機械老兵はデジタル兎を視覚野に追うか
「球体の摩耗はどうしようもないですよ。可動範囲で生活しましょう」
療法士機械が股関節を点検している。患者は全交換を望んでいるが介護保険法が禁じている。かたちあるものは朽ちるままに、さもなくば支給制度が破綻する。
頭で判っていても介護職たる私の良心が疼く。「もうすぐお別れ会が始まりますが」
高畑に促されてレクレーションに参加する事にした。軌道特養ほほえみでは稼働不能に陥った利用者を定期的に見送る。「こんな格好で参列しろというの?せめてスラックスはないのかしら?」
私がビキニに羽織ったままの裾を気にすると高畑は肩をすくめた。「生身の女子職員は常駐しておりませんので。それにズボンの類は利用者の無限軌道に絡んだり裂けたりする危険がありまして…」
節足動物にデリカシーを感じる回路はないのか。排泄介助や清拭を排すると羞恥心も廃れるらしい。高畑はツルンツルの金属ボディだ。仕方なく、隅っこに脚を閉じて掛けた。明朗快活な音楽に乗ってストレッチャーが入場した。応急処置の甲斐なく意識のサルベージに失敗した機械人たちだ。虚ろなカメラアイに参列者を映している。
「停止者、前川様、田島様の御出立です。皆さん、明るくお歌を捧げましょう」
機械ケアマネの奈良橋が頭部スピーカーで告げる。長老格がパタンポトンと間抜けたアームを打ち鳴らし、片輪の箱型や筒が転がり、めいめいの機械音を奏でる。「兎、追いし♪」
昔懐かしいPSG音源に合わせて不揃いな霊歌が供される。
「あれはお嬢さんのお友達かね」
台湾解放戦争の帰還兵だという機械が義肢で指した。
「蘇生に失敗した人をお皿にのせないで!」
咄嗟に飛びかかる。コートが全開になるが構わない。件の機械が即座に足払いを書け、私は転倒した。
「お嬢さん、何を怖がっとるのかね。怒りは禁物じゃ」
「尊厳を蔑ろにする皆さんこそ怖いです」
すると機械兵は傾いだ。「尊厳?霊的尊厳なら充分に保たれとる。君は介護職だろう」
「どこがですか?」
私は顔を赤らめつつ両脚を閉じた。視線の一つぐらい這わせてみせてよ、破廉恥機械。
「皆、焼かれて塵になる。大和は国のまほろば、風が運んでくれる。誉じゃ」
「答えになってませんね!貴方は台湾でなぜ闘い、誰を失い、何を護ったのですか」
すると機械は飄々と述べた。「怨念だよ。敵愾心と闘い、憤怒を失い、怒気を護った。適度な怒りは必須栄養素だ。生活意欲を促す。それ以上はいかん」
「これが貴方の守った日本だというの?」
「ああ、怒りが国を亡ぼす、世界を滅する。だから私はここで『人死に』に対する怒りと闘うておるのじゃ」
「まぁまぁ」
高畑が仲裁に入った。「ちゃんとお葬式を挙げて貰えませんか」
私が懇願すると無情にも首を振った。
「積載量に余裕が無いんです」
騒いでる間に儀式が終わり、物故者達は宇宙へ射出された。利用者達は万歳三唱で余韻を楽しんでいる。喜楽な世界は健全な幸福と言えるのか。
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