第一章 紅の瞳の吸血鬼
第一章 1 人間は未知を恐れるもの
ゆっくりと目を開ける。
少し頭が痛くて、周りの景色をしっかりと見るまでには時間がかかったけど、やがて意識もはっきりしてきて、その様子を見ることができた。
わたしの普段住んでいる家とは比べ物にならないほどの高い天井に、やけにふかふかとしたベッドと布団。
そこにどうやら寝かされていたようだった。
「えーっと…ここは……?」
記憶を辿ろうとしても、こんな場所に全く覚えはない。着ている服は制服のいつものブレザーだったけど、何でこんなところで制服のまま寝ていたんだろう…?
どうしていいかわからず困惑していると、わたしの方に近づく足音が聞こえてきた。もしかしてこの部屋の住人だろうか。
ドアを開けて、部屋に入ってきたその人は、そのままベッドから半身を起き上がらせたわたしの方に近づいてくる。
歳はわたしより少しだけ上だろうか?この世のものとは思えない真っ赤な色をした髪と、吸い込まれそうな赤い瞳。
どこからどう見ても美しい女性だった。
「…目は覚めたかしら?」
わたしの顔を覗き込むようにして、女性は近付いてくる。ち、近い…!声までとても綺麗で、聞いていただけで惹かれてしまいそうだ。
「は、はい!」
「…意識ははっきりしているようね」
思わず上ずった声をあげてしまうわたしに対しても、何も言わずに冷静に受け答えをする。
勿論、こんな綺麗な人に見覚えはない。この人をどこかで見たことがあったか、記憶を手繰る。確か昨日は……。
「……はぁっ、はぁっ」
思い出そうとして、あの嫌なショックが頭の中を駆け巡る。何かに刺されて、そのまま死んでしまいそうに……
「無理もないわ。それだけショックな出来事だったのでしょう?」
気が付くと、大粒の脂汗を流しながら荒い呼吸をしていたわたしを、女性が背中を撫でながら慰めてくれていた。
「えっと……あなたは一体?」
「私はカメリア。あなたたちにわかりやすいように言うのであれば―――」
「吸血鬼、よ。」
吸血鬼。伝承や物語でしか見たことがない存在。
その存在なのだと、彼女はそう名乗っていたのだ。
「……驚くのも無理はないわね。あなたたちの間では私たち吸血鬼は空想の存在。そういうことになっているんですもの」
「そういうことになっている…んですか?」
「まず……これを見てもらえればわかるかしら」
疑問に思っているわたしに対し、彼女…カメリアさんは口の左端を開いて見せた。
そこには、彼女の美しい顔からは想像もできないような、大きな犬歯が覗いていた。ただ犬歯が長いというだけにしては、あまりにも長すぎる歯。その用途は、吸血鬼を空想の存在としか知らないわたしにも容易に想像がついた。
「……やっぱり、本当に吸血鬼なんですね」
「あら、随分と物わかりが早いのね。それに、この歯を見ても恐がりもしないだなんて」
「わざわざ見せてくれたということは、わたしのことを信頼してるということだと思うんです。それに……カメリアさんからはあんまり怖い感じがしないんです」
実際のところ、これは建前だ。吸血鬼だと名乗られて彼女に"興味が湧いてしまった"というのが本音だった。
空想の存在かもしれない相手に会えて、少し舞い上がっているんだろう。けれど、そんなことを面と向かって言うのは、流石に憚られたのだ。
だが、カメリアさんの反応は意外なものだった。
「あなた……それは真意じゃないでしょう?」
「えっ!?」
思わず面食らってしまった。顔に出ていたのだろうか?
「別に責めているわけではないわ。ただ…もし先程のあなたの台詞がただの建前だとしたら…少し傷ついてしまうかもしれないもの」
カメリアさんは髪を弄りながら、ちょっと意地悪なことを言う。無論、ただの建前というわけではない。けれど…そんなことを言われてしまったら……
「はい、実は…吸血鬼という存在そのものに、少し興味がありまして」
正直に言うと、カメリアさんは髪を弄るのを止めて少し驚いた様子を見せた。
「興味……?」
「はい!わたし、そういうのファンタジーとか空想だけのものだと思ってまして、正直吸血鬼に会えたっていうだけでもすごく嬉しいんですけどっ…!あ、そういえばよくある吸血鬼は陽の光が苦手とかもしかして本当だったり」
その様子がちょっと面白くて、ついつい言葉が止まらなくなってしまった。
「あの、ちょっと……!」
「あ、ごめんなさい…!」
カメリアさんから「ストップ」のジェスチャーが出て、ようやく我に返る。
「いえ…いいのよ。ちなみに、吸血鬼が日光が苦手という話は単なる俗説だわ。人間が吸血鬼を恐れるあまり、弱点を無理に作ろうとしただけに過ぎない。」
カメリアさんはもう一度向き直り、話を始める。手は髪にかけているけれど、髪を弄り始めはしなかった。
「人間は未知を恐れるもの。それはいつの時代の人間だって変わらないわ。……けれど、あなたは少し変わっているようね」
彼女がわたしの方を見る。その赤い目はとても美しくて、直視しているとどうしようもなく魅了されてしまう程だった。
「あなたからは"未知"への恐れを感じない。不思議なほどにね。」
言っている意味はよくわからなかった。未知への恐れ……その感覚そのものは理解できる。けれど、それ以上に……
カメリアさんからは、どこか懐かしい雰囲気を覚えていたのだ。
彼女とはもちろん初対面だ。こんなに美しい女性に前々から出会っていたのであれば、記憶に残らない方がおかしいだろう。会ったのがもし物心ついてすぐだったとしても、その顔を忘れることはきっとないはずだ。
目の前の"吸血鬼"と名乗っていた女性は、それほどまでに美しかったのだから。
「やっぱり…あなたでよかった。もしかしたら……あなたが」
「?」
「何でもないわ。こっちの話よ」
カメリアさんは俯いて、小声で何かを話していた。
上手く聞き取れなかったけれど、その顔はどこか嬉しそうに見えた。
「そうだ…学校行かなきゃ!」
ふと思い出す。そういえば今は何日なんだろう。
「それに…わたしの荷物は……」
「学校……?ああ、あなた。学生だものね。荷物ならここで預かっているから、学校に行くの自体は問題ないはずよ。」
カメリアさんが荷物を取りに部屋を出る。その間に、窓から景色を覗いてみた。ここはものすごく高いところだったのか、広い街の風景がすごく小さく見えた。自分の部屋から見る景色とは大きく違っていて、まるで見たことのない景色。
……本当にここはどこなのだろう。ふと不安がよぎる。そんなことを考えているとカメリアさんが戻ってきた。
「これ、あなたの荷物でしょう?ああ、心配しないで。中身は何も見ていないから。」
不安を察したのかそう伝えてくれたけれど、そうじゃない……!少しもどかしい気持ちになるけれど、それをわざわざ伝えるのにはまだまだ少し勇気が必要だった。
「えっと……」
カバンからスマートフォンを取り出す。そこに表示されていた時間は……
2020年 6月12日 8時07分
「あの……もしかしてわたしって3日も……」
カメリアさんの方を、おそるおそる見た。彼女はその美しい髪から手を離し、わたしの方をしっかりと見ていた。
「そう。ずっと眠っていたのよ。」
途切れていた最後の記憶は、昨日の記憶ではなかった。そう、3日前の記憶だったのだ。
「大丈夫よ。事故処理はきちんとしておいたから。」
「あの……それ以前にその……わたし……どうなったんですか……!?」
「どうとは?」
気づけば、はっきりと思い出していた。昨日……だと思っていた、実際は3日前に起きた出来事。
自分は何者かに帰り道で襲撃され、身体を何度も刺されてしまったこと。そして確かに、死んでしまったのだろうということを自分で実感していたこと。
「……あなたは吸血鬼として生き返ったのよ。死にそうになっていたあなたに、私の血を分け与えたの。」
あまりにも、現実感がなくて。何か変な夢でも見ているような気分だった。
「そういえば、あなたの名前を聞いていなかったわね。」
「…咲坂、芽衣」
「メイ。……そう。いい名前だわ。」
その言葉を最後に、わたしは彼女のいた部屋を後にした。
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