第百一話

 右頬を伝う血と傷口の熱が必要のない焦りをクレアに感じさせる。

 長く戦ってはいけない、とクレアの思考は警鐘を鳴らすが彼女の体はそれに上手く応えてくれない。何も彼女が攻撃ができていないという訳では無い。幾度となく繰り返される鍔迫り合いの中で彼女はレイピアの特性を生かした反撃を何度も繰り出している。それでもそれが少年に付けられたのはかすり傷適度。そんな状況が彼女の焦燥感を駆り立てているのは間違いない。

 目の前で剣を振るう少年はソフィアのように大胆不敵ではなくラクスラインのような剛腕剛撃でもない。ただ、クレアに迫り来る剣は彼女が最も嫌う雰囲気を纏っていた。言葉を交わすことも無くただ淡々と繰り出される一閃には輝きも驚きもない。しかしそれは確実にクレアのことを追い詰めていた。


(苦手すぎる……)


 強く唇を噛み剣を受け流すクレアであったが実際彼女と少年の実力は特別乖離しているという訳では無い。こと場合によってはクレアに軍杯が上がる。実際今回もに戦っていたのならそれは確実に彼女に傾いていた。追い込まれているという焦りと得体の知れない不安が彼女の動きと判断を鈍らせている。


(何の変哲もないごく普通のグレイラットの剣術。試合が始まってから彼は何一つ特別なことをしていないはずなのに。魔法を使うことなくただ純粋に自分の剣の間合いで戦っている。それなのに……ううん、だからこそ? だからこそ私では隙を見つけられないの?)


 僅かに見えたクレアの心の乱れ、その隙につけ込むように少年の刃が彼女の首へと吸い込まれていく。いまさっき剣を弾いたレイピアではどんなに早く引き戻しても彼の剣を防ぐことは出来ない。

 静かに目を閉じたクレアは諦めたようにため息をついた。


「風よ」


 クレアの小さなの呟き、それに答えるようにクレアの体が風を纏う。あと数ミリでクレアの首に刃が当たろうかというところで少年の剣は不自然に弾かれる。思いもよらない自分の剣の軌道に引っ張られて初めて明確な隙を見せる少年。その腹部にクレアが左手を添えると次の瞬間彼の体は空中へと弾き飛ばされる。


「本当は使いたくは無かったんだけど……そんなことを言ってる余裕もないみたいだからね。突風よ」


 僅かな呻き声と共に着地した少年にクレアは追撃を加える。

 彼女の呼び声でレイピアが風を纏い突き出された突風が地面を削る。間一髪身をひるがえした少年の顔が初めて驚愕に染まる。そしてそれは彼だけではなかった。周りで観戦していた生徒はもちろんのことソフィアさえも、さらにレギウスも中途半端に右手をあげて固まっている。


「この際だから、手加減なんてしないよ───旋風よ」

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