閑話:赤の他人のオッサン(ジェイド視点)

 僕の世界は、ずっと暗闇だった。


 最初は、あったかいものがずっと一緒だったんだけど、ある日突然冷たくなっていた。それでもしばらくはくっついていたんだけど、いつのまにかそれはなくなってた。

 ひんやりした部屋でぼんやりしていると、大人がやってきて何か悪いものを僕に押し付ける。とても嫌な感じがするけど、それを受け取らないとごはんがもらえない。僕は毎日、嫌なものとごはんを受け取った。

 ごはんのおかげで死なないけど、嫌なもののせいで気持ち悪い。

 このままゆっくり腐っていくんだろう、と思っていたら、部屋に新しい人がやって来た。

 多分、男の人だと思う。その人はひどく怒ってるみたいだった。


「……アンタらの提示した額は支払った。コイツは俺がもらってくぞ」

「あなたも物好きですねえ。こんな壊れかけの素材に大金を支払うなんて」

「用途は詮索しない約束だ」

「そうでしたね、お買い上げありがとうございます。またご入用なものがありましたら、お声がけください」

「アンタらともう二度と取引する気はねえよ」


 男の人は、僕を毛布でくるむと抱き上げた。


「オトウ……サン?」


 やさしく抱っこしてくれる男の人のことを、お父さんというのだと、僕を抱いていた暖かいものが言っていた。でもその人は首を振った。


「ちげぇよ、俺は赤の他人のオッサンだ」


 師匠と呼べ、とその男の人は言った。


 師匠と僕はそれから旅に出た。部屋の外の世界は、寒かったり、暑かったり、騒がしかったりしたけど、師匠に抱っこされているうちに怖くなくなった。

 光が体に当たると焼けるように熱くなるから、師匠が特別製の洋服を作ってくれた。ごつごつしてて、ちょっと動きにくいけど、着ているだけで師匠に抱っこされてる気持ちになった。

 旅をしているうちに、僕はいろんなことを知っていった。ごはんは、あたたかいとおいしいこと。師匠と食べるともっとおいしいこと。目が見えなくても、魔力を使えばものの形を捕らえたり、文字が読めるようになること。本を読むことで、もっともっとたくさんのことを学べること。

 しばらくして、師匠は新しい商売を始めた。女の人に姿を変えて、魔法の薬を売る仕事だ。師匠は特別な薬を作っては大金で売りさばいて、そのお金で材料を買い、僕のための薬を作る。師匠の作った薬を飲むと、僕の体の中の嫌なものが少しずつ消えていった。


 でも、どんな薬を作っても、嫌なものを全部消すことはできなかった。


「やっぱ、完全な解呪薬を作るには、ザムドの野郎からイリスアゲートを買うしかないかあ」

「デモ、アノ人、会ウタビに値段ヲ上ゲテルヨ」

「人の足元を見るのがうまい奴だよな」


 王都の大きな犯罪ギルドの元締めだったザムドは、虹色の石をちらつかせて、師匠をこき使っていた。多分、あの人は師匠を利用するだけ利用して、石を渡すつもりはない。どれだけお金をためても、薬は完成しないだろう。


「いっそ、無理やり奪っちまったほうが早いかねえ」

「ダメ、師匠ガ死ンジャウヨ。イナクナッチャ、ヤダ」

「わかってるって」


 薬なんて作らなくていい、って何度言おうとしただろう。

 でも僕の未来を信じて命を削ってくれている人に、『師匠が大事だから、未来なんかいらない』なんて、ワガママは言えなかった。

 目の前に材料があるのに、手を出せない。

 日に日に師匠の声が、暗く沈んでいくのを聞いていることしかできなかった。


 あの依頼が来たのは、そんなある日のことだった。


 ハルバードのお嬢様の魔法の教師として、面接を受けてほしい。

 面接を受けるだけでも、少なくない報酬が支払われるらしい。気分転換にもいいだろう、そう言って師匠はいつものように姿を変えて旅に出た。小金を稼いで、またすぐに出ていく、そんな予定はお嬢様に会った瞬間吹っ飛んだ。


「あげる。だから、私の先生になって!」


 僕たちが求めてやまなかった宝石を、お嬢様はぽんと渡してきた。


 偽物じゃない。本物の、解呪の力を持った虹色の瑪瑙。師匠も僕も、その場に崩れ落ちるかと思った。


 その夜、今まで泊まったどの宿よりも立派な客室に通された僕たちは、早速薬を作った。レシピはもう完璧にできている。イリスアゲート以外の材料だって全部用意してある。師匠が完成させたその薬を飲み干すと、僕の中の嫌なものは嘘みたいに消え去った。


「あ……ああ……?」


 声が、出た。今までのつぶれたカエルのような声じゃない。人間らしい、男の子の声だ。

 目をあけると、そこには黒髪に黒い瞳をした、男の人の顔が見えた。彼は、顔をくしゃくしゃにして涙を流している。


「俺が、見えるか?」

「うん」

「苦しい所はないか?」

「ないよ」

「そっか……そうか……はは……やっと、治してやれたな」

「……ありがとう、お父さん」

「ちげぇよ、俺は赤の他人のオッサンだ」


 師匠と呼べ、とまた言われた。

 でも心の中でお父さんって呼ぶのは、いいよね?





 ディッツの過去捕捉


 ディッツは駆け落ちを持ち掛けるくらいには惚れていた女性がいましたが、家の事情で女性はとある貴族と結婚。彼女は貴族の子供を産みますが、とんでもなく魔力にあふれる子だったので、逆に「これは俺の子じゃないんだろう」と不貞を疑われ婚家を追い出されています。その後、呪殺を生業とする暗殺集団に誘拐され、親子ともども呪術の道具として搾取されます。事態を知ったディッツが救出に向かいましたが、母親はすでに死んでおり、呪いで体が半分腐った子供が残されていただけでした。暗殺集団を殲滅するほどの力のなかったディッツは、このとき全財産のほとんどを使って、子供を暗殺集団から買い取りました。それが弟子のジェイドです。

 ジェイドにお父さんと呼ばせると、女性が不貞をしていたように聞こえてしまうので、ディッツはあくまでも「他人のオッサン」を名乗っています。



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