第1章 50 屋敷との別れ

 スカーレットとブリジットはスカーレットの部屋で最後の夜を過ごしていた。いよいよ明日、2人はチェスター侯爵のいる『ミュゼ』に出発するのだ。もうこの屋敷に残る使用人はブリジットただ1人であったが、それも今夜までの話だ。


「ブリジット・・・この屋敷は・・一体どうなってしまうのかしら・・。」


スカーレットは窓の外から暗い林を見つめていた。この林の奥には湖が広がり、美しい公園がある。そしてその景色を見るのも恐らく明日の朝で最後だろうとスカーレットは思っていた。


「スカーレット様・・お休みにならないのですか?明日の7時には辻馬車の迎えが来るのですよ?」


「ええ・・そうね。そろそろ寝ないとね。」


朝7時―


何故このように早い時間に出発するか・・それは全ての使用人はこの屋敷を去り、朝食を用意する使用人はもう1人も屋敷には残っていないからだ。なので2人は早めにこの屋敷を出て駅前のレストランで朝食を取る事にしていたのである。


「もう荷物のほとんどはチェスター家に送らせて頂いておりますし・・明日は身軽な旅になりますよ。」


ブリジットの声を背中で聞きながら、スカーレットはこの屋敷で過ごした19年間を思い描いていた。


「ブリジット・・・私はもう二度とこの屋敷に戻ってこれないのかしら・・・。」


するとブリジットは言う。


「何を言うのですか?スカーレット様。絶対にそのような事はあるはずはございません。お忘れですか?ヴィクトール様の事を・・・そしてグスタフ様の事を。」


「いいえ・・・忘れていないわ。」


「あのお2人はリヒャルト様の死を信じてはおりません。勿論私もです。絶対にあのアグネスという女が何か小細工をしたに決まっています。なので・・希望を持って待ちましょう。そしてスカーレット様はチェスター家で・・生きていくのです。勿論私も一緒ですから・・・。」


「そうね・・・ありがとう、ブリジット。」


スカーレットはブリジットの手を握りしめ・・自分に言い聞かせた。


(そう・・これで終わりではないわ・・。私は必ずいつかこの屋敷へ・・戻ってみせるわ・・・!)



 


****


 翌朝、ブリジットとスカーレットは少しの手荷物だけを持ち、迎えにやって来た馬車に乗り・・・19年間暮らしてきた屋敷を去って行った。その様子を窓から眺めていたのはアグネスとエーリカだった。2人は悔しそうに馬車を見送るとエーリカが言った。


「どうしてよ・・どうしてスカーレットを追い払って、この屋敷に残った私達の方が惨めな思いをしなくちゃならないのよっ!」


昨日から何も食べ物を口にしておらず、飢えでイライラしていたエーリカは母であるアグネスを睨み付けた。


「おだまりっ!誰のおかげで爵位を手に入れられたと思っているんだいっ!」


「うるさいわねっ!使用人全員に逃げられ・・誰もいない屋敷に住んでいても幸せなんて言えるはずないでしょうっ?!おまけに・・アンドレアは・・とうとうこの屋敷を出て行ってしまったじゃないのっ!それもこれもあんたが使用人が全員出て行くような傲慢な態度を取ったからよっ!」


「黙れっ!男1人、満足につなぎ留めておくことも出来ない小娘のくせに・・・生意気な口を叩くんじゃないよっ!」


母娘の不毛な言い争いはその後、弁護士が尋ねてくるまで続くのだった―。

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