3.元冒険者アナスタシア・マリウス・ランカスタの場合

 元冒険者のアーニャ。本名はアナスタシア・マリウス・ランカスタ。ランカスタ伯爵家の3女に生まれた。病弱な長兄はあまり丈夫ではないが後継者と決まっていた。次兄は生後間も無く亡くなったと聞いている。長姉は再従兄弟の侯爵家の嫡男に嫁ぎ、美女と名高い次姉は今をときめく王太子妃だ。少し歳が離れてうまれた子供だったことと、ちょうど長兄の具合が悪くなっていた時期で、身体が丈夫で乳母や使用人が世話をすれば済んでいたアナスタシアは、その後も半ば放置されたようなものだった。体は丈夫な上に背が高く、何よりも剣と乗馬が大好きだった。あなたが男の子ならね、と何度言われたかわからない。

 ならばそれを極めようと、ある日、騎士学校への進学を希望したところ、両親からは大反対を受けた。兄は身体の都合で諦めたのに、どうして貴女だけ我儘を…というわけだ。兄自身は気にしなくて良いと言っていたが、両親は領主としての勉強に励みつつ、自分の虚弱さを気にする兄の、モチベーションが下がるのを懸念していたらしいのだ。兄は優しく笑って言った。

『羨ましいのは確かだよ。でもね、だからってアーニャの夢を邪魔するべきじゃない。でも、ごめんね。僕ではアーニャを騎士学校には入れてあげられそうにない……』

 兄は成人していたが、虚弱体質はそのままで、領主の仕事を主体でしているのはまだ両親だったのだ。そんな兄に、隣国の冒険者の養成所に入ることを告げて、アーニャは学園の卒業と同時に家出をして、冒険者になったのだ。


「ねえ、私達も仲間に入れてよ」

 いつもならやらないのに、そんな風に声をかけた。気の良さそうなこげ茶の髪と瞳の大男と、黒髪に紺色の瞳をした、油断ならない雰囲気の男達。護衛依頼の最中、素晴らしいコンビネーションで賊を討伐した彼らに、強烈に惹かれたからだった。当時は、その時組んでいた魔法使いのノンナと治癒師志望のレナも一緒に組もうという話だったのだが、最初は治癒師志望のレナの神殿入りが決まり、次にノンナが「失恋したから」と書置きをしてパーティーを抜けてしまい、3人になってしまった。どうやらノンナを振ったらしいアレンダンは、頭をバリバリと掻いていたのを覚えている。パーティー名は、立て続けに2人抜けたことでバタバタしたため、なんとなくギルドのトライ支部に届けを出した際に仮名として当てはめられた「トライ78」をそのまま使った。

 トーヤとアレンダンは、本当に優秀な冒険者だった。そして、下手な貴族子息よりもよっぽど紳士的だった。最初は、どちらが好きとか嫌いだとかは考えなかったが、トーヤからあからさまにアピールされるようになって、気持ちが動いた。所作は乱暴で言葉遣いも粗野だったが、彼は誰よりも強くて、誰よりもアーニャを慕ってくれていたのだから。

(いつも優しくて、弱音なんて吐かなくて……鍛錬もストイックで…)

 そんな時、ギルドから兄の具合が悪いという連絡が入っている、と知らされた。商隊の護衛で拠点を離れていたので、内容を知ったのは1週間後だった。慌てて実家に戻ると、兄は連絡が来た時点で事故死していたと知った。亡くなったと知らせたら、無視されるのではないかと思ってのことだったそうで、呆れて物も言えなかった。アーニャを心配してついてきてくれた2人と、実家を離れようとしたのだが…そこで両親に取りすがられて、アーニャも気付いた。跡目を注ぐ直系の実子が、アーニャしかいないのだ。侯爵家に嫁いだ姉の所には、男の子が1人だけだそうで、その子は大事な跡取りだ。親戚から養子をもらおうにも、次姉の4人の子供達は王子と王女で、王位継承権を持つ。伯爵家へ養子は考えにくい。アーニャが家に戻って婿を取るか、アーニャが女伯爵とならない限り、この国では伯爵位を王家に返す決まりがある。

(返しても、良いんじゃないかしら)

 心の中で考えたが、やはりこう言うゴタゴタで一番被害が出るのは、ランカスタ領の領民だ。ランカスタ領はここ数年水害が起こり、その復興の大事な時期になる。兄は治水工事の指揮を取るために無茶な移動をして亡くなったと聞けば、アーニャも気持ちもぐらぐらと揺れた。

 宿屋の一室で、3人でずっと今後の話をした……伯爵家から以前の自分のお付き侍女を派遣されたのは正直嫌だったが、アレンダンとトーヤも「疑われるくらいなら」と承諾してくれた。なんだかもう色々と申し訳なくて、ひたすら謝っていた気がする。侍女は時折いなくなった。伯爵家にこちらの話し合いの内容が筒抜けなのは明白だった。

『問題ねぇよ。大丈夫。俺らはアーニャの味方だよ』

『それに、話して良い内容しか話してない。何も後ろ暗いことはないからな。多分、あちらが知りたいのは俺たちの身元だろうさ。それよりも、アーニャ、お前はどうしたいんだ?』

『私は……』

『まず、我が儘に、どうなったら良いかだけ言ってみろよ。そこから駄目出していく方法もあると思うぜ?』

(もう。単純なんだから)


 そこで、言ったのだ。この領地を、兄の遺志を失くしたくないと。

(もちろん、生活が変わるのは分かってたけど……私だって、余裕があるわけじゃ…)

 剣ばかり振っていたアーニャには、足りない部分が思っていたより多かった。令嬢らしい立ち居振る舞いも、教師からは叱責されてばかりだ。

(少しくらい…話を聞いてくれても……)

 甘えていたのは分かっていた。

(でも、味方でいてくれると言ったのに……!)


「お嬢様。ダンスのレッスンのお時間です」

「今行くわ」

 ホールに向かうと、そこには婚約者となったトーヤがいた。少し早めについたので、先に先週のおさらいをしていたと言う。

「トーヤ……?」

 貴族の礼装になれるため、と言う名目で、トーヤは毎回きちんとした礼装をさせられていた。最近はそれにイライラして、タイをぐいぐいと緩めてばかりだったのだが、今日はビシリと背を伸ばして、鋭い目つきでダンスのステップを踏んでいる。

「ああ……すまない、挨拶も、まだなのに。どうしても、確認しておきたくて…」

 言葉遣いを気にするあまり、ブツブツと途切れたような話し方になっているトーヤに、アーニャは緩く首を振って微笑んでみせた。

「素敵だわ……」

「ええと……踊っていただけますか?」

 ぎこちなく、それでも真摯な瞳がアーニャを映した。

「喜んで」

 手袋越しでも剣ダコを感じるお互いの手が重なった。

「ダンスって、笑顔でするものよ?」

 緩やかにステップを踏みながら、何故か目尻に涙が浮いた。

「ごめんよ。まだまだだな……」

 困ったようにへにゃりとトーヤが笑った。

「今の顔、好きよ」

「えっ…」

 いつもなら動揺するとステップを間違えるトーヤが、赤面しながらも普通に踊った。

「なぁ、アレンのこともなんだけど…後で話して良いか?」

 最近はダンスの時の小声の会話が、一番好きだ。この時だけは、トーヤと普通に話していても怒られないのだ。

「うん……」

「俺、頑張るから」

 トーヤの大きな手でホールドされることが、心地よく感じた。

(私、トーヤと生きていくんだわ)


 この日、2人ははじめてダンスの教師から及第点をもらった。


—————————


長い序章ですみません。

次から本編です。

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