたことで声を発しそうになるが、二人は何とか息を殺し相手への警戒を強めた。


「ふむ、静観……か。――悪くない選択だ。尾行の腕前はもう少し磨いた方がいいと思うがね」


 ローブを纏っているので外見を知ることはできないが、声質は男性のもののようだ。低く力強い声に硬い口調、そのいずれもが聞く者に威圧感を与える。


 その男は祭壇の方を見ながらもエルキュールらを冷静に分析していた。背中に目がついているのだろうか、この男は。


 いずれにせよ、その様子からは男が只者ではないことが窺い知れる。迂闊に近づけばどうなるか分かったものではない。二人は消極的な対応をせざるを得なかった。


「おや、尚も続けるとは……随分と私のことを高く評価してくれているようだな。……まあ、ここで相対するのは予定にはなかったことだ、向かって来ないのならそれで構わない。その調子で、これからヌールの街に起こるも静観していてくれたまえ」


「……どういう意味だ?」


 男の発した言葉の内容に、エルキュールは聞き返さずにはいられなかった。


 『ヌールの街に起こる災厄』、なぜそれが起こるとこの男に分かるのか。その問いの答えに至る前に、エルキュールは部屋の奥の方で闇の魔素が集約していくのを感じた。


 男が魔法を放出しようとしているのだ。この魔素の流れ、エルキュールにも馴染み深い――その魔法の名はゲート。二つの空間を繋ぐ闇魔法だ。


「……! そうはさせない!」


 男はこの場から離脱しようとしている、そのことにいち早く気付いたエルキュールは意を決して部屋の中に飛び出し――


「ダークレイピア!」


 ゲートで移動しようとしていた男に目がけて攻撃した。


 しかし、その攻撃は彼に届く寸前、不思議なことに何かに弾かれるが如く軌道を変え壁に突き刺さった。


「な……」


 闇魔法の衝撃により壁の一部が崩れ、周りに掛けられていた燭台も砕け散り破片が吹き飛ぶ。


「……甘いな。魔法はこう放つのだ――ダークレイピア」


「これは……!?」


 エルキュールが放ったものより一段と威力の高い魔法が、男の振りかぶった手に倣い放たれる。その黒の細剣は、エルキュールに魔法による防御を許さない速度で彼に襲いかかった。


「危ねえ、エルキュール!」


 男の放った魔法をグレンが炎を纏った大剣で防ぐ。火属性魔法・バーニングを付与された剣身は実際の大きさよりも肥大化しており、ダークレイピアと相殺し小規模な爆発を引き起こした。


「ちっ、やべえ威力だな……」


 爆発の衝撃に後退りながら、グレンは苦悶の表情を浮かべる。結局、二人そろって男の前に引きずりだされる形になってしまった。


「ったく、らしくねえぞ、エルキュール!」


「すまない……でも、こうなった以上やるしかない」


 男を見据えながら批判をするグレンに、エルキュールもまた警戒しながら答える。僅かなやり取りではあるが、男の実力はかなり高いことが分かった。


 恐らく、エルキュールとグレンの力を以てしても届くかどうか危うい。先ほどエルキュールの魔法を弾いた何か――その正体も不明のままだ。

 それを攻略しない限り、勝利を掴むことは叶わないだろう。


「クク、やる気になったのかね? だが残念だ……貴様たちと戯れている時間はない。――仕事が控えているのでね」


「行かせると思うか? 何を企んでいるか知らないが、ヌールの街には手は出させない」


 間違いなくこの男はよからぬことを考えている。そしてそれは、彼の先の発言も合わせると、ヌールの街に被害をもたらすものであろう。


 ここで男を逃すわけにはいかない、エルキュールは攻撃の構えをとる。


 魔法は弾かれてしまったが、直接攻撃ならば効果があるかもしれない。

 エルキュールは瞬時に男の間合いを詰め、体の回転を乗せたハルバードによる一撃を繰り出す。


「――無駄だ」


 渾身の一撃は男に届くことはなく、彼が翳した右手の先の中空で不自然に止まった。

 先ほどエルキュールの魔法を防いだ術と同じく、盾らしきものは何もない。

 しかし、エルキュールがどれだけ力を込めても刃は静止したまま動かない。


 魔法による攻撃と同様の結果だが、一つだけ先ほどと異なる点がある。


 ここまで接近し魔素感覚を研ぎ澄ませることによって、エルキュールは刃とそれが触れている空間との間に、微かな黒い魔素が煌めくのを見た。


「くっ……これは……」


「ほう、見えるかね? この術はヴォイドシールド――私の得意とする魔法の一つだ……中々のものだろう?」


 得意げに言う男がそのまま手を右に払うと、ハルバードごとエルキュールの身体を吹き飛んだ。


「ぐはっ――!」


「エルキュール!」


 壁にたたきつけられたエルキュールのもとにグレンが駆け寄り、庇うように男との間に割って入る。


「……大丈夫だ、それにしてもあの魔法は……一体」


 身体を起こしながらエルキュールは男を睨みつける。


 先ほどの魔法はエルキュールが目にしたどの魔法書にも記述されていないものだ。使役された魔素から、闇魔法だということは辛うじて理解できるが、詳しい仕組みに関しては依然として分からないままだ。


「……一人じゃヤツに敵わねえ、オレが先に仕掛ける。お前はその隙に背後をとれ」


 小さな声でエルキュールに告げると、手にした大剣に炎を纏わせ男に向かって剣を振るおうとする。


 だがその瞬間、


 ――グレンの行動を前に、何故だかローブの奥で男が微かに冷笑を浮かべたような気がしてならなかったからだ。


 無論、エルキュールからはローブの内の男の顔は見えない。ならばそれは、ここに至るまでにエルキュールの心のうちに燻っていた不安が見せた幻覚だろうか。


 疑念に駆られて、エルキュールの思考は加速してゆき、時の流れが遅くなったような錯覚すら覚える。


 元々ここに来たのは魔獣とアマルティアに関する手掛かりを見つけるためだったが、周辺の林とは対照的に、この遺跡においてはその痕跡は不自然なほど見当たらなかった。


 加えて、この男はエルキュールらの尾行に気が付いていた。いつからそうだったかは知らないが、気づいていたのならどうして何の対策もせずここまで知らぬふりをしてきたのか。


 そして極めつけに、男が使用してきた未知の魔法。


 未知といえば、北ヌール平原の魔獣に刻まれていた物も、魔法書には記載されていない未知のものだった。


 諸々の要素に、朧気ながらも線が引かれていく感覚がエルキュールにはあった。


「っ、危ない!」


「お、おい――」


 確証はなかったが、自身を襲った不吉な予感に身を任せ、エルキュールはグレンの腕を取り、後方へに思い切り引っ張った。


 出端を挫かれたグレンが、エルキュールの行動の意図が分からず抗議を上げようとしたが、その声が空気を震わすことはなかった。



 ――突如として、天井が崩落し巨大な影が部屋に落下してきたのだ。


 耳を劈くほどの爆音と、広い部屋のほぼ全域を満たすほどの大量の土煙を伴いながら落ちてきたのは、エルキュールたちの何倍もの大きさを誇る巨大な大蛇である。


「なあっ!?」


 急に引っ張られたため、間抜けな格好で素っ頓狂な叫びをあげるグレン。エルキュールが彼の腕を引かなければ、今頃は大蛇の下敷きになって息絶えていただろう。


 嫌な予感こそ感じていたが、まさか頭上から大蛇が降ってくるとは。エルキュールも驚きを露わにする。


「シャアアァァァ!!」


 エルキュールらと男との間に降りてきた大蛇は、二人を威嚇するように鳴き声を上げた。


 その体の表面には緋色と黒色の鱗が瓦状に広がり、毒々しいコントラストを生み出している。


 それだけならリーベの蛇だとも考えられなくもなかったが、その体のあちこちが、物質が削り取られたように消失しており、その隙間を埋めるように覆った紫の魔素質がゆらゆらと光を放っている。


 それは、この大蛇が魔獣であることの証左であった。


「……ふむ、よく気づいたな。そのまま潰れてくれていたら手間も省けたのだが」


 大蛇の後ろの陰に隠れた男が二人に賞賛の声をかけた。


「なんでいきなり魔獣が――」


 体勢を立て直しながら困惑するグレンだったが、その顔はすぐに確信めいたものに変わる。


「ああ、あの男が意図的にこのタイミングで魔獣を呼び寄せたんだ」


 グレンの思考を代弁するように、エルキュールは大蛇魔獣と男を見据えて言った。


 遺跡内部に魔獣の姿が見えなかったのは、この男が意図的に隠していたからだった。

 その隠し場所は二人が無視した上階であったため、エルキュールもここまで気づくことができなかったのである。


 だが、そんな予想外の出来事よりも無視できない事実があった。


「魔獣を操る能力……やはりアマルティアの者だったか」


 その事実はエルキュールの視線を鋭いものに変容させた。


 現に目の前に現れた大蛇は、こちらを威嚇こそするものの襲ってくる気配は見せなかった。


 通常の魔獣ならそんなことはあり得ない。目の前に現れた敵を襲い、汚染するのが魔獣の性だ。


 つまり、魔獣の行動に男が関与していることは明らかだった。


「別れの挨拶として、その通りだということを教えておこう。……さて、本来ならこの後に役立ってもらう予定だったが、仕方あるまい」


 自身がアマルティアに関係することを認めると、男は残念そうな声色で大蛇の方に手を伸ばした。


「そういうわけだ。しっかり働いてくれたまえ、シュガール」


「……シ、シシャアアアァァァ!!」


 男の手の先から怪しげなもやのようなものが発せられ、シュガールと呼ばれた大蛇を包み込んだ。それに包まれた途端にシュガールは凶暴性を増し、けたたましい鳴き声を上げた。


「うおっ!? 急に暴れやがったぞ!?」


 シュガールの豹変にグレンは戸惑いながら剣を構えた。だが、エルキュールの目はその奥の男に依然として向けられていた。


 男はこの場を魔獣に任せ、今度こそ離脱するつもりのようだ。その手に闇の魔素が集約する。


「……っ、待て!」


「ああ、。――彼の地で」


 二度目のゲートによる転移。それを阻止しようというエルキュールの試みは、シュガールの牽制によって打ち砕かれる。


「ちっ――」


 薙ぎ払われた尾を後方に跳んで回避する。男は完全に姿を消し、この場にはエルキュールとグレン、大蛇のシュガールのみが残されることとなった。


 去り際の男の言葉に若干の引っ掛かりを覚えたが、それ以上に男を逃してしまった事実に、エルキュールは珍しく苛立ちを露わにする。


 魔獣に背を向けるのは自殺行為に等しい、この場で討伐しなくてはならないだろう。その間にあの男が何をしでかすのかと思うと、気が触れそうだったが。


「焦るな、エルキュール! とっととこのデカブツをぶちのめしてあの野郎に追いつくぞ!」


「――分かっている。こんなところで時間をとられるわけにはいかない」


 グレンに倣い、エルキュールは武器を構えた。その琥珀の瞳にはかつてない程の闘争の意志が漲っていた。


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