第6話 秘密のおまじない

 バイクを買った。

 買ったばかりで無茶かもしれないけど、いきなり遠出してみることにした。

 とりあえず新潟方面に向かってみた。大事なのは目的地ではなくて、『走ること』そのものだからだ。

 家を出る時、母が「近場にしときなさいよ」と言っていた。わからなくもない。免許取りたて、バイク買ったばかり、ろくに何度も乗ってないのにいきなり遠出するんだから。

 長野の自宅から国道117号を使って千曲川沿いに新潟へ向かう。面白いことに、千曲川は新潟県に入ると信濃川と名前を変える。私も新潟県に入ったら別の私になる。きっと。


 地味な性格で小学校からずっと存在感がなかった。中学でも高校でもモブみたいな存在だったから、当然彼氏だっていないし、いたこともない。 

 短大時代に教習所に通って、卒業と同時に免許を取った。なぜ二輪免許を取ろうと思ったのかは自分でもわからない。ただ、バイクに乗れたら風になれるような気がしたのは事実だ。

 バイクの免許を取ったはいいが、先立つものが無くてマシンが買えなかった。四月に入社してから四か月分のお給料を全額注ぎ込んで250㏄のヴィンテージボバーを手に入れた。


 川沿いを走るのは気持ちがいい。八月の炎天下にバイクに乗るなんて頭おかしいんじゃないのかと母は言うけど、そんなの全然関係ない。セミの声を聞き川の流れを近くに感じると、自分も自然の一部だと実感がわく。

 少し走ると民家の立ち並ぶ町に出た。津南町だ。

 ここまで来ると117号沿いは普通の街中と変わらない、せっかくなので左に逸れて国道405号に向かう。こっちは思い切り山の中を通るルートだ。

 入ってすぐにワインディングロード。こういうのを待っていた。

 山の中は気温が低いように感じる。木で日陰ができるせいもあるだろうが、植物の生えるところは温度も下がる。日光を反射するものがなく、全て吸収してくれるからだ。


 昨日は客先にお詫びに行った。上司と二人で。私のミスで取引先に迷惑をかけてしまったのだ。

 帰り道、上司に「昼飯を食おう」と誘われた。とても食欲なんか無かったけど、黙ってついて行った。

 蕎麦をすすりながら、上司はカラリと言った。

「新人なんか何やったって許されるんだ、今のうちにたくさん失敗しとけよ」

「失敗なんてしない方がいいに決まってます」

「なーに言ってんだ。一年目にどれだけたくさん失敗するかで後が決まるんだ。二年目からは失敗が許されないんだから、今のうちにたくさん失敗してたくさん恥をかいて仕事を覚えたらいい。最初っから完璧な人間なんか居ない」

 上司はそう言ってズゾゾって蕎麦をすすった。

「一人前になるのを急ぐな。のんびりしろ、のんびり」

 のんびりって言われても。

 いい先輩に恵まれたからこそ、自分のダメさ加減が嫌になる。

 だけど来年からは私が先輩として新人を指導しなくちゃならないんだ。めげてばかりいられない。


 だからこそ、こうしてリセットする時間が必要なんだ。山の空気を吸って、川のせせらぎを聞いて、鳥の鳴き声に返事をして。


 国道405号はそのまま行くと上越の方に出てしまうので、途中で右に逸れる。松之山を通過して、国道353号は山と棚田の中を走る。

 相変わらずのぐにゃぐにゃ道を通っていると加速が鈍くなったような気がした。ふと見るとオーバーヒートの警告ランプが点灯している。

 これはまずい。

 バイクを日陰に停めて休んでいると、畑仕事から戻る途中のお婆ちゃんに声をかけられた。

「どーしなしたね」

「バイクがオーバーヒートしちゃって。少し休ませてるんです」

「そら豪儀らのぉ。うちぃ寄ってがっしゃい」

 どうやら家で休んで行けということらしい。素直に甘えることにして、お婆ちゃんの後についてバイクを押した。

 縁側で休ませて貰っていると、冷たい麦茶と小茄子の漬物を持って来てくれた。

「おめさんどっから来なしたね」

「長野です」

「へーえ、そーいんだけぇ。おらちもなんだこんだ、あんにゃもおじも旅出たっきゃ、なーしてがろっかねぇ(※)」

 目の前に茄子のお皿が差し出された。

「おらちで漬けたんだども、食べてみてくんなせや。どんがだろっかの?」

 お婆ちゃんの言葉は初めて聞く言葉だけど、なんとなく通じた。耳じゃなくて体で理解したような不思議な感じがした。

「おいしい!」

「そらいかった。じょんのびしてがっしゃい」

「じょんのび?」

「のんびりってことだよぉ」

 お婆ちゃんがカラカラと笑った。『のんびり』か。ここでも言われちゃった……私もつられて笑った。

 しばらくお喋りして、バイクの機嫌が直ったのを見計らってその家を後にした。お婆ちゃんの「気ぃ付けてがっしゃい」という声に見送られながら。


 再びバイクで風を切る。上司の声が頭に響く。

「一人前になるのを急ぐな。のんびりしろ、のんびり」


 そうだ、私の秘密のおまじないにしよう。

 ――じょんのび。










※うちもどうしたことかお兄ちゃんも弟も(つまり息子二人)都会に出てしまったけれど、どうしているだろうか

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