第80話 たった一人、でも(男女。大学生。付き合ってない)


 大学。部室棟の裏。野球部の練習場前。

 私はそこのベンチで、ぼけーっと野球部の方を見ていた。日に焼けた彼らが、懸命に練習している様を。無心で。

 無心でいないと、悔しさで泣いてしまいそうだったから。

 今日は、所属する文芸部での、選抜戦の結果発表日だった。

 何の選抜かと言うと、他校との合同合評会に出す作品のための選抜戦だ。

 学年上下関係なく立候補出来て、そこから部員の投票で三つ作品が決まる。

 私は、選ばれなかった。

 私はもともと、ジャンル(娯楽小説、ややライトノベル寄り)と性別(今日び珍しいくらい男尊女卑のきつい部活なのだ)の関係から、だいぶん不利だった。

 それでも、作品は作品。そんなことをねじ伏せるくらいの名作を書ければ問題なかったわけで、そうじゃなかったから選外なのだとわかっている。

 選ばれた三作品の中に、先輩方お気に入りの貢川くんも間宮くんも居なかったし、一つは女性の真砂先輩が書いた作品だったのだ。

 やはり、私の作品が名作じゃなかっただけだ。

 だからこそ、悔しい。

「……」

 駄目だ、泣いたら余計に格好悪い。

 無心になれ。

「何でぇお嬢さん。こんなとこで拗ねてんのか」

「……うるさいなぁ」

 集中して無心になろうとしている私に、邪魔が入った。

 声の方を見れば、緩い笑みを浮かべた男性が立っていた。

 槙原さん。七回生で、我が文芸部の二番目古参(まだ上がいる)。

 背が高くて、全体的に細い。ひょろ長い印象の人だ。

 男尊女卑が横行している我が部にしては珍しく、男尊女卑らない。

 ただ、授業をサボりまくって留年し続けているところから、だらしないイメージがついてしまっているので、あまりいい人認定もされていなかった。

 そもそも、部員は絶対参加の合評会すらサボるのだ。

「どうせ、私は笑いに来たんでしょう」

 不利だとわかっているのに敢えて勝負に出た。それで負けているのだから、本当に世話がない。笑われても仕方なかった。

 ……嘘だ。笑われたら、流石にムカつくし、まあ傷付きもする。

「まさか。誰が笑うかよ」

 予想に反して、槙原さんは首を振った。横にだ。

「がんばって書いたんだろう。そんな人間を笑うなんざ、クズのすることだ」

 槙原さんが、静かに言った。

「俺は確かにだらしのねぇ人間だが、そこまで落ちぶれた記憶はないんでね」

 あまりに静かで、低い声だった。いつも部室で下らない冗談を言っている声とは大違いで驚く。

「じゃあ、何しに来たんです」

「そうだなぁ。慰めに、って言ったら、お前さんは怒るんだろうなぁ」

「怒るに決まってます、バカにしてんですか」

「だから言ったろ。バカになんかしてないって」

 そう言って、槙原さんは笑った。笑うと言うより、微笑んだ。

 口元を、ふわ、と綻ばせて。

「……俺は好きだぞ、お前さんの書いたやつ」

「!」

 吃驚、した。

 そんな風に笑うんだ、というのと。

 私の作品を褒めてくれたのと。

「あったかくて、真っ直ぐで、いい奴が普通に報われる。……現実じゃ、なかなかお目にかかれねぇから、俺は安心したよ。例え創作でも、読んでいた時間、俺はあの作品の中で憩った感じがした」

「……」

「ありがとうな」

 何故か、お礼まで言われて。

「……どうも」

 私は驚き過ぎて、淡泊にしか、返せなかった。

 あったかで、真っ直ぐ。安心、した。

 ……槙原さんの言葉が、時間差で心に刺さって。心が、急にぐわっと熱くなる。

 嬉しい。

 そして、照れ臭い。

「でもなあ、たった一人に褒められてもなぁ」

 だからつい、そんな可愛くないことを言った。

「何だよぅ、褒め甲斐がねぇなぁ」

「だって……」

 つい出てしまったということは、それもまた本音だからだ。

「『たくさん』の人に認められないと、意味ないじゃないですか……」

 可愛くない本音。

 けれど、そんな可愛くない本音を、

「そいつぁどうだろうな」

 槙原さんは、茶化さず、怒らず、真っ直ぐ受け止めて、自分の言葉を返してくれた。

「その『たくさん』だって、基本的にゃ『たった一人』から始まった『たった一人』の集まりだ。『たった一人』に好かれることは、大きいんだぞ?」

「そうでしょうけども……」

「ま、お前さんの作品はちょいと地味めでニッチだからなあ。いきなりガッと好かれるってのは向いてないかも知れねぇが」

「……」

「でも、『たった一人』が深く好きになって、そんな人間が徐々に増えていく。……そんな感じがするから、安心しな」

 ニッと槙原さんが笑顔を広げた。

 大きな笑顔だ、と思った。

 大きくて、安心する。そんな感じの。

「そいじゃま、ほれ」

「あれ、私の鞄……」

「あのあとじゃあ、部室帰りづらいだろ? このままメシでも行かねぇか? 奢るぞ」

「……じゃ、ドリア食べたいです」

「サイゼでも?」

「ついでにドリンクバーとデザートつけて下さい」

「ははは、現金な奴め」

 悔しさはまだあるけれど、少し湿気と重さが抜けた。


 いいぞいいぞ、好きにしろと笑う槙原さんの所為かも知れない。

 お蔭、かも知れない。

 私はその横顔を見ながら「いい笑顔だなあ」としみじみ、思った。


 END.

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