第5話 風呂場でご主人さまと僕に囁いている 5


 銀河とトレアリィ、そして美也子は、銀河の家のリビングにやってきました。

 大きな窓から見える空の支配者は、赤から黒へと変わりつつあります。

 広々としたリビングには、大きな白いソファや木目調のテーブルが鎮座し、壁際には最新式の超大型液晶テレビや、ブルーレイビデオレコーダーなどが置かれていました。

 ゴミやチリの少ない木製の床です。

「じゃ、ここのソファに座ってよ」

〔はい〕

 銀河は、トレアリィをテレビに相対する長ソファへと連れてゆき、その上へ降ろしました。

 一息ついたトレアリィは、手に持っていた黒い携帯端末を、テーブルの上へ置きました。

 そのさまは、木の海を航海する船のようにも見えます。

 銀河はふたたび立ち上がると、背を伸ばしました。

「うーん、なんで僕なんかのところに彼女が来たんだろう……。何も取り柄のない平凡な人間なのに……」

 その言葉を聞き、美也子は目をじろっと銀河の方に向けました。

「『平凡な人間』です、って?」

「えっ、ミャーコはそう思わないの?」

「ちっとも思わないわよ!」

 美也子は、尖った八重歯をむき出しにして叫びました。

「勉強もスポーツもできるのはまだいいわよ! でも学校にいれば四六時中女子からモテるし! 帰りにはいつもハーレムデートしてるし! おまけに初等部の子からは『お兄ちゃん(ハート)』なんて言われまくるし! それで、何も取り柄が無いですってー!? いいかげんにしなさいよ!!」

 美也子はそう言うと、銀河の頭を一回叩きました。その叩き方は愛憎入り交っていました。

「イデデデデ……。初等部の子のことは覚えてないんだけどなあ……」

 銀河は、頭をひとつふたつ掻きました。

 彼は本当に、初等部、小学生の子のことは覚えていなかったからです。でも周りのみんなから、お前は小学生の子とよく遊んでいるよなぁ、とか、ロリコンだのペドだの言われたりしていて、腹立たしいことこの上ありません。

(全部あのアキトとか言う奴のせいなんだ。でもそう言っても信じてくれないし……)

 銀河は、ため息を一つつきました。それから、トレアリィの方を向いて尋ねます。

「なんか飲みたいものとか、食べたいものでもある?」

〔はい……。フードパックでもあれば……〕

「フードパック?」

『あっしらグライス人の宇宙食でやんすよ』

 その時です。どこからともなく、トレアリィとは違う、若い女性の声があたりに響き渡りました。知的ですが、妙な訛りがあります。

 銀河は顔を上げ、あたりを見回します。

 彼は、一度見た映画をもう一度見たような思いにかられました。

「また?」

 そのつぶやきと同時に、トレアリィの携帯端末から、青く小さなクリスタルが空中に飛び出しました。一三〇センチほどの高さの宙に浮いたクリスタルの周囲を、青白い光が包み、メイド姿の女性を形作ります。

「うわ、スマホからなぜかメイドが!」

 美也子は目をまんまるにしながら、感想を漏らしました。

 年齢は二十代前半ぐらい。頭には、白いヘッドドレスをかぶり、長い青髪を背中でリボンでまとめています。

 顔は、大人びて落ち着いて整った顔立ち。

 服は、青色のエプロンドレス姿の、女性です。誰がどこから見ても、立派なメイドです。

 そのメイドが、ちょっと見下すような表情で言いました。

 クールというよりは家庭的な、落ち着いた表情の女性です。

「どうやら、あんたらはまだ料理しているみたいでやんすね。……まあ、それはいいでやんすが」

「……なによその物言いは!? それより、あんた誰よ!?」

「あっしは侍女のディディでやんす。御方、トレアリィ姫様のお世話をしているでやんす。以後よろしくでやんす」

 ディディの自己紹介を聞いた瞬間、美也子は、はぁ? という表情をしました。

 彼女の顔は、漫才のツッコミ役のようです。

「『あっし』に『やんす』……。どこの三下よっ!? それになんで宇宙人なのにメイド!?」

「ふむ、言語設定がおかしいでやんすか……。まだ翻訳の精度が甘いでやんすね」

「機械のせいにすんなっ!」

「あっしは機械ではなく、人工生命体でやんす。それにこの格好はグライスの侍女の標準的な服装でやんす。未開惑星でも、侍女はこういう格好なんでやんすね」

「……」

 見事な切り返しです。美也子には返す言葉もありませんでした。

 それでも美也子は、小さな声で、

「機械の中にいたんだから機械じゃん……」

 とつぶやきました。あたしは負けてないわよ、という風な顔で。

〔それはともかくディディ〕

 そんな二人のやりとりに、トレアリィが割って入りました。

 その声色には、頼みごとの色がありました。

〔この者達に、ナノコミュニケーターを塗ってあげなさい〕

「了解したでやんす。姫様」

 彼女は、メイド服のポケットからどろっとした緑色の液体を取り出しました。

 そのさまはおもちゃのスライムのようにも思えました。

 彼女は美也子に近づき、彼女の右耳にそれをつけた指を近づけます。

「ちょ、なにすんのよ……!?」

「そこのあんさん、我慢するでやんす。そうすれば便利になるでやんすからね」

「な、何が便利にっ……!?」

 そして、右耳の近くにその液体を塗りたくりました。その液体は、皮膚に一体化するように溶けこんでいきます。そこになにもなかったかのように。

「み、耳に染みるじゃない!?」

 同じように、左耳の近くにもその液体を塗ります。

 さっきと同じように、その液体はすぐに溶けこんでいきました。

 しばらくして、トレアリィが美也子に呼びかけました。電話をかけた時のように。

「……聞こえますか? そこのお嬢様」

「え……? この宇宙人が何を言ってるのか、あたしにもわかる……?」

 その瞬間、美也子は目を見開きました。

 そうです。テレパシーをもっていない美也子にも、言葉が通じるようになったのです! 

 これが一体何なのかというと。ディディが言葉を継ぎます。

「これがナノマシン製の高性能翻訳機≪コミュニケーター≫でやんす」

「コミュニケーター……?」

 コミュニケーター。

 それは、自分が発した言葉や、相手の言葉を翻訳する翻訳機です。データベースに登録された言語だけでなく、脳波を調べることによって、未知の言語もすぐに翻訳できるのです。

 ナノマシンとは、「微小機械」とも言い、かなり小さい機械が集まり、様々な機能を発揮する機械のことです。そしてコミュニケーターも、そんなナノマシンで構成された道具なのです。

 そんなディディの説明を聞いた美也子は、わかったわ、と一つ言うと、

「そう言えば、あんた今いきなり現れてから日本語話してたわよね? どうして?」

「あっしらがこの星系に到着してから、しばらく電波を拾ったり、電子的ネットワークに接続して翻訳準備中だったからでやんすね。……さて、この男にも塗るでやんす」

 銀河の両耳にも、コミュニケーターをディディが塗ると、銀河もテレパシーを使わずに、トレアリィの言葉がわかるようになりました。

 美也子は、銀河に嬉しそうな声で言いました。素敵なプレゼントを貰ったような顔です。

「これ便利ねー。外人とも話したい放題ね!」

「嫌なことまで聞こえるけどね」

「余計なこと言わないでよ……」

 銀河の言葉に、美也子はすがすがしいまでに嫌な顔をしました。

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