第八十四話

「ヘレナ、体調はもう大丈夫なのか。何なら救護所まで連れていくが」


 ぞろぞろとペアを求めて動きまわる生徒たちの間を綺麗に縫ってミシェルは一直線にヘレナの下へとやってきた。


「もう平気です。手足の震えもなくなりましたし脱力感も感じませんから」


「そうか、なら少し手伝ってもらっていいか」


 スッと距離を詰めヘレナの耳元で何かを囁くミシェル。「構いませんけど……」、小声で返すヘレナに小さく頷いたミシェルは手招きする。

 その時ミシェルが浮かべた笑みにヘレナの顔は引きつる。あまりにも彼女の印象からかけ離れたその笑顔に思わずヘレナは身震いする。僅かに後退りするが時すでに遅かった、素早く伸ばされたミシェルの両腕が容赦なくヘレナの両肩を掴む。


「そういうことだから、少しばかりヘレナを貸してもらうぞ」


 二人の返事を待つよりも早くミシェルは浮足でその場を後にする。まるで悪魔に連れ去られるがごとく生気のなくなったヘレナの顔を見て呆然とする二人。

 それをよそに闘技場ではレギウスによって再び号令がかけられる。


「よぉし、とりあえずは分かれたな。とりあえずはみんなこの木剣を持って型の練習からだ、今はそれで十分だ。あぁ、そこの嬢ちゃんと大剣の野郎は自由にしてていいぞ、正直俺から教えることは多くないからな。基礎の反復なんてやり過ぎて面白味なんてないだろう。さぁ、散った散った」


 文句や期待の声が飛び交う中でレギウスが生徒に一つ一つの型を歩き回りながら教えていく。


「だって、ソフィアちゃん。どうするの?」


 ソフィアの分も含めて二本の木剣を持ってきたクレアはその一本を差し出しながらソフィアに問いかける。

 一言お礼を言ってソフィアは静かに木剣を構える。


「ん? 普通に練習しますよ。教えることないって言われてもそれでもあの人には勝てなかったんですから、何よりこんな所で止まってたら簡単に追い抜かれちゃいますから。これだけは私が唯一自信を持って自慢できることなんですから」


 力強く素振りをするソフィアを片目にクレアは視線を落とす。


「ねぇ、ソフィアちゃん。さっきのヘレナちゃんすごく怖かったんだけど私何か怒らせることしちゃったのかな?」


「うーん、ヘレナは怒ってないと思いますよ。というか私はヘレナが怒るところを一度くらい見たことないです。機嫌が悪いところは見たことありますけどさっきの様子はそれとは違いましたから…………あれ?」


 話しているうちにソフィアは何かに気が付いたようだった。

 それまでよどみのなかったソフィアの木剣が動きを止めて彼女は困ったようにクレアの顔を見上げる。


「てことは、やっぱりヘレナは怒っていたのでしょうか?」


 きょとんと首を傾げるソフィア。その可愛さに一瞬心を奪われかけたクレアであったがすぐにどうしたものかと頭を抱える。


「……だったら最悪だよ、嫌われちゃったかな。折角仲良くなれたと思ったのに、どうしよう、いやなんにしても最初はやっぱり謝らないと駄目だよね。お詫びの品を……でももし受け取ってもらえなかったら……そもそも、私なんでヘレナちゃんに怒られてるの?」

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