ホモ・モノリス物語

明弓ヒロ(AKARI hiro)

41259年 古の結婚式

「ミラのところにも、結婚式の招待状きた?」

 瞑想をしようと座禅を組んでいると、イライジャが話しかけてきた。


「ええ、私のところにも来たよ。いったい、どんなふうだったんだろう。サピエンスの結婚式って」

 古代史のアーカイブでは、一部の有力者を除き、サピエンスは一夫一妻制だったということだ。男性のサピエンスと女性のサピエンスが夫婦となり独立した家庭を築き、自然出産して子どもを育てていた。

 私たちもサピエンス直系の子孫であることには間違いないが、互いの幹細胞で人工授精し、人工子宮で子どもを出産するようになったホモ・モノリスとホモ・サピエンスでは生態が全く違っている。寿命が尽きるまでの約800年を特定の一人をパートナーとして過ごす生活など、とても私には想像できない。


「ルチカもシファーもサピエンスの古代史研究員だから、かなり正確に再現するそうだよ。あの二人は、サピエンスを崇拝しているからね」

 イライジャが、ちょっと自分には理解できないという口ぶりで言った。


「結婚式だけでなく、その後の生活も可能な限りサピエンス式でやってくって聞いたわ。もちろん、完全にはサピエンスの生態を再現できないけど。サピエンスのように自然出産で子どもは作れないし」

「失われた真の愛情を求めてか。はたして、本当にサピエンスにそんなものがあったのか疑わしいな」

 ルチカやシファーのようにサピエンスは私たちが失った真の愛情を持っていたと考えるものもいれば、イライジャのようにそんなものは存在せず、ただの幻想、いや願望だと考えているものもいる。私も懐疑派だが、心の片隅にはそんなものが存在していたら素晴らしいという思いもある。


「男性と女性が命がけで結ばれ、女性が母体出産することで、家族間に強い絆が生まれる。一応、理論としては筋が通っているけどね」

「その論だと動物も愛情を持っていることになる。遺伝的に近い構成員を外敵から守るのはただの生物進化論的行動であり、ヒトの愛情は高度な知性に基づいているのだから、至上の愛は生物的な限界を超えたところに存在するはずだ。人為的突然変異プログラムによる人工授精と人工子宮によって生まれた子どもを共同体で育てることで、利己的遺伝子のくびきから逃れた我々の精神の方が崇高だと思うな」

 サピエンスに幻想を抱いていない、現実主義者らしい主張だ。


「それに、サピエンスの個々のパートナーシップを基盤にした愛情は、自分の親しいもの以外を排除する敵対行為と表裏一体だ。ルチカとシファーの結婚に疑問を感じているのは私だけではないと思う」

 感情表現に乏しいイライジャが、わずかに顔をしかめた。イライジャの言う通り、二人の結婚を心から喜ぶものは少数派だ。しかし、反社会的な行為というわけでもない。法的な婚姻制度自体はすでに失われて久しいが、一時的に親密なもの同士が生活を共にすることは、モノリスの世界でも珍しくはない。


「それでも、彼らは決断した。いったい何が彼らにそこまでさせるのか。彼らの結婚式に立ち会えば、その答えの片鱗を見ることができるのか。私はそれが知りたいの」

 サピエンスが滅びてからすでに3万年が経過している。滅びた種族に神秘性を感じるのはただのノスタルジーなのかもしれない。しかし、万が一、失われた真の愛情というものが本当に存在するのなら、それを確かめたい。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「これが、教会?」

「宗教によって形式は違うが、外界から隔離された閉空間に色つきのガラスや、紙などで外光を取り入れる構造は多くの宗教で共通していた。外界と物理的にはつながっているが心理的には隔離されることで、集団としての一体感を感じる効果を狙っていたんだろう」

 私とイライジャがサピエンスの教会を復元した建物に入ると、すでに数十人の招待客が先客として建物内に入っていた。キリスト教という宗教の教会だ。ドーム型の屋根には昔は天井画が描かれていたらしい。キリスト教では十文字型の木細工が重要なシンボルであり、巨大な木細工が教会中央に設置されていた。


「全知全能の神に祈る場所だ。神の代理人の前で結婚の誓いをすることで運命をともにすることを約束したらしい」

「でも、文明の初期段階ならともかく、後期段階でも神の存在をサピエンスが信じていたのはなぜなのかしら」

「神の非存在を論理では受け入れても感情的には否定できない。それがサピエンスの知的生命体としての限界だったということだろう」

 宗教という概念が、私には今一つ理解できない。これもサピエンスと私たちとの精神構造の違いが原因なのだろうか。


「皆さま、間もなくルチカとシファーの結婚式を始めます」

 奇異な服装をした人が現れた。ルチカやシファーと同じく、古代史研究員の一員のようだ。


「私は、本日の司会を行うジャヌーです。私がまとっているこの衣装は、サピエンスが信奉していたキリスト教の司祭の衣装を復元したものです。サピエンスの世界では、キリスト教、イスラム教、仏教が三大宗教として信奉されていました。どれも失われて久しく詳細については不明な点が多いのですが、キリスト教に関して最も調査が進んでいるため、本日は、キリスト教形式での結婚式となります」

 サピエンスの歴史では、異なる宗教を信じるものどうしで戦争が絶えなかったらしい。万能の神の優劣を競うというのも不思議な話だ。


「では、皆さま御着席ください。お二人の好きな音楽に合わせて、ルチカとシファーが入場します」

 皆が椅子に座ると音楽が静かに流れてきた。土星リング578931、私の好きな曲だ。土星のリングを構成する小惑星の密度を基に作られた楽曲だ。サピエンスたちは、どんな音楽を奏でていたのだろう。


 音量が上がると教会入り口の扉が開き、逆光を背に二人のシルエットが浮かび上がった。そして、二人が腕を組みながら教会の中へと静かに歩みを進めると、押し殺した感嘆の声が招待客から漏れた。


「これが、サピエンスの結婚衣装。きれい」

 ルチカがまとっているのは体のシルエットがわかる角ばった白い衣装だ。シファーも同じく真っ白な衣装だが、こちらは下半身が大きく膨らんでいる。モノリスは性別の区別がないため、ルチカがサピエンスの男性役を務めている。


「ルチカが男性の衣装で、シファーが女性だな。ルチカが首に着けているのが、男性器のシンボルだ。大きくて高価なものほど、異性を引き付けていたようだ」

 自然交配していたサピエンスにとっては、とても重要な装身具だったはずだ。


「シファーの衣装の胸の盛り上がりは、母乳を出す能力のアピールだ。ルチカの男性器のシンボルと同じで、サピエンスにとって子どもを作ることがいかに重要だったかがよくわかるね。そして、結婚式に招待された女性客は、主役よりも胸を小さく見せるのがマナーだったらしいよ。胸が大きかった女性は締め付け具で無理やり小さくしていたそうだ」

「サピエンス式の結婚について批判的だった割に詳しいじゃない」

「サピエンスの結婚式の再現を見られるまたとない機会なんだから、事前に調査するのは当たり前だ」

 さすがはイライジャ。真面目の塊だ。


「でも、なんかいい感じ」

 最初は奇異な衣装だと思ったが、幸せそうにゆっくりと歩いている二人を見ているうちに、私の心は静かな感動に包まれ始めていた。イライジャからも先日までの批判的な様子が消え、私と同じような気持ちを感じているに違いない。いや、教会にいるすべての人達がシンパシーを感じている。これが、教会という建物が持つ力なのか。


 厳粛な空気の中、二人は更に歩みを進める。そして、司祭の前に立って、一礼をした。


「ルチカよ。汝、シファーを妻とし、健やかなるときも病めるときも、共に助け合い、慈しむ事を誓いますか?」

 司祭がルチカを真剣な目で見つめ問うた。

「はい、誓います」

 ルチカもまた真剣な目で司祭に答える。


「シファーよ。汝、ルチカを夫とし、健やかなるときも病めるときも、共に助け合い、慈しむ事を誓いますか?」

 司祭がシファーに向かい、先ほどルチカに問うたのと同様の問いをする。

「はい、誓います」

 シファーもルチカに劣らず、真剣な表情で司祭に答えた。


「では、ここにある戒めの指輪を交換せよ」

 司祭が指輪が2つ入っている箱を取り出した。


「互いの指にはめ、万が一相手が裏切ったら、指輪が小さくなり激痛を与えるという戒めの指輪だ」

 イライジャが儀式の雰囲気を壊さないよう小声で私に囁いた。あくまでも儀式用であり、実際にそんな機能を持つ指輪などありえないが、想像するだけで痛そうだ。

「もともとは、指ではなく頭に嵌めていたらしい。妖怪退治の魔法具が起源といわれている」

「えっ!」

 それでは痛いどころでは済まず、命にかかわる。


「指輪の材料の金やプラチナなどの貴金属は高価だったから、指に嵌めるように小型化したのだろう」

「なるほど。勉強になります、イライジャ先生」

 私が褒めると、イライジャはちょっと得意顔になった。


 二人が戒めの指輪を互いの指にはめると、再び、司祭に向き直った。


「これから、最後の儀式を行います」

 司祭の表情が更に真剣味を増した。


「誓いのキスの儀式です。この儀式を終えると二人は正式な夫婦と認められます。キスはサピエンスにとってとても重要な意味を持っていました」

 キスという初めて聞く言葉に、招待客が戸惑っている。同時に司祭のただならぬ口調に不穏な予感を感じていた。イライジャの方を見ると、イライジャもまたキスとは何なのか知らないようだ。


「互いの唇を合わせ唾液を交換します。感染症をともにするという誓いです」

 司祭の言葉が終わるや否や、教会中が騒然とした。


「唾液の交換って、そんなことしたら、ほぼ確実に感染するじゃない!」

「先ほどの誓いの言葉にあった、健やかなるときも病めるときも、とはこういう意味だったのか!」

 私は驚きのあまり息が止まりそうになった。普段冷静なイライジャも心底驚いているようだ。


「サピエンスにとっては、結婚とはまさに命がけの儀式だったんだな」

 二万年少し前、宇宙起源の未知のウィルスによる感染症が猛威をふるい遺伝的多様性を欠いていたホモ・モノリスは絶滅しかけた。その後、人為的突然変異プログラムと、免疫強化ナノマシンによりホモ・モノリスは感染症を克服したが、感染症が持つ恐ろしさは未だに種の記憶として残っている。


「今回、サピエンスの結婚式を再現するにあたり、形だけでなくその意義もまた再現しています」

 動揺が収まるや司祭が儀式の説明を続けた。


「シファーとルチカは、免疫強化ナノマシンを自ら除去しました」

「えっ?」

 一瞬、司祭の言葉の持つ意味がわからなかったが、その真意を知るや招待客から火がついたように一斉に怒号が上がった。


「今すぐ、結婚式をやめろ!」

「危険すぎる!」

「これは、二人だけの問題では済まない」

 暴力的な衝動を克服したモノリスゆえに、実力行為に踏み出すものはいなかったが、先ほどまでの厳かな感動的な空気は一気に消し飛んでしまった。


「皆さま、お静まり下さい。まだ、儀式は終わっておりません。そして、命がけの結婚をするかどうかを最後に決めるのは、シファーとルチカです。多くの人々にとって、二人の考えは理解しがたいであろうことは私にも想像できます。しかしながら、二人は我々が失った至高の愛の存在を信じているのです。サピエンスのパートナーシップを基盤にした愛情には、これだけの覚悟があることを皆様に知って頂くために、我々だけでなく、皆さまをご招待し、皆さまの前で結婚式を挙げることにしたのです」

 司祭が穏やかに語りかけた。


「そして、サピエンスたちが家族や身近な友人を招待して結婚式を挙げたのは、結婚を神だけでなく、彼らにも認めていただくためです。稀に意に沿わぬ結婚を強いられた花嫁を救うため、命がけで式に乱入し連れ出すものもいました。多くは警備のものに殺されましたが、中には救出に成功した例もあります。もし、あなた方の中に二人の結婚に不満のあるものがいれば、私を殺して奪いに来なさい」

 司祭が招待客を一喝し、招待客一人一人の目を見据えた。


「誰もおられないようですね。では、儀式を続けます」

 結婚する二人だけでなく、司祭も命の危険を冒している。サピエンスの結婚式の凄まじさ、その真剣さが、真の愛情の存在を私に訴えかけてくる。


「ルチカよ。汝、シファーと感染症をともにすることを誓いますか」

「誓います!」

 ルチカの迷いない声が教会に響いた。


「シファーよ。汝、ルチカと感染症をともにすることを誓いますか」

「誓います!」

 ルチカの澄んだ声が私の心を打った。


「誓いのキスをせよ!」

 司祭の号令で二人の顔が接近すると、私の心臓の鼓動が高鳴り、得も言われぬ幸福感が私を包んだ。


「イライジャ」

 私の目に涙が溜まった。教会内の空気には刺激物もなく、肉体に激しい痛みがあるわけでもない。それにもかかわらず、私の涙腺は刺激され、私の目から涙が流れた。イライジャも私と同じく、涙を流している。


 そして、ルチカとシファーの唇が重なった。


 私の退化した子宮が疼き、下半身の内側に太陽が閉じ込められたような熱を持った。その熱がどんどんと広がり、体全体を覆う。今まで感じたことのない快感に体が震え、無意識にイライジャの手を取った。


 稲妻に打たれたような衝撃が私の手に走る。イライジャの手のぬくもり、柔らかさに思わず力が入り、イライジャの手を握り絞める。イライジャも私に負けない力で、私の手を握り返してくる。


 下半身の疼きと、左手から伝わる温かさに、私は目くるめくような幸福感にどんどんと溺れていった。どこまでもどこまでも果てしなく落ちていき、幸福を感じながら溺れ死ぬと思ったとき、ルチカとシファーの唇が離れ、誓いのキスの儀式が終わった。


 私とイライジャの手は二人の汗で湿り、先ほどの幸福感が嘘のように消え、べとついた不快感だけが残り、どちらからともなく手を引っ込めた。


 シンと静まり時が止まったような教会に司祭の声が響いた。


「以上で、二人の結婚の儀式は終わりです。ルチカとシファーは、月で一晩過ごします。生命の存在しない真空の世界で、ただ互いの命のぬくもりだけを感じて過ごす。ハネムーンと呼ばれる儀式です。二人の門出を、皆さま、お見送り下さい」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 式が終わり、教会を後にした私とイライジャだったが、二人に間にはずっと沈黙が漂っていた。


 無言のまま別れようとしたとき、無意識に私の口が言葉を発した。


「すごかったね」

「あぁ、想像以上だった」

 イライジャも足を止め、気まずい沈黙など無かったかのように私の会話に答える。


「やっぱり、サピエンスたちは私たちが失った至高の愛を持っていたのかな」

「それはわからない。教会の建物形状が視覚聴覚的刺激を与えていたのかもしれない。サピエンスの儀式に不慣れなため、驚いただけの可能性もある」

 イライジャらしい答えだ。


「だったら、実験してみない」

「実験?」

「私たちもサピエンス式の結婚をしてみるの」

 先ほど味わった幸福感が、幻なのか、それとも、至高の愛の片鱗なのか、私は確かめてみたかった。


「なるほど、その提案は興味深い」

「でしょ」

 知的好奇心こそが、真理を探究する原動力だ。


「しかし、免疫強化ナノマシンの除去は断る。私はミラのために命はかけられない」

「もちろんよ。私だって、イライジャのための生命の危険は冒せない。そこまで好きじゃないし。それと、月へのハネムーンは無しね。あんな何もないところに行ってもつまらないから、金星に行きましょうよ。テラフォーミングも終わってるから」

 金星の環境条件は白亜紀の地球に似ていて、恐竜の復元もしているはずだ。


「しかし、そこまで変えて、サピエンス式といえるのだろうか」

「もしだめなら、免疫強化ナノマシンの除去は、至高の愛の必要条件ということになるわね」

 至高の愛の獲得に、互いの生命を懸ける必要性があるかどうかは重大な問題だ。生命の危険なしに獲得できれば、人類史を揺るがす大発見になる。


「じゃあ、試しみましょうか」

「ここでかい? 教会も司祭もなしに?」

「ものは試しよ」

 私はイライジャに顔を寄せる。


 そして、私たちは唇を重ねた。


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