乳母は最強?
突然現れたご婦人は、全く見覚えのない女性だった。
年頃は多分、うちの両親と同年代。艶のある長い銀髪と、薄い色の瞳はモーニングスターの血統を思わせる。
モーニングスター侯爵と縁ができたおかげで、北方貴族の知り合いも何人かいるけど、彼女は見たことがなかった。
しかし私以外に、彼女を知っている人物がいた。
「タニア!」
クリスがぱあっと顔を輝かせて、彼女のもとへと飛び出していったのだ。
「クリスティーヌ姫様、御無沙汰しています」
「元気そうでよかった! 会えてうれしい!」
「姫様こそ、よくご無事で」
ふたりはうれしそうにハグしあう。
そして、ご婦人はこちらを振り向くと、優雅にお辞儀した。
「シュゼット姫様、リリアーナ様にはお初にお目にかかります。私の名前はタニア・ホルムクヴィスト。クリスティーヌ姫様の乳母にございます」
「クリスの、乳母やですの?」
「はい、生まれた時からずっとお世話してまいりました」
「なぜあなたがここに……引退されたはずでは」
ローゼリアが幽霊でも見るような目で、タニアを見つめる。
「ええ、そのつもりでしたとも。姫様がシルヴァン様とご婚約されたことで、乳母の手を必要としなくなりましたからね。でも、この大災害でしょう? 姫様が難儀していると聞いて、たまらず駆けつけてきたのですわ」
ふふふ、とタニアは上品にほほ笑む。
なぜだろう、笑顔を絶やさないのはローゼリアと一緒なのに、めちゃくちゃ怖い。
「……た、タニアさんが、王都郊外で隠居されていると伺っていたので、急遽お声がけさせていただきました」
タニアの後ろからさらに、マリィお姉さまが姿を現した。いつも淑女らしくふるまうお姉さまだけど、今日は珍しく頬を赤くして息をきらせている。
「あら、もっとゆっくりついてきてもよかったのに」
「そうはいきません……! どのような訓練をすれば、あんな速さで歩けるんですか」
「淑女のたしなみですわ、お嬢さん」
どう見てもただ者じゃないご婦人はいたずらっぽく笑う。
「さあ姫様がた、私と一緒に参りましょう」
「ちょっと、どこに行く気ですか!」
笑顔で立ち去ろうとするタニアに、ローゼリアが食ってかかった。
「王宮にクリスティーヌ様がお戻りになったんですよ。行くべき場所はあちらでしょう」
「あの建物はもう何年も使われていません。とてもお客様をお通しするわけには」
「あそこは、モーニングスター家の出資で、ちゃんと定期的に手入れがされていますわ。あなた、そんなこともご存じないの? 現役の王宮勤めなのに?」
わざとらしいびっくり顔で言われて、ローゼリアの顔がさっと赤くなる。
仕事が一級品の乳母は、嫌味も一級品だ。
「あの……行くってどちらなんでしょう?」
私はおそるおそる尋ねた。
クリスティーヌの乳母が案内するんだから、絶対安全な場所だろうけど、行先は知っておきたい。
タニアはにこにこ顔で答えてくれる。
「王宮最奥、姫様が暮らしていた離宮ですわ」
「あ……」
そういえばそうだった。
クリスティーヌは王宮育ち。つまり、生まれ育った家が王宮の中にあったんだった。確かに『クリスティーヌ』が過ごすのにこれほどふさわしい場所はない。
「お世話については、このタニアにお任せください。何不自由ない生活をご用意させていただきます」
「そんなこと、できませんわ!」
私たちを逃がすわけにはいかない、ローゼリアがなおも食い下がった。
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