2.予想より美味しい酒と料理でした


「ううう……夜も暑い…」

「もー!ソーメンばっかり!駄目だよ、食べるのも鍛錬のうちでしょ」

「うん、知ってる」

「食べないと回復しないし、食べないで鍛えたって肉つかないでしょ」

「ごもっとも……」

「暑気あたりも同じだよ?内臓ばっかり冷やすのダメ絶対!」

「その通りでございます……」

 あれから1週間、アレンダンはまだ体調が戻らないでいた。暑くて怠くて食事が喉を通らないのだ。冷たい麺類ばかりもそもそ食べている、げっそりした顔のアレンダンの前に、ドン!と山盛りの肉の煮物が置かれた。豚肉と根菜とゆで卵が何かで甘辛く煮付けられているのがわかる。蜂蜜でも使ったのか、肉も卵も照りが出て輝いている。

「豚は暑気あたりにいいよって、父さんから」

 ちらりと厨房を見ると、身長こそアレンダンより身長こそ小柄だが、迫力のある体格の壮年の男性が覗いているのが見えた。

「親父さん、ありがとう」

 親父さんと呼ばれているが、彼はミクシの父で、名前をドルクと言う。かなり寡黙な男で、アレンダンもほとんど話したことがない。アレンダンを嫌ってはいないようだ…というのはミクシから聞いた『だいじょぶ!』を信じているからだ。

「あのさミクシちゃん。親父さんに何か好きなお酒を奢らせてよ。で、同じのを俺にも一杯くれないかな」

「ボルカノのお酒でいいの?結構クセあるよ」

「飲みたい」

「んじゃお湯割りだね!角煮にも合うから!待ってて!」

 夜の宿屋の食堂…今は酒場と言った方が良いかもしれない…では、何人かの女性もミクシと一緒に給仕や皿洗いをしている。まだ小さな赤ん坊を背負っている人もいたりする。たまに常連客が赤ん坊をあやしていたりもする、ここは地元の憩いの場なのだろう。

「はい!お湯割り一丁!」

 ミクシが湯気の立つ大ぶりのコップを持ってきた。

「父さんもありがとうって!」

「いただきます」

 アレンダンは、同じコップを掲げていた親父さんにコップを掲げて、そろそろと口をつけた。香りがとても独特だ。胃に到達すると、じわりと熱が広がる。

「こんな香りの酒は初めてだ」

「芋のお酒なのよ。平気?都会の人は臭いっていう人も多くて」

「いや、絶対この煮物に合う」

 ミクシは白い歯を見せて笑うと仕事に戻っていった。

(ミクシちゃんの言う通りだ。このままじゃ筋肉が落ちちまう……)

 正直食欲は無かったが、個人的に痛いところを突かれてしまったのは事実だ。アレンダンは気合を入れて肉と向き合うことにした。

(て言うか美味そう…うん、マジで美味そう……)

 豚の煮物は、白い脂肪と肉が綺麗にボーダー模様になっていた。フォークでつつくと、ホロリと崩れる。慌てて口に入れると、甘辛い味付けの中に、肉と油の旨味がトロリと溢れた。脂っこいのかと思っていたが、思っていたよりもさっぱりしている。身体に染み込んでいくようだった。卵は黄身がトロリと半熟で、黄身と肉を絡ませるとまた贅沢な味わいだ。

 お湯で割ったという酒は、思っていたよりも強くて、暑い中熱い酒というのもビックリしたが、じんわりと汗ばむ頃には、今のアレンダンの身体には良かったのかもしれないと思えた。

 半分ほどを飲み終わる頃には、いつの間にか煮物を食べ終わっていた。汗ばむ額を拭うと、給仕の女性に背負われた赤ん坊が泣いている。

「あの」

 赤ん坊を背負っているの女性に声をかけてみた。

「良かったら、俺、赤ちゃん見てましょうか」

「え?」

「いや、これでも子供の世話には慣れてるんで。替えのオムツください。それくらいなら離乳食食べるでしょ?よかったらそっちも」

 アレンダンが座っているのは奥まった座敷席だった。傍らには見積もりの書類がそれなりに置いてあるが、赤ん坊はまだ動き回る大きさでも無いし、客もだいぶ減ったところだし、衝立の裏なら多少オムツを替えるくらいはいいだろう。

「あれ、お兄さん赤ちゃん大丈夫な人?」

「孤児院育ちなんでね。だいぶイケるぞ」

 念のためミクシに許可を取ってからオムツを替えた。大じゃないから臭いもしない。

「早い!」

「本当だねぇ!」

「これでも中央孤児院セントラルで1番上手いと言われた男だぜ?」

 笑い出したミクシと赤ん坊の母親…ファナというらしい…を見送って、離乳食を開始する。胡座をかいた片方の足に、ふくふくとしたお尻を座らせて背を支え、木さじでお粥を口に運ぶ。べーっと舌を出すのも見慣れていたものだ。

「沢山食って大きくなるんだぞ。そうだそうだ、食うのは大事だ」

 赤ん坊が酒の入ったコップに手を伸ばそうとするので、手の届かないところに置き直す。

「これは俺のな。大きくなったら母ちゃんと飲め。その時は奢ってやるんだ。分かってるな?」

 さじを掴もうとする赤ん坊の顔の前で、ヒラヒラと軽くさじを動かして、おちょぼ口に粥を入れる。

「お前は幸せだぞ?飯は美味いし、ちゃーんと母ちゃんが背負っててくれるんだから。大きくなって、母ちゃんを助けてやるんだぞ?」

 赤ん坊に話しかけると、赤ん坊はキャッキャと笑って笑顔になった。

「そうかそうか。分かるか。お前は賢いなー」

 木さじのお粥に大きな口をあける赤ん坊の顔は可愛らしくて、アレンダンの顔も自然と緩んでいた。

(孤児院でも、赤ん坊はやっぱ可愛かったよな)

 当時は入れ替わり立ち替わりやってくる赤ん坊達に複雑な思いも抱いたものだったが、こうして遠く故郷を離れると、やはり思い出は綺麗になるのだなとぼんやり思う。ボルカノに向かう前にギルド経由で手紙と送金を頼んだが、受け取ってもらえただろうか。

 食後には湯冷しの水を木さじで飲ませ、綺麗なおしぼりで口の周りから首のシワのところまでを擦らないように拭う。念のためゲップが出るまで待ってから寝転がせたり抱き上げたりしてあやして遊んだ。そのうち、眠くなったのかアレンダンの服を掴んでグリグリと顔を擦り付けはじめた。

「くすぐったいなー。眠いのか?沢山寝ろよ。寝る子は育つんだぞ〜」

 眠り始めた赤ん坊を横抱きにして、座ったままゆらゆらと揺らす。アレンダンはコップにのこっていた酒をゆっくり流し込んだ。


 そんなアレンダンを、その場にいた従業員や客がこっそり眺めて和んでいたのは、また別の話だった。

「ねえミクシ、なんなのあの男子。若いのにもう50人くらい子供がいそうなくらい手馴れてるじゃないの」

「ギルドから派遣されて来た人だよ。暑気あたりしてたけど、もう大丈夫かもね」

「細っこい兄ちゃんだと思ったけど…ランク3冒険者だっけか?都会の男はシュッとしてるんだなあ。好青年よかにせなのにあのケン坊の子守まで出来るとは……」

「ニックおじさん、今度はちゃんとした建物建ててあげてね」

「前のは俺のせいじゃねぇし!前のヤツが掘っ建て小屋しか立たないような金しか無いって言ったからああなったんだよ」

「しーっ!ケンちゃん起きちゃうよ」

「おっと……悪い悪い」

「前の人は2ヶ月で逃げちゃったから…今度はどうかしら?」

「焼酎飲めるなら大丈夫だろ」

「ネコ好きだしね」

「おお?ミクシも気に入ったのか?」

「ちゃんと挨拶とありがとうが言える人だもん。宿代も前払いしてくれるし!」

「それは1番大事ね」

「違ぇ無え」


「おーい」

 不意に後ろから声がかかって、3人はビクリと振り返る。

「ケンちゃん寝ちゃったからさ。なんか上にかけるもんちょうだい」

「あ、私が行くから…」

 ファナがいそいそと離れて行ってしまった。

「俺、アレンダンと言います。王都のギルドから派遣されてきました。よろしくお願いします」

「おう。俺が大工のニックだよ」

 ニックに隣を勧められて、アレンダンは笑顔で座った。

「ご挨拶が遅れてすみません。旅疲れが出たみたいで、今まで寝込んでました」

「そんな時は飲むに限るな」

 ニックは自分のキープボトルから、今度は水割りを作って勧めた。

「親父さんのとは違う銘柄でさ。こいつは水割向きなんだわ」

「いただきます」

 そろそろと口をつけると、アレンダンは目を見張る。

「さっきのとは違う甘い感じが…」

「分かってるじゃねえか!」

 意気投合し始めた男たちを後ろから眺めて、ミクシは他の座席の皿を片付け始めた。

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